オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「自分にとっての、旅行とは?」

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20代の初めに1人で海外旅行に行き、その後、夫婦で何度か海外旅行に行ったが、金も体力もなくなり、国内旅行になった。国内と言っても、行ったことのない知らないところばかりで、行ってみたら思いのほかすごく良かった。感動することも多くて、自国の良さをほとんど知らないということがよく分かった。

道内をバスで周るツアーにも行った。牡蠣が有名な地域にあるホテルのディナー・バイキングで、牡蠣を腹いっぱい食べた。牡蠣の他に帆立もあった。ホテルの客も大喜びで、料理に殺到して大賑わいだった。あんなに、たくさんの牡蠣を食べたことはない。

そして、信州北陸のバス・ツアーに行ったが、これが想像以上に良かった。山奥に入るほど自然が素晴らしく、女房と「北海道よりも自然がすごいな!」と話していた。本州の人は、北海道の自然のなにがすごいと言ってるのか、不思議だった。

長野県の白馬にあるホテルに泊まったが、周りを北アルプスに囲まれていて、圧倒的だった。北海道の山とはスケールが違う。壮大で、連なる山に囲まれた中に街がある。こんな自然の中で生活している人がいるということが、信じられなかった。昔、行ったことのある、スイスのインターラーケンや、ツェルマットを思い出した。

それと、上高地に行ったときも同じで、日本にもこういうところがあるのかと驚いた。壮大な素晴らしい自然の中に、きれいな川が流れていて、そして洒落たホテルが自然の中に目立たないように、何件も建っている。これぞ、本物のリゾート地だと思った。

息子達が小学生のときに、夏休みの集団旅行で2週間ほど2人が出掛けていたときがあった。そのときに自分と女房は、新幹線で京都まで行って来た。息子2人の旅行で金がかかったので、自分達は節約して、京都では駅前のビジネスホテルに泊まり、はとバスを利用して観光地を周った。

しかし、ここで一番良かったのは、宿泊していたビジネスホテルから、その周辺を2人でブラブラと歩きまわったことだ。とにかく、歴史の宝庫なので、歩いていると有名な大きな寺が出て来たり、そこら辺に歴史のある建物や石碑が建っていたり、面白い店があったりと、退屈することがなかった。

考えてみると、それが旅行としては一番面白かったような気がする。ゆったりと目的もなく、ただブラブラと歩き回り、寄り道をするというのが、なんとも言えず心地良かった。自分が求めていた旅行というのは、こういうのかもしれないなあと思った。観光名所巡りも良いけれど、こっちの方がいいなあと。

 

 

 

「全国各地を巡る旅?」

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出川哲郎が出ているテレビで、電動スクーターで全国各地をゲストと一緒に旅する番組をいつも観ているが、あんなのでゆっくりと旅するのもいいなあと思う。以前、「youは何しに日本に!」で、外人がスクーターで日本各地を旅するのも観たが「俺もやってみたいなあ!」と憧れた。

この前、格好いいスクーターをいじっていた若者がいたので、「これ、格好いいね」と声をかけた。色々と話していると、その若者が「これは、車の普通免許ですぐ乗れますよ」と言う。それはいいねと自分が言うと、「ただし、30キロが道路で走る制限速度なので、それ以上は出せませんよ」と言う。60キロは出せると思っていた。

出す気になれば、まだまだ速度を出せるのかと聴いたら、「それでも、40~50キロくらいが精一杯かな」と言っていた。のんびりと走って各地を巡り、景色を堪能して、通り過ぎる街の雰囲気を味わい、ところどころに寄り道するのがいいと思っていたので、それくらいでちょうどいい。車くらい速度が出るのなら、意味がない。

以前、大型バイクに乗っている知人にスクーターの旅のことを話すと、「小型のバイクほど、大型のトラックやダンプとすれ違ったときに、風圧で倒れそうになるから危ないんだよ」と言われた。確かに、その通りだ。ただでさえ、ヨロヨロで倒れそうな老体には、スクーターは無理か。

キャンピングカーは、自分は眠ることができないのと、色々と面倒臭い体験をしたので無理。車で各地を巡り、旅館やホテルに泊まるのはどうかと思ったが、1人で泊まるのは怖いので、これも無理。幽霊が怖くて、朝方まで寝られない。

小さい頃、母親に旅館での怖い話を、嫌というほど聞かされたからか。この話は書いてもいいが、思い出すと怖いので書かない。かなりの怖がりで、高校生の頃に「犬神家の一族」という映画を観たが、それから、夜にトイレで小便してる間中、絶えず左右後ろをキョロキョロと見るので、首が痛くなった。

それに、旅行に行っても、すぐ家に帰りたくなる。昔、新婚旅行でフランスに行ったとき、1日目にリヨン駅裏の小さなホテルに泊まったことがあった。夜、窓を開けてリヨン駅を見ながら、「なんで、こんなところに来ちまったんだ。早く帰って、家の布団で寝たい」と思った。要は、旅行に向いていないということか。(T▽T)アハハ! 

「バイクは、ガソリンを倍食う(バイクゥ)?」

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というダジャレを昔の同僚が言ったときは、負けたと思った。2人でダジャレ合戦をよくやったが、キリがなくなり、最後は2人とも疲れ果てて「もう、やめようか?」ということになる。ということで、今回はオートバイのことを書いてみた。全然、関係ないか!(笑)

自分が小学生の頃、親父はホンダのバイクに乗って仕事に通っていた。一度、カーブを曲がり切れずに道路の外に放り出されたそうだが昔、柔道をやっていたので無意識で受け身をして、なんともなかったと言っていた。親父はせっかちなので、かなりスピードを出していたらしい。両膝のところに、カバーが付いているバイクだった。

ちなみに親父は50代の頃、「交通監視員」という役を地元の警察署から任命されて、車の後部ガラスにそのシールを大きく貼っていた。しかし、毎回、スピード違反で警察に捕まり、「もう、いい加減にしてくださいよ」と叱られたと言っていた。警察官の間では、「黒い稲妻」と言われていたそうだ。

自分も40代位までは結構スピード狂で、高速道路はいつも120キロ近い速度で走っていた。しかし一度、追い越しをかけたバスの先が、2車線から1車線になるところで、コンクリートの分離帯になっていた。衝突する寸前で急ブレーキをかけ、自分の車は横向きで止まった。それから、スピードを出すのを控えるようになった。

我が家の長男が、高校生のときにバイクに乗りたいと言うのを「絶対にダメだ!」と言って、止めたことがある。それには理由があった。以前、女房の従兄妹で、自分より10歳ほど年下の20代の男性が、バイクでスピードを出してカーブを曲がり切れず、道路の外に放り出されて体を打ち、下半身不随になった。

ハンサムで、快活な好青年だった。大きなバイクに乗っていた。それからは、本人は当然だけど、両親や兄の悲痛な姿を見る度に、大変なことだなあと思った。今もオートバイ事故のニュースを聞くと、ほとんどが亡くなっていることに驚く。自動車と違って、むき身なので、バイクから放り出された場合、亡くなる確率がすごく高いのだろう。

放り出されて、道路や標識や路肩にぶつかると、人間というのは簡単に死んでしまうんだなあと思った。それほど、スピードを出して放り出されたときの勢いは、すごいものかもしれないが、人間の体もそれほど丈夫ではなく、もろいものなのかとも思った。

老婆心で、ついついオートバイに乗っている人に「気をつけて下さいよ」と、余計なことを言ってしまうが、くれぐれも安全運転で気をつけて欲しいと思う。まあ、事故るときはどんなに注意していても事故るのだけど、それでも注意した方が事故る確率は少ないはずだ。

「トラピスト寺院のバター・クッキー」

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長男の嫁さんが函館出身で、この前、出産のために実家に帰り、無事出産してそのまま実家に居て、今年3月に自宅に戻ってきた。数日前に、孫の顔を見るのに家を訪ねたら、函館の銘菓「トラピスト・クッキー」をお土産にくれた。

それが、今まで函館の銘菓と思っていたが、トラピスト修道院は「北海道北斗市三ツ石」というところにある。正式名は「当別トラピスト修道院」といい、男性だけの修道院だ。詳しくは、トラピスト寺院のHPをどうぞ。 https://www.trappist.or.jp/

このトラピスト・クッキーは、見た目はパッとしないが、バターの香りが非常に強く、口に入れると溶けるように崩れていく。とにかく美味しくて、食べるのをやめられなくなる。あっという間に、なくなる。

この修道院で作る発酵バターを使った「トラピストバター」や「トラピストバター飴」も売っている。トラピスト・バターは、フランス人修道士と日本人修道士が、長年研究を重ねて、乳酸菌で原料クリームを発酵させて作っているそうだ。

トラピスト・クッキーは、この発酵バターを練り込んで焼き上げている。明日の楽しみのため、そして血糖値のために、今日はここまでとしよう。

誰のプログか忘れたが、撮影用の安いマットがあるというので、これはいいと思って調べてみたら、裏表に格好のいい大理石調とか色々な模様が印刷してあるので、買ってみた。早速、それを使って、このトラピストクッキーを撮影してみた。

しかし、撮影技術はもちろん一切ないけど、あまりのセンスのなさに、我ながらガッカリする。ただ、今までのように、机の上や食卓テーブルの汚いランチョンマットで写すよりは、まだマシだろう。

全部で12袋あったが、この時点で8袋、今は4袋しか残っていない。これだけ残しても、どうにもならんな。食っちまおうか? こうして、私は糖尿病になった。

 

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「村上春樹『村上ソングズ』」

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村上春樹は、自分より6歳年上だ。作家になる以前、東京・国分寺でジャズ喫茶を経営していたことがあるという。それもあって、ジャズにもめっぽう詳しいようだ。この本にはジャズは基より、ポップスやロックなどの曲もある。

ブルース・スプリングスティーンやREM、ジョニ・ミッチェル、そして自分が大好きなビーチ・ボーイズの曲「ディズニー・ガール」が入っていた。この「ディズニー・ガール」は大好きな曲で、他のミュージシャンもかなり取り上げて歌っている。キャス・エリオット、キャプテン&テニール、アート・ガーファンクルなどだ。

本家本元の、ビーチ・ボーイズのが一番好きだった。しかし、この本の中でこの曲の作者のブルース・ジョンストンのソロアルバムで、彼がピアノの弾き語りで歌っているバージョンがあることを初めて知った。早速、Amazon musicで探して聴いてみたが、これぞ弾き語りという演奏ですごくいい。

そういえば、この本に「ガルヴェストン」という曲のことが書かれていて、この曲が流行ったのはヴェトナム戦争のピークのときだ。この歌詞の主人公は、徴兵されてヴェトナムの戦地に送られていて、生まれ故郷のガルヴェストンと、そこで彼の帰りを待つ恋人のことを思っている、という悲しい歌だ。

村上氏は、「彼はどうして何のために遠いところに送られて、人を殺し、あるいは殺されなくてはならないのか、おそらく理解できなかったはずだ。今でも同じことが繰り返されていると思うと胸が痛む。死んで行くのはいつも若い人々なのだ。そして、彼らを送り出すのは、いつも年老いた人々なのだ」と書いている。

今回のロシアのウクライナ侵略を見ていて、今でも同じようなことが繰り返されていると思うと、人間の愚かさに愕然とする。犠牲になるのは、いつも若い人や子供や女性なのだ。悲惨なニュースを聞く度に、やり切れない気持ちになる。

瀬戸内寂聴さんが言っていた。「いい戦争など絶対ない」と。今回、「侵略された方にも責任がある」と言っていた元政治家がいたが、そんなことがあるのだろうか?どんな理由があるにせよ、一方的に侵略して相手を殺戮し、強引にねじ伏せようとすることのどこに、正当性があるのだろうか。

 

 

「図書館で本を借りた ②」

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北広島図書館に行き、以前借りた本8冊を返して、また7冊借りてきた。実は、今回はその内の1冊しか読んでいない。ミステリーの「ナチの亡霊 上下」、「運命の書 上下」は、読み始めると夢中になるのだが、読み終えるのに結構時間がかかる。それを考えると、その時間が惜しい気がして、最初の数ページだけ読んでやめた。映画になっていたら、いいんだけどなあ。

「トランプで遊ぼう!」は、月に2回ほど預かる孫と遊ぶために、色々なトランプ遊びを覚えようと思った。結局、上の孫は今度小学生になるが、下の孫はまだ3歳で、簡単でないとできないので、この本には書いていない「神経衰弱」をやることになった。

「1人分から楽ごはん」は、健康や節約のために、自炊を少しでもやろうかと思って借りて来た。しかし、もう自炊は無理だと思って読むのをやめた。フライパンとか電子レンジで簡単料理とかいうのを最初やっていたが、半年くらいでやめた。

自分で作るものは、何を食べても美味いと思わなかった。それと、食材の管理も面倒で、生ものや野菜はすぐ傷んでくるので、それに追い立てられるようになり、ダメにするのも出てきたからやめた。

残りの1冊「村上ソングズ」。村上春樹氏のジャズからポップスなど、お気に入りの曲の歌詞と訳詞、そしてその解説。去年亡くなった、イラストレーターの和田誠氏が、各曲のイメージのイラストを書いていて、すごくいい雰囲気を醸し出している。この「村上ソングズ」の感想は、後日書くことにしよう。

 

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「村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』」

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これは、すごくいい本だった。以前、キース・リチャーズの自伝を借りたときと同じように、夢中になって読んだ。クラシック音楽は、ほとんど分からないが、その話ばかりでもまったく退屈しないし、逆に深い内容に引き込まれて行った。音楽の話はもちろんだが、一流の音楽家や指揮者の演奏や人間性など、話題が豊富だ。

小澤氏の非常に魅力的な人柄は相変わらずで、どこまでも真っすぐで飾り気がなく、そして愛嬌がある。世界の小澤だけに、言葉に重みがある。かなり昔に、小澤氏の書いた「ボクの音楽武者修行」という本を読んで、ファンになった。そして、数年前にNHKで放送した小澤氏の特集番組で実物の言動を拝見して、さらに大ファンになった。

対談相手の村上春樹氏だが、この人の小説は難解な気がして、自分には合わないと思っていて、人間的にもそんな感じだろうと思っていた。ところが、その想像は少し外れていた。音楽の知識もマニアどころか、もっと音楽を深く掘り下げて理解しているようだった。そうでなければ、小澤氏との対談で事前の準備をしているにしても、これほど中身の濃い対談は出来なかっただろう。

小澤氏も、村上氏のことを「あなたの音楽の聴き方は、すごく深い」と言って、かなり信頼しているのが分かるし、村上氏に巡りあえて良かった、とさえ言っている。小澤氏も、村上氏の深い質問や意見に対して、新たな発見や驚きがあったようで、村上氏は大したものだと感心するばかりだ。やはり毎回、ノーベル文学賞候補になるだけの人なのか。

年上で世界の小澤氏相手だから当然だけど、常に謙虚で敬意をもって話しているので、そのいい雰囲気がこちらにも伝わって来る。かと言って、変にへりくだるわけでもなく、自分の意見を堂々と述べているし、非常に魅力のある人だ。今度、小説は苦手だから、村上氏のエッセイを読んでみよう。

クラシックファンなら、カラヤンとかバーンスタインとか、伝説的な指揮者や音楽家が話の中にたくさん出てくるので、かなり面白いと思う。小澤氏が、彼らに愛されて、身近に接してきた色々なエピソードもある。それにしても、戦後単身でヨーロッパに行ってスクーターで駆けずり回り、巨匠たちに認められ、世界で認められて活躍した、唯一の日本人だ。改めて、スゴイとしか言いようがない。

この本は音楽のことだけではなく、人生や生き方についても色々と考えさせられたが、良書とはそうなのかもしれない。それで、キースリチャーズの本と同様に、早速Amazonで中古本を探して注文した。必ずまた読み返すとは限らないが、気に入った本を集めて書棚に置いておくと、なにか大事な宝物を持っているような、満たされた気持ちになる。子供のようだ。(笑)

 

「バーバラ・ストック『ゴッホ 最後の3年』」

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この本は、イラストのような、何んといったら良いのか、マンガだろうな。ゴッホの絵にマッチしているように色彩が鮮やかで、読んでいくとゴッホの苦しみや絶望や葛藤がよく分かる。作者はオランダのマンガ家で、「バーバラ・ストック」という。バーバラと言うのだから、女性なのだろう。ゴッホの半生を知るには、すごく分かりやすくて、いい本だと思う。

ゴッホの本物の絵を、オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館で観たことがあった。20代前半のときに、海外旅行に行ったときのことだ。ゴッホの絵を目の前で観て驚いた。近くで見ると、絵の具を厚くベタベタと重ねていて、いったい何を書いているのか分からなかった。それを離れて見てみると、迫力のある景色の絵になっていた。

激しく力強いタッチの絵で、絵画には素人同然の自分でも圧倒されるものがあった。有名な文芸評論家の小林秀雄氏が、展覧会でゴッホの絵を初めて目の前で観たとき、圧倒されて絵の前でしゃがみこんだという有名な話がある。それを後で知って、感性の鋭い人ならあり得るだろうと思った。

自分が高校生のときに、ラジオから流れてきた美しい曲「ヴィンセント」を聴いて感激し、ゴッホのことを少し知った。ドン・マクリーンというミュージシャンが、ゴッホのことを淡々と情感たっぷりに歌っていて、それはそれは美しい曲で、自分の大好きな曲だ。以前、ゴッホ美術館では、この曲が館内にずっと流れていたそうだ。

最近、歌詞の和訳を調べたが、だいたい想像していたような内容で、改めていい歌詩だと思った。ドン・マクリーンは、ソフトできれいな声で歌う。話は逸れるが、有名なソウル女性歌手のロバータ・フラックが歌って、日本でも大ヒットした「やさしく歌って」という曲の歌詞は、ドンマクリーンのことを書いてある。

ロバータ・フラックが、ドン・マクリーンのコンサートを聴いて感激し、ドン・マクリーンのことを書いたそうだ。歌詞がそうで、作曲は別の人だ。この曲も素晴らしくて、自分はこの曲がドン・マクリーンのことを歌った曲だと、結構最近になって知った。

ゴッホの絵は生前は認められず、生活も大変だったが、4歳違いの弟テオがそれをずっと支えていた。兄の絵を認めていて、絶対にいつか必ず世に出ることを信じ、最後まで仕送りをして励ましていた。ゴッホが37歳で亡くなり、半年でテオも34歳で病死で亡くなっている。この兄弟のことを思うと、人の一生って何なのだろうかと考えてしまう。

テオの死因は、元々体が弱く、兄のゴッホが自殺したショックもあったのだろうと言われている。ゴッホは自殺と言われているが、他殺説もある。しかし、ゴッホにずっと仕送りをして、励まし支えてくれたテオの困窮した生活を、死の少し前に見たゴッホはショックを受けていたと言われている。テオには、奥さんと1歳の子供がいた。

ゴッホが亡くなってから、徐々にゴッホの絵は認められた。そんなことを思いながら、ドン・マクリーンの「ヴィンセント」を聴くと、胸がいっぱいになる。「Starry,Starry night  星降る、星降る夜」と語りかけるように歌い始めると、ゴッホの傑作「星月夜(Starry Night)」が思い浮かんでくる。

 

 

 

ヴィンセント

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やさしく歌って

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「ブログを続けること」

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当初は、なんの気なしに始めたブログだ。当時、故郷で商店をやっていた友達を喜ばそうと思って、ふざけたことばかり書いていた。友達は、そんな記事を読んで「面白い」と言ってくれたので、ますます調子に乗って書き続けた。

その内、ネタも尽きてきて、友達も以前ほど喜ばなくなった。しかし今度は、新たなパートの勤め先の同僚達にブログの話をしたら、その人達が読んでくれるようになった。そのときの同僚2人が、未だにブログを読んでくれている。                        

親しくなったU氏は会うたびに「読んでるよ」と言うので、それが励みになって書き続けている。田舎の友人も今は旭川に住んでいるが、たまに見てくれているようだ。それがなければ、恐らくブログはとうの昔にやめていたかもしれない。

それと、ブログが少しでも収入源になるのではないかと、淡い期待を抱いたこともあった。しかし到底、収入源になるような読者数ではないので、あきらめた。それよりも、収入につながりそうなのは、在宅ワークの「ライティング」と言って、文章を書いてお金をもらう仕事だ。いつか、やってみたいと思ってる。

これも地道に、かなりの数の文章を書かないと、収入というほどのものにはならない。そのライティングの仕事に応募するときに、自分のブログをサンプルとして相手に見せると、記事を読んで判断してくれるので話が早い。それと、ブログの記事を書くことは、ライティングの勉強にもなる。とにかく文章が下手なので、少しでも上達したい。

そんなことで、ブログを書き続けているが、それでも時々「なんのために、こんなことをやってるのか?」と考えることがある。そして、「自分は文章を書いて、誰かに読んでもらうことが好きなのかもしれない?」と思ったりする。好きでなければ、続けられないだろうし、収入のためだったら、これほど効率の悪い仕事はないので、とても続けられないだろう。

「書くことがない!」と、いつも思う。それで、何日も投稿できなくなると思うと怖い。ただ、最近は予約投稿というのを利用して、一気にたくさん書いた記事を、掲載日をそれぞれ指定して、一度に投稿してる。そうすると、余裕ができる。それにしても、もうネタが尽きたと思い、何かないのかと考えると、また色々と思い浮かんでくる。

ブログには、不思議な魅力がある。誰かが読んでくれていると思うと、なにか嬉しい気持ちになる。去年の末から、他の人のブログを色々と読むようになったが、とても面白いし、色々と勉強になる。それと、なかには自分と同じように書き続けることに疑問を持ったり、苦労している人もいるのが分かると、仲間意識も出てきたりする。

出来る限り、続けて行こうと思う。いつまでやれるかは分からないが、楽しみながらやっていきたい。

「力を抜くのは、難しい」

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学生のときの夏休みに、2ヶ月間毎晩座禅をしていたことは、以前の記事に何度か書いた。そのとき、座禅をした後に「自律訓練法」というのも必ずやっていた。ベッドに仰向けになって寝て、片足ずつ、そして片腕から、徐々に重くなるというイメージをして、次は同様に温かくなるというイメージをする。

最後は心臓が静かに鼓動している。額が涼しい。というようなイメージをして、1セットが終わる。そのせいだと思うが、座禅をしていて体に力が入っていない状態だと思っていたのが、実はまだまだ力が抜けていないことに気づいてくる。それを自覚してから、力を抜くということは、本当は非常に難しいことだと分かった。

それからは、座禅をしていて心身ともに楽になり、このままずっと、いつまでも座り続けていたいと思うようになった。そうしている内に、ある時、体がガクガクとなって、さらに体から力が抜けた。気持ちがすごく良くなって、いつの間にか顔が笑っていることに気づいた。これが、座禅の効用なのかと思った。

今は、自律訓練法も座禅もほとんどやっていないが、腰も悪く、姿勢も悪いせいもあって、やはり体にいつも力が入っている。腰も背中も肩もバンバンに張っていて、指圧器や低周波マッサージ器のお世話になっている。精神的にも気が張っていて、ゆとりがない。それで、また座禅や気功をやってみようかと思ってる。

力を抜く独自の方法を考えたことがある。それは、バカ顔をすることだ。口をだらしなく開けて、目は半目で、できるだけ顔の力を抜き、今にもヨダレが垂れそうな顔をする。これを、学生のときに誰にも見られないように、空いている電車の中でやっていたが効果があった。力が抜けて、或る意味、痴呆のようになった。地方出身だけに…。

もう一つは、正座をして、そのまま上半身を前に倒して、床に這いつくばるようにする方法だ。これは以前、座禅をした後に、自然とダラーンと床に這いつくばったときに、すごくリラックスできて力が抜けた。なにか幼少の頃に戻るような気がして、不思議と落ち着いた。後で分かったが、気功にもこういう姿勢があり、ヨガでもあったと思う。

みなさんも、体に力が入っていてガチガチだと思ったら、やってみたらいいだろう。ただし、バカ顔はくれぐれも人に見られないように。自分も、一度だけチラッと人に見られたことがあったが、急いで口を上下左右に動かして、歯が痛いようなしぐさをして誤魔化したことがあった。女性は、やらない方がいいだろう。