オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「リサイクル・ショップで買った、ビジネスバックの中身」

先般、リサイクルショップの「ハード・オフ」で、ビジネスバッグを買った。税込みで1650円だった。パートの仕事で、管理人室に持って行くのに買った。ほとんど使わないが、ノートパソコンも持って行ってる。今までのバッグは、床に置くとベタッとなるので、気に入らなくて、バッグが立つようなのが欲しかった。

それで、いつもの「ハードオフ」で見てたら、良さそうなのがあったので買って、仕事に行くときにずっと持って行ってる。バッグが立つので、物を出す時も出しやすいし、バッグの底に鋲が打ってあるので、汚れが本体に付かないのでいい。

ただ、このバッグ、買ってきてから外側のポケットの中身を見たら、色んなものが入っていた。前に使っていた人の物が、そのまま入っていた。買い取った後に、アルバイトの兄ちゃんがバッグの掃除を頼まれて、ここだけ忘れたのかもしれないな。

 

あまりにも色んなものが入っていて、前の人の顔写真入りの何かの証明書やら、使用した汚れた白手袋も入っていたので驚いた。飴玉に割りばし、さらに、色んな地域のマップも入っていた。自分も今まで多くのバッグをハードオフで買ってきたが、こんなのは初めてだ。

証明書で、このバッグの前の所有者の名前も住所も、年齢もすべて分かった。個人情報もなにも、あったものではない。それでも、気持ち悪いものが入っていなくて、まだ良かった。

「もしかして、コロナに感染してたのかも?」

先般、友人U氏がコロナに感染したということで、自宅療養になった。その後、それも終わって、久しぶりの食事会をした。感染したときは、喉が少し痛くなったそうだが、熱はなかったそうだ。

その話を聴いて、自分もその頃だったと思うが、喉が痛くて喉スプレーをしたり、喉飴をずっと舐めていたことを思い出した。そのときは、もしかしたら感染しているのではないかと思い、熱を何度も計っていたが、それほど熱があると言うわけではなかったので、大丈夫だと思っていた。

            

これだけコロナの感染が広がっているので、無症状の人もかなりいるんだろうと、U氏と話していた。自分は、4回目のワクチンをその少し前に打っていたので、そのせいもあって軽症で済んだのかもと思ったが、効果があるのは接種した2週間後とU氏から聞いたので、どうなのだろうか。

もう一人の管理人O氏は、一切、ワクチン接種をしていない。ワクチン陰謀説を強く信じているからだ。これは、マイクロソフトのビル・ゲイツの元の奥さんの何んとか基金が関係する陰謀だとか言ってた。

              

いずれ、通信が5Gになったら、それに反応して、ワクチン接種をした人が病気を発症するとか、何んとかかんとか言っていたが、難しくて自分にはよく理解できない。かの、エリック・クラプトンも、ワクチン接種をしていない。長生きして欲しいけどね。

「海外旅行で、危なかったこと」

20代中頃に、1人で欧米旅行に、1ヶ月半ほど行ったことがある。本当は、海外旅行どころか、国内の旅行もあまり好きではなく、バスや列車にも1人で乗れなかった。それが、失恋をしたことと、仕事のことで悩んでいて、それで会社を辞めて、実家の親父がやっている会社に行くことになった。

負け犬のようで、こんな惨めな気持ちで実家に帰りたくないと思った。だから、本当は海外旅行なんて行きたくなかったけど、なにか自分の一番苦手なことを克服しないとダメだと思って、行くことにした。

結果としては、行ってみて良かったと思ったが、危険なこともたくさんあった。それはすべて、アメリカでのことだった。当時は、アメリカは失業者が多かったようで、治安も悪くて非常に物騒で、ニューヨークの地下鉄では、乗客はみんな壁に張り付いていると言っていた。でないと、線路に突き落とされるということだった。

             

「舗道のビル側を歩くな!」とも言われた。ビルの間に引きずり込まれたら、最低でも10ドル?をすぐ渡せと言われた。でないと拳銃で撃たれるという話も聞いた。英語は全然分からず、行くときに羽田空港の本屋で「ミッキー安川のSOS英語」という本を1冊買って持って行き、使った。従って、英語が分からないので、危ない目にもあった。

ロスアンジェルスだと思ったが、有名な楽器店に行こうと、方向音痴の自分が地図を見て歩いていたときだ。段々とひと気がなくなり、すれ違った米国人らしい若い男性に、地図を見せて楽器店への道を聴いた。案の定、言っていることがサッパリ分からず、ただ「デンジャー」という単語だけ聞き取れた。              

どっかで聴いたことがある単語だなと思ったが、「オーケー!」とか言って、言われた方向に歩いて行った。すると、道を挟んだ左手に灰色のコンクリートの平屋建て住宅らしいのが、ズラッと並んでいた。そして、パトカーが数台停まっていて、数人の警官が各家の中を見て回っているようだった。指笛がピューピューと鳴り響いていた。

後で、向こうで知り合った若い日本人の男性旅行者と話していたら、あそこは南米系の住民の集合住宅で、危険なところだと分かった。警察が、ちょうど立入り検査をしていたから、助かったんだと言われた。警察がいなかったら、危なかったと。ちなみに「デンジャー」は、「危険」という意味だった。「あっちは危険だぞ」と教えてくれたのだ。

            

サンフランシスコの街を歩いてホテルを探していたら、高層ビルが建っているが、人通りのまったくないところに出た。すると向かいから、ラフな格好をした、タチの悪そうなオヤジ連中が4人ほど歩いてきた。1人はごつい体格でサングラスをかけていて、片腕を懐の中に入れていた。これはマズいなあと思いながら、すれ違った。

「あー、助かった!」と思ったら、その男が走って自分を追いかけて来た。これはもうダメだと思ったら、「マネー!マネー!」とか言う。金をくれと。片腕を懐から出して、持っている拳銃を突き付けられると思った。そのとき、自分は髭ボウボウで汚い格好だったので、自分も金に困っているように「ノー・マネー」とか適当に言ったら、「オーケー」とか言って、戻っていった。よく見ると、片腕の人だった。

参ったなあと思って、辺りを見たら、そこら中のビルの間の壁に、やばそうな連中が何人も寄りかかっていた。ゾーッとして走り去りたかったが、追いかけられるようで怖くて、早歩きでその場を去った。

           

安いホテルにしか泊まらなくて、夜、向かいにあったスーパーに食べ物を買いに行った。全面ガラス張りで、外から明るい店の中が丸見えだ。買い物をして帰ろうとしたら、店内の水飲み場か手洗いのところで、ホームレスのような男性が泣きながら水をガブガブ飲んで、自分を見て、なにかくれと言う。一瞬、買ったパンか、少しの金をやろうかと迷っていたら、すぐ店の人が来てどこかに連れて行った。

参ったなと思って外に出た。すると、道路を挟んだ薄暗い向かいのビルの壁に、たくさんのホームレスのような男達が寄りかかって、こちらをジッと見ていた。店内でのやり取りをずっとガラス越しに見ていたのだろう。もし、パンや金なんかホームレスに渡していたらと思うと、ゾッとした。その2日後に、そのビルのすぐ隣りの小さな公園で、刺殺事件があったことを聞いた。

          

そのときは、旅行を始めてから、1ヶ月くらい経っていて、髭は一度も剃らないので、口の周りもあごの周りもボウボウだったのと、格好も上はヨレヨレのシャツで、下は前の会社の作業ズボンだった。「こいつは、金は持ってないな」と思われたのか、同じホームレスと思ったのかもしれない。それが、幸いした。

それ以外にも、テレビで観るような、危険なシーンも近くで色々と見た。アメリカはすごいなあと思った。よく、無事で帰れたもんだ。

「発泡スチロール事件」

 

この前、少し話すようになった、話し好きの30代男性が、夜中に上の階で騒音がすると言う。しかし、前には「夜はずっとヘッドフォンを付けているので、騒音がしても分からない」と言っていた。そして、朝方の3時頃に誰かが玄関のチャイムを鳴らした。…ような気がする。と言う。

さらに、自分の部屋のベランダに、建設資材の発泡スチロールみたいのが2個飛んで来たので、処分して欲しいと言う。結構な大きさだと思った。自分にその話をするために、出かけるときや帰って来たとき、エントランスにずっと居て、郵便ポストの中をずっと見ていたり、掲示板を長々と見ていて、なかなか中に入らない。

         

監視カメラでこっちが見ていると思って、自分が出てくるのを待っているようだ。だから、監視カメラを見てジッと静かにし、絶対に出てやらなかった。そう、簡単に出てたまるか! その日は諦めたようだが、翌日、とうとう昼休みに管理人室のドアをノックしてやって来た。

そして、上記の話をしたわけだが、同じ話をダラダラと話し、話が終わってドアを 閉めて中に入ろうとしても、ジッと黙ってこっちを見ているので、なかなか入れない。

昼飯を食べてから、大きなビニール袋を持って、発泡スチロールを彼の部屋に取りに行った。すると彼は、「ちょっと待ってください。持ってきます」と言って、奥に入っていった。そして、持って来た。

右手の親指と人差し指で、発泡スチロール2枚を挟んで。2枚重ねてティッシュ箱くらいの幅で、厚さはその半分だった。自分は「こ、これ!」と言って呆然としたが、「いいですよ」と言って、ビニール袋に入れて持って来た。

            

そのときの自分の様子を見て、彼は少し察したようだ。それから、管理人室に寄りつかなくなった。なんたって自分が後ろを向いて帰ってくるとき、内心は「何考えてんだ、バカヤロー!」と怒りに震えていたからだ。

自分の後姿は、炎がメラメラと燃え上がって見えたかもしれない。当分、怒りは収まらなかったが、しばらくすると「しかし、参ったなあ」と可笑しくなった。発泡スチロールを、指でつまんで持って来た姿を思い出して、吹き出した。でも、頼むから、もうやめて欲しいな、あんなことは。

現物。塵取りの大きさと、比較して欲しい。小さい方はティッシュの箱と同じくらいだ。

 

「TV番組 ”やり過ぎ都市伝説”を観て」

この前、「やり過ぎ都市伝説」というテレビ番組を途中から観た。関という人の、あの話し方が嫌なんだけど、話していることは興味があるので、いつも観てる。ただ、どうも「〇〇だからね」とか「〇〇なんだから」という言い方が、好きになれない。

そのときの話は、自分も気になっていたことだったので、すごく興味があった。日本の防衛ということだったが、今の日本政府は真剣に考えてなどいなく、賄賂と癒着で腐り切った政治家達では話にならないと思っているので、尚更、危機感を持った。

やはり、ロシアが北から攻めて来た時は、中国も南から攻めてくるだろうし、逆に、中国が南から攻めてきたら、ロシアは北から同時に攻めてくるだろうと思っていたが、そんなことも言っていた。

危機感が全くない無能の政府で、我が国の将来はどうなるのだろうか。首相になった記念に政府専用機に乗って、ほとんど誰もいない国連に行き、ほとんど誰も聞いていない中で演説しても、格好つけただけで満足だったのだろう。そして、NISAがどうのこうのって、今こんなときに、国葬だのNISAしかないのだろうか。

          

関氏は、日本の水資源のことも話していた。その話は、以前から耳にしていたが、政府はどれだけ手を打っているのだろうか?日本がスパイ天国だということや、ネットのセキュリティ対策についても、ほとんど対策が出来ていないそうだ。デジタル庁でもなんでも、本気でやっていない。一応やっているという、見せかけばかりだ。

若い頃は、我が国の政府や東大出の大臣や官僚は、色々と深く考えて対策しているのだろうと思っていた。しかし、実態が分かるにつれて、対策らしい対策がほとんどされていないことが段々と分かってきた。それどころか、自分達の私腹を肥やすシステムばかりを次々と作っていた。

こんな番組ではなく(怒られるか?)、真剣に取り上げて議論する番組が、いくつも出て来ないとダメだと思う。

「憂鬱な、毎年の冬の雪」

去年10月からの大雪で、今勤めているマンションの管理人は、除雪でどうにもならなくなり、2人一緒に辞めた。狭い駐車場で、雪を捨てる場所がほとんどない上に、小型の除雪車が駐車場の中に入れなくて、しかも運転手が未熟だったようで、ほとんど除雪出来なかったようだ。

そのため、管理人は掃除も一切やらないで、丸一日除雪に追われていたようだ。入居者からは苦情がずっと入っていたようで、除雪車があてにならず、どうにもならなくなったようだ。

管理人が駐車している、駐車場の端っこは鉄のアーチの入口とギリギリで、今でもやっと駐車しているのに、雪が積もって、さらに狭くなった所に駐車できるのか心配している。前にも書いたが、このマンションは全てが本州仕様なので、駐車場も雪が積もることを想定していないようで、間隔がすべて狭くて、雪を捨てる場所もほとんどない。

          

我が家も同様だ。以前、横の道路の向かいの家のオヤジが、大型トラックの運転手で、最初は裏の空き地の道路脇に、その大型トラックを停めていた。しかし、あるときから、我が家のすぐ隣の空き地に停め始めた。

それで、雪が降って積もると除雪車が朝方、雪を削って脇に除雪して行くが、その大型トラックを避けるので、我が家の雪がまったく排雪されないで、ゴッソリと残った。それで、除雪センターに電話して、大型トラックをよけさせてくれと言った。

この大型トラックのオヤジは、元ヤクザという噂があり、タチが悪そうだったので、除雪センターには、自分の名前は出さないでくれと頼んだ。相手も慣れているようで笑って「はい、分かりました」と言った。数日後に警官がオヤジの家に行って、トラックをよけるように言った。その様子を、我が家の2階からこっそりとのぞいていた。主夫は見た!

           

「いいべやなあー!」と、オヤジが大声で警官に怒鳴っている声が聞こえた。それから、大型トラックはいなくなった。今は、その場所に家が建ったので、安心していたが、ここ最近、このオヤジのワゴン車が、ずっと我が家の向かいの道路の舗道に停めてある。まさか、また冬の間も停めておくんじゃないだろうなと不安だ。

こんな雪のトラブルは、北海道では日常茶飯事で、我が家の隣りに越して来た40代の夫婦は、越して来たときに「ウチの駐車場の屋根と、お宅の物置の屋根が隣接しているので、雪が落ちたり、何かあったら言ってください」と何度も言った。自分も注意して、頻繁に声をかけている。

隣合わせになる住宅では、特にトラブルが多い。前に勤めた不動産会社でも、その苦情で毎日、何本も電話があった。隣の家の屋根の雪や雪庇が、自分の敷地や車に落ちるとか、道路に雪を捨てるので車が出られないとか、雪を捨てる場所がないとか、色んな苦情がある。今年は、いったい、どんなことになるのやら。

「確かに、気力がなくなってるな」

前の記事で、「朝起きるのが楽しくなるような趣味を持つ」と書いたばかりだが、まだ色々と考えている。考えてみれば、55歳までは結構色々なことに意欲があり、ギター製作講習に通っていたり、海外旅行にも何度か行っていて、気力はまだまだあった。それが60歳を過ぎてから、色々なことがあり、徐々に気力がなくなってきた。

「老人性うつ」と呼ばれる症状が、65歳からあるそうだ。その症状を見てみると、ほとんど自分に当てはまる。特に「無気力」、「事あるごとに自分を責める」、「趣味や興味があることを楽しめない」というのが、まさしくそうだ。

若い頃とは違い、先が見えてきたこともある。数年前に、もうそれほど生きている年数がないんだと思って愕然とした。50代の頃に立てていた、20年30年先の人生計画ではなくて、もう、せいぜい長くて10年計画だ。というより、エンディングノートだな。

         

「これから、何をやっても遅い」と思うようになると、なにもやる気がしなくなった。「老人性うつ」の症状に、「自殺を考えるようになる」というのもあった。自分は自殺は考えないが、それでも、今でもマンションの掃除をしているときに、ふと思うことがある。

9階から下の階に順に掃除をして来るが、まず9階の窓から下を見て、「ここから落ちたら痛いのか?痛みを感じないで死ぬのか?間違いなく即死するのか?」と思う。6階だと、「打ち所が良かったら、重症くらいで死なないかな?」とか、3階だと「怪我はするけど、死なないだろうな?」とか思ったりする。

男性の場合は女性と違って、人との付き合いがあまりないので、老後は特に「老人性うつ」になりやすいようだ。そうならない対策として、「なるべく日光に当たる」ということや、「外に出てみる」ということがあるようだ。自分もなるべく、買い物に出ているが、「日の光に当たる」ということを、特に意識したことはなかった。

         

確かに、朝早くにゴミ捨てに行ったり、木工室や物置に用事があって外に出るときに、「なんて気持ちがいいんだろ!」と思うことが、よくある。日の光と外の空気というのは、パワーを与えてくれるのだろう。今日は、女房は朝5時に登山に行くし、朝からゆっくりと、家の周りの草刈りでもやってみようかな。

「画期的な、足こぎ車いす”コギ―”」

録画していた、8月25日の「カンブリア宮殿」を観た。「乗る人と家族を笑顔に変える!諦めない男が仕掛ける魔法の車いす」という題名だった。リハビリ用の「足こぎ車いす」を作って販売している、「TESS」という会社の話だった。

社長は、鈴木堅之氏で48歳。元は小学校の教師ということだ。生徒を教えていて、体育の時間になると、1人でポツンと教室に残っている車椅子の少年がいて、その少年も動いて運動できるような車いすができないか、と考えていたそうだ。

そうしたら、この「コギー」があるのを見つけて、教師を辞めて、販売する会社を起ち上げたということだったと思う。間違っていたらごめんなさい。

まだ歩けない赤ん坊を持ち上げて立たせると、本能的に右左と順に足を出すそうだ。そういう人間の反射神経を利用した車いすで、もう歩くことができない身障者の人でも、この車椅子に乗ると、電動でもないのに自分の足が勝手に右左と動いて、車椅子を漕ぐことができる。すごく、画期的なことだ。

               

これを見たときには驚いた。足どころか、体全体がダラーンとして力が入らない重度の身障者でも、足が動いて漕いでいるのだ。本人はすごく驚いて、喜んで漕いで走っている。目を輝かせて、満面の笑みで喜んでいる姿を見ると、こちらまで嬉しくなって来る。

もう、2度と歩いたり、動けないと思っている人にとっては、どれだけ嬉しいことだろうか。この車いすを、施設だけでなく、実際に自宅で使用していて、街にも出歩いて、買い物や食事に行っている人もいた。施設では競争もさせていたが、皆の嬉しそうな顔は忘れられない。

これを続けていると、足に筋肉が付いて、症状が改善するらしい。高齢者で寝たきりの人でも、足に筋肉が付くと歩けるようになったりするそうだ。素晴らしいものだと思う。ただ、現状は、国から医療機器と認められていないので、患者の1割負担ということにならず、価格が33万円するので、それほど売れていなくて苦労しているそうだ。

           

こんなとき、バカ政治家がアベノマスクだの、国葬だとかに莫大な税金を使い、その内のわずかでも、こういう困っている人のために、金を使うことはできないのだろうかと思う。無駄に多過ぎる議員だって、1人5千万円もかかっている。それほど価値のある議員がいるのか?そんな無駄なことに税金を使って、困っている人はたくさんいるというのに。

我々の血税が、当たり前のように政治家や官僚や役人の、贅沢のための収入源になっている。なにが、上級国民だ。国民の金を搾取して、泥棒や詐欺師と一体どこが違うのだろう。北朝鮮や中国やソ連と、どこが違うんだと思う。

「コギー」をサッサと医療機器に認定しろ、と思う。大手医薬品メーカーには、今も厚生労働省から上位30社に天下りが行っているようで、医療業界全体も、談合と賄賂まみれなのだろう。それによって、認定などの優先順位も決まっていく。どこの業界も、こんなことだろう。こんなバカげたことを、この国はいつまで繰り返して行くのだろうか。              

            

このTESSの経営内容は、今のところ、ほとんど利益はないという。こういう会社ほど、利益を出して、いい会社になって、さらにいい商品を作り続けて欲しい。売れると大量生産が出来て、価格も下がる。そうなると、まだまだ売れていく。是非、頑張って欲しい。

「自分を鍛えてくれた、班長さん」

「手ぶらで帰ってくるなー!」と、水産会社のときの班長さんが大声で叫んでる声を、今も思い出す。自分が24歳のとき、水産会社にやって来たが、そのときに女工さんの班長が、明治生まれのオバサンだった。

翌年から、工場長が辞めたので自分が工場長になって、30人ほどいる女工さんを使うようになった。しかし、それまで事務をやっていたので、なにがなんだか分からず、大まかな段取りや仕事内容をほとんど班長さんと相談して決めた。

自分もずっと現場で、女工さんと一緒に原料の処理をしたり、フォークリフトで冷蔵庫に入れて、手作業で荷物を積み上げたりとかやっていた。この班長さんが、とにかく働く人で、妥協を許さなかった。責任感は、職員以上だった。

        

手を抜いている女工さんは、すぐ怒鳴られた。他の水産加工場で班長をやっていたオバサンが、ウチの工場に来て驚いていた。或る日、自分に「こんなに会社側で、一生懸命働いている班長さんは、他にはいないよ」と言った。このオバサンも、色々な水産加工場で働いてきたが、こんな班長さんは見たことがないという。

自分も何度、怒鳴られたか分からない。「次の仕事はどうすんだ!用意しなくていいのか!女工はみんな手が空くぞ!」と怒られ続けた。だから、段々と段取りが上手くなって行ったが、女工さんと一緒に原料を処理し、合間を見て冷蔵庫に入れて、次の段取りを考えて用意するので、絶え間なく動いて工場を走り回っていた。

そのときに、班長がよく言っていたのは、1つの仕事を終えて、女工さんが移動するときに「手ぶらで、帰ってくるな!」ということだった。帰って来るときに、こちらに持ってくるものが、なにかあるだろうと言うのだ。無駄に何度も往復しないで、一度でやれということだった。

今のマンションで、ずっと続けていることがある。例えば、午後4時頃から管内の巡回や水道管の点検をするのだが、そのときに、必ず粘着テープのコロコロを持って行くようにした。朝、掃除をしてキレイにしても、エントランスのマットやエレベーターの床のマットは、その後、必ずゴミで汚れる。それを巡回のついでに、コロコロでキレイにする。

             

だから、自分の当番のときは、かなり館内はキレイだと思う。入居者の人からも「いつもキレイにしてくれて、ありがとう」と言われる。前任者が、いい加減だったこともあるが。(笑) 土日は管理人は休みなので、月曜日に出勤するとエントランスもエレベーターもゴミだらけで、よくこんなに汚すもんだと感心する。

他にも、管理人室を出るときは、用事のついでに、なにかやることはないかといつも考えている。些細なことだが、これは、水産時代に班長さんに教えてもらった影響かな、と思うようになった。班長さんには、仕事の厳しさも仕事の段取りも叩き込まれた。今、そんなことが体に染みついているのかなと、思ったりする。

自分がヘトヘトになって、倉庫の2階で2~3分ほど横になって休んでいたら、班長さんが用事で呼びに来て、「もう少し休んでいなさい」と言われたこともあった。そして、1年が過ぎ、女工さんの仕事がすべて終わって、班長をワゴン車で家まで送って2人きりになったとき、「あんたは、よく頑張った」と言われて、どっと涙があふれた。

この班長に言われたことが、何よりも嬉しかった。もうすでに故人になってしまったけど、本当にありがとうございました、佐藤チエさん。

「毎朝、起きるのが楽しくなる趣味」

先般、古本屋のブックオフで、安くていい本を見つけた。「河村幹夫 人生は65歳からが面白い」という本だ。もう、9年前に発売された本なので、価格も税込みで220円と安かった。実は以前から、ここのブックオフにこの本があるのを知っていた。

この本の著者は、大学卒業以来、三菱商事に58歳まで勤めていて、それから多摩大学の教授に転職している。シャーロック・ホームズの研究家で、著書「シャーロック・ホームズの履歴書」で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。今から3年前に、84歳で亡くなっている。

             

今回、買ってきた本はなかなか面白くて、人生の先輩が自分の年代のことを色々と書いているので、参考になった。その中で、やっぱりなあと思ったところがあった。以下、少々長いが抜粋する。著者の同年配の知人が、こういう話をしてくれたそうで、

「悠々自適な生き方をしているよ。何時に起きても寝てもいいんだ。心身ともに健康だと思っているよ。贅沢さえ慎めば、夫婦二人の生活費なんてそんなに多くはいらない。ただ困るのは、さて今日は何をしようか、ということなのだ。なにも義務付けられていないし、何の予定もない。だから起きても困るんだよ。

仕方がないから目が覚めると、まずベッドの中で、さて今日は何をしようかと思いめぐらすのだが、なかなか具体的なことが浮かばない。結局、ベッドを離れるのは10時頃かな。一日は短いようで長いよ。時々困ってしまうんだ」。

それで著者は、「シニア世代の生き方の一断面かな。うらやましいな、という気持ちが半分。なにかやりたいこと、好きなことを見つけて、もっとリズム感のある生活に切り替えたらよいのに、今のままでは気の毒だな、という気持ちが残り半分でした」と言っている。

              

これは、まさしく自分の今の心境で、ずっと悩んでいることだ。実際、自分のように思っているシニアは、多いのではないだろうか。以前勤めた分譲マンションの管理人のときに、ほとんど顔を見ないシニアの男性が多くいたことを思い出す。

著者は、これからは「ゴロゴロシニア」でいくか、「アクティブシニア」でいくか、と書いている。自分はやっぱり、「アクティブシニア」の方だなと思って、今から、朝起きるのが楽しくなるような趣味を持とうと、真剣に考えている。朝起きて、「さて、続きをやろうか!」という楽しみを。