オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「溜息しか出て来ないね、この国の政治家には」

自分の保身しか考えていない、今の自民党の政治家達には失望するばかりで、不祥事が起きても「またか」と思う。そして、古参の横柄な言動。老害としか言いようがない。それと、自民党政権は、根本的に癒着体質があり、それに関わっていない人はいないのではないか、というくらいだ。

野党の政治家にしてもパッとしたのがいなくて、「これは、アカンなあ」というのばかりだ。政府に不祥事があると、父っちゃん坊ちゃんみたいなのや、まだ居るのかというような古参の野党代表が会見するが、これが心にまったく響かない。ただの不平不満症が、毎回、ダラダラと悪口を並べ立てているように聞こえる。熱意がない。

政治家になる人は、ほとんど金が目的だろう。議員給与の他に、かなりの特典があり、その年収は一般の国民の給与額¥5200万円くらいに匹敵するという。月100万円の給与は少な過ぎるという自民党の議員がいたが、給与だけの年収1200万円の4倍以上の額を、実際は手にしていることになる。

           

それでも、「これだけ優遇されているから、少しでも国民のために頑張ろう」などという気持ちなんか、微塵もない。そもそも、世界の先進国から比べても、議員の数が多過ぎて、議員給与も手当も高過ぎるようだ。しかし、それを決めるのも、姑息な彼ら自身だから、絶対に議員を少なくしたり、議員手当を下げるようなことはしない。

国民の意思とは別に、自分達で好き勝手に決めるのだから、おかしな話だ。官僚や役人の給与も、同じことだ。国民が、首相や官僚を選び、国民が政治家や役人の給与も、すべて決めるようにならないとおかしい。元は、我々国民の金なんだから、当然の話だ。

今の自民党政治は、業者との談合や癒着の金まみれの政治で、上に倣えで官僚や役人も同じことをやっている。癒着や談合に関係している業者はかなりの数で、それが普通のように社会にまん延している。そして、その業者は、自民党に票を入れるので、ウイン・ウインの関係だ。

         

政治家は、大金を業者から受け取って、その見返りにそれに見合った仕事を与える。以前、オリンピックの組織委員会の会長が「自分の給与は、これだけだ」と、マスコミに威張って言っていたが、実際に業者から裏で受け取っているのは、比較にならないくらいの大金だ。今、それが問題になっているが、自民党では、そんなことは常識だ。

今になって関係者の証言が出てきたから、問題になっているということなのだろうけど、それもすぐウヤムヤにされるだろう。大物政治家は捕まらない。これも内部の癒着があるからだ。例外的に、田中角栄が捕まったのは、米国政府が関わっていたからだという話がある。

政治家と業者が癒着して、儲かるのは両者だけだ。その分、上乗せになった工事費や諸経費は、血税で払ってるという認識を、国民はいつも頭の中に入れておかなければならない。この悪しき習慣を変えるには、今の腐り切った自民党政権を替えるしかない。そして、野党に少しでもいい党が出てくることを願う。

かつて、民主党が政権を取ったときに大失敗したので、国民は野党はどれもダメだと思ったことだろう。あんなひどいことになるなら、こんな自民党でもまだいくらかはマシか、と思ったのかもしれない。

「女房は、無事に帰ってきた…」

まず、この写真を見て欲しい。女房が今回登山に行って来て、最終日にラインで自分に送って来た写真だ。このハシゴ?を登っている、赤い服を着ているのが女房だ。これを見て、もしかしたら女房が先に死んで、自分はゆったりと一人の老後を楽しむ、ということはまずないと、あきらめた。 邪魔なので、命綱も付けていないという。なんと!

自分より3歳年下の女房は、今、64歳だ。今回の登山は、自分と同年齢の67歳のオバサンと2人で行ったという。とにかく、登山をやる人は高齢の人でも、驚くほど元気だ。熊の生まれ変わりか、と思うほどだ。まあ、女房は家事はほとんどやらないで、パートで働くだけだから、力も有り余っているのだろうが、それにしても元気だ。

自分の母親は69歳で、胆管癌で亡くなった。当初は、なんでウチの母親だけ早く亡くなるんだと思った。自分が小中学生の頃、父親の兄弟3家族で、各家が廊下で繋がっている長屋のような家に住んでいた。長男、次男、そして3男の親父という構成だった。その後、別々に離れて暮らしたが、長男と次男の奥さんは、まだ生きている。90歳近いのか。           

長男の奥さんは、旦那が少しボケるとすぐ老人ホームに入れ、自分は娘が近くに居たので、1人で住んでいた。この奥さんは、旦那の面倒を見るような人ではなかった。いずれ旦那が亡くなると、自分もすぐ老人ホームに入った、のか入れられたのかは分からないが、まだ元気だったようだ。娘3人の家族が、近くに住んでいた。

          

次男の奥さんは、ウチの母親が亡くなった時期に、ちょうど旦那も癌で亡くなり、その後、認知症になっていき、老人ホームに入院した。数年後に長女が心筋梗塞で、長男が手術中の事故で、次々と亡くなった。ただ、その死を理解できているかどうか分からないという状態だったらしいが、逆にそれが幸いだったかもしれない。

そんなことを見ていたら、人の幸せは生きている長さではないなあ、と思うようになった。特に老人ホームの設備管理のパートで働いていたときに、入居している老人達の姿を見ていて、悪いけれど、こうなったらもう終わりだなと思い、なにが幸せなのかと考えさせられた。明日は、我が身だ。

ウチの女房にしても、自分が死んだ後に、まだ30年は生きそうな勢いだが、ただ、自分亡き後、1人で幸せに老後を生きて行けるのかというと、それほど簡単なことではないと思える。まず、なにもやらないので、家は荒れ放題になる。その点は、女房も分かっていて、すぐこの家を売って、小さなアパートにでも住むと言ってる。

        

そして、札幌に住んでいる姉家族の近くに引っ越すと言っている。次男坊はすぐ近くに住んでいるし、長男坊もココから車で40分のところに住んでいるが、これも難しいところで、もし女房が先に死んで、自分が残ったとしても、子供を頼らないと思っている。子供が男の場合は、嫁さんがいるので難しい。これが娘だと、旦那がいてもそうではないようだ。

女房の唯一の趣味である登山にしても、後、何年楽しめるのだろうか。そんなことを考えると、幸せな老後になると断言はできない。長生きすることが、イコール、幸せなことではない。

自分も後2年で、母親の亡くなった歳になる。あっという間のことで、信じられない。そして、なんだかんだ言っているうちに、そろそろ自分の番が近づいている。ただ、その実感が、いまだにないのだから困る。

「女房の留守中にやったこと」

女房が、9月12日~18日の1週間、長野の槍ヶ岳と奥穂高岳に登山に行き、昨晩、帰って来た。自分は、9月12日~14日まで、朝から夕方までパートの仕事だ。そして、15日~20日まで休みなので、家のことやら自分のことやら、色々とやる計画表を作った。

まず15日は、まず自分の衣服の洗濯とタオルケットの洗濯、それと、トイレと風呂と洗面台のマットの洗濯、昼前にスーパーに食材などの買い物に行った。昼からは、食卓テーブル、電子レンジ、冷蔵庫の拭き掃除、そして、スプーンやフォークなどの整理をした。

16日は、翌日17日に、孫2人を朝8時から13時頃まで預かることになったので、そのときのオヤツや飲み物をスーパーに買いに行った。昼飯は「ほっともっと」で買い、晩飯の蕎麦はセブンイレブンで買った。それと、ホームセンターで、掃除関係の物を買った。昼から、孫達が遊ぶ居間に掃除機をかけ、拭き掃除。ついでに、1階の廊下と階段も拭き掃除。

        

17日は、孫達が来る予定だったが、風邪気味で咳が出ているということで、中止になった。残念。それで、息子が休みなので孫達と一緒に居て、嫁さんはパートの仕事に行っていないと言う。自分の分もあったので「ほっともっと」で、皆の分の昼弁当も買って届けた。それと、買ってあったオヤツや飲み物も。

昼からは、家の周りの草刈りをやろうかと思っていたが、雨が少し降ったので止めた。それで、トイレや洗面所や台所の床の、拭き掃除をした。後は、テレビを観たりしてゆっくりした。

18日は、昼から、千歳に居る長男坊家族に、自分が使っていないアイロンやアイロン台、それとノートパソコンを届けた。車で片道、約40分だ。行く途中で、産直市場で果物を買い、隣接しているパン屋で菓子パンを買って、持って行った。生後8ヶ月の孫は元気だが、抱っこしたら泣きそうだったので、すぐ嫁さんに返した。

            

ということで、サッと玄関先で会って、すぐ帰って来た。昼からは、最後の1人の時間を満喫するように、何もしないで寝たり、ボーっとしていた。女房は夜9時半に帰って来た。ということで、またも大したことは出来なかった。せっかくの休みに掃除ばかりして、なにが楽しいと思われるだろうな。(笑) 

ところで、今日も祭日で休み、明日も、もう一人の管理人と交替して休みだ。まだ、休みは続く。なにしようかな。

「思い込みが、その通りになる?」

「もう、書くことがないなあ…」と困っているときに、他の人のブログを読んでいると、その記事にインスパイアされて「そうだ!」と思って、自分もそれに関する記事を書くということがよくある。いわば「相乗り」か、「便乗」か。(^^)v

何人か愛読しているブログはあるが、今まで「Rittaさん」と「ずかとも」さんのブログの記事を読んでいて、いくつか記事を書いたことがある。今回も「Rittaさん」の記事を読んでいて、成程なあと思った。  「Rittaさん」は、体重のことで書いていたが、飲酒とかでも開き直って嗜んでいる人が、案外長生きしていたり、前に書いた記事のように、高齢になっても肉をたくさん食べている人が、長生きしている場合もある。瀬戸内寂聴さんや、医師の日野原重明さんだ。

確かに、体に悪い悪いと思ってやっていると本当に悪くなり、悪くないと思ってやっていると、悪くならないということがあると思う。思い込みで、結構違うのではないだろうか。

血糖値をほとんど毎朝、指に針を刺して血を出して、測定器で計っている。昨日はこれだけ甘いのや菓子を食べたから、ひどく上昇しているだろうと思っていると、下がっていたりとか、またその逆も多々ある。不思議だと思うことがよくあり、これなども思い込みが影響しているのかもしれない。

            

考えてみたら、この思い込みというは、もっと意味が深いような気がする。例えば、小さい頃から自分はこれは苦手だとか、ダメだと思い込んでいることがある。しかし、成人してそれを実際にやっている内に、本当は得意だったんじゃないかと思うこともある。

勉強にしてもそうだった。父親に小学生のときに「お前は、何をやってもダメだな」と言われたり、秀才と言われた姉と比べられたりもした。親父は人に、姉のことを「俺に似たんだ!俺に!」とよく自慢していた。だから尚更、自分は頭が悪くて、どうせ勉強はダメだとずっと思っていたこともあり、勉強はほとんどしなかった。

高校進学も、滑り止めと言われる、勉強しないでも入れるような2流高校を受けた。ただ、受験日が近くなり、母親に「いくら何でも、少しは受験勉強したら?」と言われて、試験問題集を2冊買って、2週間勉強した。今まで勉強していない分、不思議と面白くて、ドンドン頭に入っていった。

            

結果は、合格者の中の上位10番以内で合格したそうだ。入学式で、担任になる先生が母親と自分にそれを教えてくれて、「どうして、ウチのような高校に来たのか?」と言った。母親も「あんた、やったら出来るんでしょ!」と驚いた。そのことを、母親が父親に話したら、苦笑いして「そうか」とだけ言った。今も、あのときのことを思い出す。

その度に、「あの、クソオヤジ!健気な少年の心を傷つけやがって!」と、怒りが湧いてくる。まあ、それでも親父は親父だ。ワガママで、自分勝手で嫌いだったところがたくさんあったけど、好きだったところもあった。 興奮して、話が脱線した。

それから、勉強が出来る出来ないなんて、ただ勉強をするかしないかのことなんじゃないか? やるから出来るし、やらないから出来ないだけのことか?と思うようになった。実際、学歴がなくても、素晴らしく頭のいい人を、今まで何人も見て来た。知識と知恵は違う。そして、思い込みで出来ないと思っているだけ、ということもあるんだと。

先に書いた記事で、人の区別が付かず、名前も覚えられないと書いたが、興味のある女性の名前はハッキリ憶えていて、フラれて忘れたくても忘れられない名前の人もいる。当初から覚える気があるのか、ないのかということがあるのかもしれない。思い込みというのは、深いもんだな。

「ボーカル・マイクの台を作った」

最近、ちょっとした歌を録音してみようと思い、ボーカル・マイクの卓上アームは以前買ったのがあるので、それをテーブルの上に置いてみた。ただ、アームを伸ばしてみても、少しまだ低いので、それを乗せる台を作ることにした。

色々と考えてみたが、木工ネジを使わなくても、タイトボンドで接着しただけでもいいんじゃないかと思って、その方法でやってみた。タイトボンドというのは、普通の木工ボンドより強力で、ギター製作のときにこれを使っていた。

 

         

クランプや重しで、ガッチリと上手く接着すると、すごい粘着力で、無理やり剥がすとお互いの木の繊維が引きはがされるように取れる。それくらい強力で、材質にもよるが、キレイに剥がれることはあまりない。

ということで、いざ接着するというときに、以前から置いてあるタイトボンドを出してみたら、白い液体がタラタラと出て来た。また、やっちまったかと思った。というのは、冬期間中に忘れてそのまま木工室に置いておくと、中身が凍って分離する。

それで、今まで何本も木工ボンドや、タイトボンドをダメにしている。でも、もったいないと思って、白っぽい水が出た後のボンドを使って接着した。だから、接着の強度については自信がない。

一応、台からマイクが落ちないように、外側に落下防止のために、細くて四角い木を貼ってみた。これもすべてタイトボンドだ。いつか、接着面から壊れるような気もする。そのときは、木ネジを使って作り直すつもりだ。

    

        

「買ってみたが、あまり良くなかったもの」

便利なものや良いものがあると、試しに色々と買ってみる。試してみて、良ければそのままずっと使うし、ダメならすぐ止める。最近は、下記のものを買って使ってみたが、いずれも失敗した。

1.コロナを防ぐ、マスクに噴霧するスプレー

2.ナイロン製の時計バンド

3.トイレに流せるクリーニングシート

まず、1のマスクに噴射するコロナウィルスを防ぐスプレー。どこかの大学とのコラボで産まれた商品だそうだが、大きな欠点がある。とても臭い。我慢できる臭さではない。ウ〇コのような臭いだ。もう少し、香料でごまかすとかできなかったのか。臭いを消すのに、口臭スプレーをその上から吹きかけてみたが、ダメだった。

           

 

次に、ナイロン製の時計バンド。元は、ステンレス製のバンドを使っていたが、ツーンとした汗の臭いで、拭いてもすぐ臭くなるので、違うバンドを探していた。そして、このバンドを見つけて使っていたが、これは留めるところの穴が広がったり、色も黒っぽく変色して、臭いもステンレス製のと同じくらいだった。これも止めて、今度はシリコン・ラバー製のにしている。    

             

最後は、100円ショップで買った「トイレに流せる、クリーニングシート」。これは安かったせいか、シートを取りだそうと指でつまむと、その部分がゴソッとちぎれてくる。キレイにシートが1枚ずつ取れて来ない。つまんだところが、ちぎれてしまう。これがメーカーのモノであれば、こんなことはまずないだろうと思う。

        

 

ということで、これらは失敗に終わった。もう、2度と買うことはないだろう。また、Amazonで面白そうなのがあれば、買って試してみよう。それと、100均で色々見て探すのも、楽しい。高くていい物は、欲しくない。安くていい物が、価値があるのだ。

「俳句は、自分には向いていない」

テレビの「プレパト」という番組を毎週楽しみにして観ている。この中の「俳句」のコーナーが非常に面白い。司会のハマちゃんといい、梅沢富雄といい、夏井先生といい、個性のある人達のやり取りが面白いが、批評を受ける出演者達の真剣さが伝わって来て、すごくいい。

俳句の奥深さを教えてくれる夏井先生は、大したものだ。自分も俳句を作れないかと思ったりもするが、なかなか5・7・5などの短文で、思ったことを言い表すのは非常に難しい。しかも、季語とか決めごとも結構あって、それを考えると尚更難しい。

第一、自分は、このブログの文章にしても、ラインの文章にしても、余計なことを長々と書き過ぎてしまう。だから、ラインでやり取りしている友人にも「文章が長過ぎる」と文句を言われる。元々、そうなのもあるが、ライティングで少しでも長い文章を書くための練習で、さらに長くなった。

               

だから、俳句をやって、文章を短く簡潔に書けるようになれないかと思ったこともある。図書館で、夏井先生の本もあったので借りて来ようかと思ったが、本の中身をサッと読んでやめた。直感的に、これは自分には向いていないと思った。

若い頃、スナックのオネエちゃんに、俺は俳句が趣味だとか言い、「そこのけ そこのけ あそこの毛」と、どこかで聞いた、くだらん替え俳句?を言って騒いでいたが、そんなところか。俳句を好きになって詠むというのも、1つの才能なのだろう。

そういえば、「フーテンの寅さん」こと渥美清さんが、素晴らしい俳句を詠んでいるのを以前、テレビで観たことがある。独特な感性で、こういう才能があるんだなあと感心した。                        

           

「母親譲りの”すすぺ”」

先般、例のクレームオヤジが、隣の棟の或る部屋のドアを開けて、そこの住人と話していた。自分が、丁度そこの階の廊下の掃除に行ったときだった。なにか、ずっと話し込んでいる。

聞き耳を立てて、いつもよりゆっくりとモップ掛けをした。話し声や話の内容から察すると、この部屋の住人は30~40代の男性で、体が悪いようで、買い物をクレームオヤジに頼んでいるようだった。もしかしたら、コロナに感染したのか?

ただ、このクレームオヤジが「大丈夫か?」とか「病院は行ってるか?」と言ってるのを聴いて、まるで親子の会話だと思った。自分が掃除をし終わっても、まだ話をしていたが、それ以上掃除をしている振りをするとマズいと思い、仕方なく下の階に行った。

その数日後に、もう一人の管理人O氏に会ったら「この前、あのクレームオヤジが隣の棟に来ていたけど、なにをやってるんだろね?」と言う。それで、この前のことを教えてやったら、「よく、知ってるね!」と驚いてた。それはそうだろ。危険を覚悟でゆっくり掃除をしながら、一言一句聞き逃さないように全神経を集中し、情報を集めたんだからな。                          

          

このクレームオヤジは、他の入居者にも物を買って届けているような姿も、後日見かけた。このクレームオヤジ、もしかしたら買い物に行けないような人の代わりに、買い物に行って来てやり、駄賃をもらっているのかもしれない。ということで、舌の根も乾かぬうちに、また仕事のことを書いてしまった。( ̄┰ ̄*)ゞヤッチャッタァ

自分の母親はよく、あれこれと人のことを詮索する人のことを「すすぺ」と言って、バカにした。東北由来の北海道の方言らしく、他人のことに何でも顔を突っ込んだりする人のことを言うらしい。しかし、自分の母親自身がまさしく、その典型的な「すすぺ」だった。自分も似たのかもしれない。

「ソ連がウクライナのように、北海道に侵略して来たら」

9月10日の夜、NHKスペシャル「キーウの夏 戦争の中の”平和”」を途中から見た。ロシアに侵略されて戦っているウクライナから、外国に逃げて来ている人達や、戦いに参加していない人達などの葛藤を描いていた。

アメリカに住む娘を頼って、老夫婦がアメリカに渡って一緒に生活をする。しかし、地元に残る人達からは、「裏切者」と言われた。そして、祖国の惨状をテレビで観ているが、段々と自分達の居るところはウクライナの自分達の家しかないと思い、夫婦でまた祖国に戻る。

元勤めていた職場も無くなっていたので、新たな収入を考えなくてはならず、軍隊の関係の仕事で、夫婦2人が働くことにしたというところで、番組は終わった。これは、決して他人事ではないと思って観ていた。自分達の将来の姿なのではないかと。

隣接しているロシアや中国の狂気が続く限り、その可能性は非常に高く、北海道などはウクライナと同じで、ロシアに侵略されることが考えられる。

元々、第2次世界大戦が終わった頃に、ソ連は北海道を寄こせと言って来ている。不可侵条約を平気で破り、元日本領土の北方領土を奪っている。約束など通じない国だ。もし、北海道に侵略して来たら、自衛隊ばかりではなく、ウクライナのように一般国民からも兵隊を募るかもしれない。

ソ連が攻めてきたら、ここぞとばかりに中国も尖閣諸島から攻めてくることが、十分考えられるからだ。自衛隊も北と南に分断されて、北海道に集中できなくなるかもしれない。だから、民兵を募って駆り出されることも考えられる。

そのときには、こんな年寄りでも、子供達家族を少しでも守るために、前線にでもどこにでも行く。どうせ、老い先は短いんだ。この番組を観ていて、そんなことを考えたりした。こんなヒドイことが、日本でも起きないように願うだけだ。

            

そして、自己保身のことしか考えていない、我が国の腐り切った政治家や官僚の政治が終わり、本気で将来の防衛を考えて、我が国のために行動する政治家や官僚の時代になるように願うだけだ。

今日、コンビニで「ユニセフ ウクライナ支援寄付金」3千円を振込んだ。わずか3千円と笑うことなかれ。年金生活者には大金だ。”かつや”のカツ丼が6杯食べれると思うと、涙が出そうになった。

ホントにユニセフ、ウクライナの国民に活かされるんだろうな。上の連中で、美味いもん食ってんじゃないだろうな。今まで絶対的だと思っていた国連もWHOも、実態を知って信用できなくなった。

「”女房元気で、留守がいい”、なんてね」

何度も、『和田秀樹「老後は要領」』の本から引用させてもらっているが、老後の夫婦生活についても興味深い文章があったので、また引用させてもらいます。

『近年、定年後に熟年離婚する夫婦が激増しています。この10年ほどで、「同居期間が25年以上」の中高年夫婦の離婚は、2倍以上に増えているのです。その大半は、妻から離婚を切り出したケースです。つまり、「定年退職の夫がずっと家にいる」ことに耐えられない妻が、それほどに増えているのです』と。

要は、仕事で旦那が家に居ないときは、妻は自由な時間を過ごしていたのに、ずっと居るようになって、どうにもならんということだろう。しかも、「わしも族」と言って、「わしも、わしも」と言って、妻の買い物とか、どこにも付いて行きたがるので、うるさがられているという。

今まで、家庭のためにと頑張って働き、それがやっと終わって定年退職して、ゆっくりできると思ったら、妻には邪険にされて、粗大ゴミ扱い。そして、旦那が「これから、2人で一緒に旅行をしよう!」と言うと、「1人で行ったら?」と言われたりするそうだ。すでに、気の合う女友達と一緒に、何度も楽しい旅行をしているからだという。

      

我が家も、老後は一緒に旅行して楽しもうと思っていたが、色々あって別行動になった。しかし、割り切ってしまうと、それはいいことだと思うようになった。我が家の女房は、雪が溶けると登山に行き始め、日帰りや何日か連泊して来ることがある。最後の締めは、本州の山に1週間ほど行くが、実は今日から行ったのだ。 ( ̄m ̄ ふふふ

女房が家にいないと、開放感がある。女房は、家にいるときはずっと居間にいてテレビを観たり、食事をしたり、夜もソファで寝てる。ずっと居間にいるので、何か落ち着かない。自分は、食事や風呂や冷蔵庫に物を取りに行く時以外は、ずっと部屋に引きこもりだ。

だから、女房が家にいないと、自分の部屋のドアを開けっ放しにして、音楽を大きな音で聴いたりする。それで開放感があり、1階の台所や居間にも頻繁に行ったりして、何かかにかやっている。行動範囲がずっと広くなって、活動する意欲も出てきて、木工室や物置にも何度も行くようになる。          

       

「亭主元気で、留守がいい」とよく言われるが、自分の場合は「女房元気で、留守がいい」だ。自分の身の回りのことも、普段からすべてやっているので、女房が留守でも一切困ることがない。そんなことで、自分にとって夫婦とは、どんな意味があるのだろうかと思ったりもする。まずは、今日から1週間の自由を満喫しようか!

ちなみに、今朝6時に車で、江別駅まで女房を送ってやる。大きなリュックやトランクやらで、荷物がたくさんあるからだ。送った後、朝飯を食べて準備して、朝8時20分に自宅を出て、夕方5時までパートの仕事だ。なんだかんだ言っても、女房にはいつも色々とやってやってるよなあ。女房はやらないけど。