「もう、書くことがないなあ…」と困っているときに、他の人のブログを読んでいると、その記事にインスパイアされて「そうだ!」と思って、自分もそれに関する記事を書くということがよくある。いわば「相乗り」か、「便乗」か。(^^)v
何人か愛読しているブログはあるが、今まで「Rittaさん」と「ずかとも」さんのブログの記事を読んでいて、いくつか記事を書いたことがある。今回も「Rittaさん」の記事を読んでいて、成程なあと思った。 「Rittaさん」は、体重のことで書いていたが、飲酒とかでも開き直って嗜んでいる人が、案外長生きしていたり、前に書いた記事のように、高齢になっても肉をたくさん食べている人が、長生きしている場合もある。瀬戸内寂聴さんや、医師の日野原重明さんだ。
確かに、体に悪い悪いと思ってやっていると本当に悪くなり、悪くないと思ってやっていると、悪くならないということがあると思う。思い込みで、結構違うのではないだろうか。
血糖値をほとんど毎朝、指に針を刺して血を出して、測定器で計っている。昨日はこれだけ甘いのや菓子を食べたから、ひどく上昇しているだろうと思っていると、下がっていたりとか、またその逆も多々ある。不思議だと思うことがよくあり、これなども思い込みが影響しているのかもしれない。
考えてみたら、この思い込みというは、もっと意味が深いような気がする。例えば、小さい頃から自分はこれは苦手だとか、ダメだと思い込んでいることがある。しかし、成人してそれを実際にやっている内に、本当は得意だったんじゃないかと思うこともある。
勉強にしてもそうだった。父親に小学生のときに「お前は、何をやってもダメだな」と言われたり、秀才と言われた姉と比べられたりもした。親父は人に、姉のことを「俺に似たんだ!俺に!」とよく自慢していた。だから尚更、自分は頭が悪くて、どうせ勉強はダメだとずっと思っていたこともあり、勉強はほとんどしなかった。
高校進学も、滑り止めと言われる、勉強しないでも入れるような2流高校を受けた。ただ、受験日が近くなり、母親に「いくら何でも、少しは受験勉強したら?」と言われて、試験問題集を2冊買って、2週間勉強した。今まで勉強していない分、不思議と面白くて、ドンドン頭に入っていった。
結果は、合格者の中の上位10番以内で合格したそうだ。入学式で、担任になる先生が母親と自分にそれを教えてくれて、「どうして、ウチのような高校に来たのか?」と言った。母親も「あんた、やったら出来るんでしょ!」と驚いた。そのことを、母親が父親に話したら、苦笑いして「そうか」とだけ言った。今も、あのときのことを思い出す。
その度に、「あの、クソオヤジ!健気な少年の心を傷つけやがって!」と、怒りが湧いてくる。まあ、それでも親父は親父だ。ワガママで、自分勝手で嫌いだったところがたくさんあったけど、好きだったところもあった。 興奮して、話が脱線した。
それから、勉強が出来る出来ないなんて、ただ勉強をするかしないかのことなんじゃないか? やるから出来るし、やらないから出来ないだけのことか?と思うようになった。実際、学歴がなくても、素晴らしく頭のいい人を、今まで何人も見て来た。知識と知恵は違う。そして、思い込みで出来ないと思っているだけ、ということもあるんだと。
先に書いた記事で、人の区別が付かず、名前も覚えられないと書いたが、興味のある女性の名前はハッキリ憶えていて、フラれて忘れたくても忘れられない名前の人もいる。当初から覚える気があるのか、ないのかということがあるのかもしれない。思い込みというのは、深いもんだな。