オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「女房は、無事に帰ってきた…」

まず、この写真を見て欲しい。女房が今回登山に行って来て、最終日にラインで自分に送って来た写真だ。このハシゴ?を登っている、赤い服を着ているのが女房だ。これを見て、もしかしたら女房が先に死んで、自分はゆったりと一人の老後を楽しむ、ということはまずないと、あきらめた。 邪魔なので、命綱も付けていないという。なんと!

自分より3歳年下の女房は、今、64歳だ。今回の登山は、自分と同年齢の67歳のオバサンと2人で行ったという。とにかく、登山をやる人は高齢の人でも、驚くほど元気だ。熊の生まれ変わりか、と思うほどだ。まあ、女房は家事はほとんどやらないで、パートで働くだけだから、力も有り余っているのだろうが、それにしても元気だ。

自分の母親は69歳で、胆管癌で亡くなった。当初は、なんでウチの母親だけ早く亡くなるんだと思った。自分が小中学生の頃、父親の兄弟3家族で、各家が廊下で繋がっている長屋のような家に住んでいた。長男、次男、そして3男の親父という構成だった。その後、別々に離れて暮らしたが、長男と次男の奥さんは、まだ生きている。90歳近いのか。           

長男の奥さんは、旦那が少しボケるとすぐ老人ホームに入れ、自分は娘が近くに居たので、1人で住んでいた。この奥さんは、旦那の面倒を見るような人ではなかった。いずれ旦那が亡くなると、自分もすぐ老人ホームに入った、のか入れられたのかは分からないが、まだ元気だったようだ。娘3人の家族が、近くに住んでいた。

          

次男の奥さんは、ウチの母親が亡くなった時期に、ちょうど旦那も癌で亡くなり、その後、認知症になっていき、老人ホームに入院した。数年後に長女が心筋梗塞で、長男が手術中の事故で、次々と亡くなった。ただ、その死を理解できているかどうか分からないという状態だったらしいが、逆にそれが幸いだったかもしれない。

そんなことを見ていたら、人の幸せは生きている長さではないなあ、と思うようになった。特に老人ホームの設備管理のパートで働いていたときに、入居している老人達の姿を見ていて、悪いけれど、こうなったらもう終わりだなと思い、なにが幸せなのかと考えさせられた。明日は、我が身だ。

ウチの女房にしても、自分が死んだ後に、まだ30年は生きそうな勢いだが、ただ、自分亡き後、1人で幸せに老後を生きて行けるのかというと、それほど簡単なことではないと思える。まず、なにもやらないので、家は荒れ放題になる。その点は、女房も分かっていて、すぐこの家を売って、小さなアパートにでも住むと言ってる。

        

そして、札幌に住んでいる姉家族の近くに引っ越すと言っている。次男坊はすぐ近くに住んでいるし、長男坊もココから車で40分のところに住んでいるが、これも難しいところで、もし女房が先に死んで、自分が残ったとしても、子供を頼らないと思っている。子供が男の場合は、嫁さんがいるので難しい。これが娘だと、旦那がいてもそうではないようだ。

女房の唯一の趣味である登山にしても、後、何年楽しめるのだろうか。そんなことを考えると、幸せな老後になると断言はできない。長生きすることが、イコール、幸せなことではない。

自分も後2年で、母親の亡くなった歳になる。あっという間のことで、信じられない。そして、なんだかんだ言っているうちに、そろそろ自分の番が近づいている。ただ、その実感が、いまだにないのだから困る。