オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「また、やっちまった」

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株のチャートの見方の本を見に、コーチャンフォーに行って来た。想像した通り、その本だけで10冊くらいあり、1冊ずつ読んでどれがいいか調べた。その結果、チャートの見方だけ書いてあって、分かりやすくて読みやすく、チャートの型が大きく表示されているものということで、1冊を選んだ。

当初はその本の表紙をスマホで写して、後でAmazonでその中古本を調べてみるつもりだった。ただ、新しく出版されたような本だったので、中古本でも送料を含めると新品で買うのと同じくらいの金額になるので、そのまま買ってしまった。税込みで1,540円だった。

そして、家に帰ってからAmazonで調べてみた。「調べない方が良かったりして」などと笑いながら検索していたら、なんとこの中古本が230円からあった!これに送料が350円ほどかかっても、600円以下だ。ガーン!この本の出版日を見てみたら、最新の第5版で2017年だった。4年前なら、中古本も安いよなあ。

新品同様の「非常に良い」中古本で、本体が533円と送料が357円で、合せて890円だった。買って来た1,540円よりも、650円も安く買えた。その分で、「かつや」でロースかつ定食が食べれた。またしても、やってしまった。愚かな男だ、俺は。

「想像以上のAmazon Music」

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Amazonの回し者ではないが、数週間前から始めた「Amazon Music」、想像以上にいい。音質もCDよりは落ちると以前書いたが、段々と使い方も分かって来て、調整も分かってくると、音質もぐっと良くなって来た。スマホのイヤホン端子に直接ヘッドフォンを刺して聴いても音量があるし、音がすごくいいので驚いた。

とにかく、昔の曲ばかり探して聴いていて60年と70年代の、「60年代ロック100曲」とか「70年代ロック100曲」」などを一曲目から最後まで、少し聴いては飛ばして、良さそうなものを次々と「お気に入り」フォルダに登録している。それにしても、当時は個性のあるミュージシャンばかりだったなあと改めて感じた。

6割くらいは聴いた曲だが、残り4割は聴いたことがない曲なので、新たにいい曲を見つけると非常に新鮮で嬉しい。例えば、ニール・ダイヤモンドの「セプテンバー・モーン」は、こんないい曲があったのかと感激した。他にもキャプテン&テニール「愛の証し」、それとニッキ―・ホプキンスが好きだったので検索したら、彼がバックでピアノを弾いているBarbara Cowartという人の「Prayer Solo」も良かった。

日本のロックやポップスも好きで、もう廃盤になっているような昔の曲もあった。鈴木茂の「レイニー・ステーション」や、杉真理の「Catch Your Way」、NOBODY「DARLING DARLING」等など。それと、エンディングのスライド・ギターが素晴らしい、Jaywalkの「JUST BECAUSE」もあった。リメイクのはこのスライドギターが入っていないので、入っているのを探していた。

それと、これまた大当たりの曲を見つけた。スキマスイッチの「全力少年」だ。これは大ヒットした比較的最近の曲らしく、以前、小田和正のTV番組「クリスマスのお約束」にスキマスイッチが出て、この曲を歌ったときに「いいなあ!」と思ったので今回探して聴いてみたら、やはりすごく良くてハマってしまった。

プロデュースが奥田民生のようで、彼らしいシンプルで力強いアレンジになってる。曲もすごくいいが、ヴォーカルも魅力的で力強い歌声で非常に気に入った。大ヒットしただけある。ただ、これだけ完成度の高い曲を最初に聴いてしまうと、このスキマスイッチの他の曲は聴く気がしない。この曲と同程度やそれ以上の曲は、まず無いと思うからだ。大抵のミュージシャンは、一発の大ヒットで終わっている。

車内でスマホから気に入った曲を流して楽しんでいるが、次男坊の嫁さんに「通信費はかかりますけどね」と言われてギョッとした。「そうか、通信費がかかるのか?」と言うと、「曲をスマホにダウンロードしておけば、通信費はかかりませんよ」と教えてくれた。早速、家でスマホにダウンロードした。便利な世の中になったもんだ。今は「Amazon Music」をフルに使っている。まだまだ、気に入る曲があるはずだ。

「汚くて、下品な話が好き」

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旭川の友人が、前回の「どこもかしこも、ゆるくて」を読んで、「汚い話や下品な話しが面白いな」と言っていた。そんな話なら、色々ある。聞いたらゲロを吐くだろう、というような話もある。しかし、あまりひどいと、この「はてなブログ」から突然、ブログ停止ということなるかもしれない。あまりにもモラルに反したり、過激すぎたりするとそうなるようだ。第一、そんな汚い話を書かないと、読んでもらえないブログというのもどうか。

ただ、自分の父方も母方も、どちらかというと下品な家系だったのは確かだ。父親は、7人兄弟で男5人で女2人で、父親は3男だった。同族会社で兄弟4人で建設会社をやっていたが、その兄弟4人が夜に時々集まって、畳の部屋にあぐらをかいて座って会議をすることがあった。

みんなそれぞれ声がでかくて、それで相手を圧倒して勝ちのようなところがあった。その内、1人がデカい屁をすると、他の兄弟たちも「負けるか!」という感じで次々とデカい屁をして、非常に賑やかだった。父方は、そんな家系だ。母方も7人姉弟で、みんな汚い話が好きで、母親の妹の旦那がそんな話を傍らで聴いていて、吐いたという話もある。

自分が小学生のとき、母親が健康診断で病院に行って待合室で順番を待っていたら、突然、高齢の男性が新聞紙にくるんだものを両手で抱え、目の前を走って行ったそうだ。検便で便を取るように言われたその男性が、ゴッソリと出たのをそのまま新聞紙に包み、こぼれないように急いで走って検査室に持って行ったらしい。看護婦さんたちは、キャーキャー言ってたそうだ。母親はその話をするたびに、腹を抱えて笑っていた。汚い話や下品な話は、面白い。

「夏はやっぱり、カキ氷」

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ここ数日は暑くて、絶好のカキ氷日和になっている。小さい頃から、カキ氷が大好きで、我が家の子供達が小学生の頃に、「アイスロボ」というカキ氷器を買って、シロップも色々と探して買い、みんなでよく食べたものだ。電動式で、カキ氷器の頭を押すとシャアシャアと白くて細かい氷が出てくる。自分も喜んだが、子供達も大喜びだった。

その後、子供達も大きくなって家から出てから、ほとんど使っていなかったが、今回また引っ張り出して使っている。やっぱり、市販のアイスよりも食べ応えがあって、満足感が違う。器にたっぷりの削った氷を入れて、たっぷりシロップをかけて食べるのが最高だ。

今回は、カルピスの濃縮タイプのオレンジとマンゴーを使っている。マンゴーは美味しいが、オレンジは今一つだ。普通のカキ氷用の市販シロップは、着色がひどくて、甘みもすごいのでダメだ。

昔、或るところでカキ氷を食べたことがあったが、このシロップが信じられないくらい美味しくて驚いたことがあった。すると、一緒にいたお袋が「このシロップは煮詰めた砂糖を混ぜて作っているんだよ」と教えてくれた。そうするとすごく美味しくなるようだ。

そんなシロップは市販では無理だと思って、無添加無着色のシロップを探している。いつか、自分で作ってみようかな。それと、カキ氷の専門店があれば、一度そこで食べてみたいものだ。有名なかき氷店もあるようだ。

そのカキ氷器を、この前遊びに来た次男坊と孫にやってしまった。しかし、カキ氷大好き人間の自分は、次男坊達が帰ったすぐ後にケーズデンキに行き、カキ氷器を買いに行った。何台か置いてあったが、手回しのが980円で有ったが、自動のは5,000円以上と高かったので買わないで帰って来た。Amazonで調べたら、ちょうどタイムセールで1,980円のがあったので注文した。

小さい頃からだが、カキ氷を食べると頭がひどく痛くなる。激痛だ。小さい頃、カキ氷を食べて頭が痛くて、床にのたうち回っていると、お袋が「バカだね」とゲラゲラと笑っていた。そして、痛みが治まるとまた食べ始め、そしてまた痛みが来て苦しむという繰り返しだ。今でも同じだが、それでもカキ氷は最高だ。

「どのSNSが、いいの?」

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先般、自分より20歳年下でDTM(デスクトップ・ミュージック)を教えてくれて、パソコンの修理などもやってくれる友人O氏が、「そろそろ、なにかSNSをやってみようかと思ってるんですよねえ」と言う。それで、自分がやっているこの「はてなブログ」でブログをやろうと誘ってみたら、O氏もかなり前向きで、近い内にO氏のブログを見れると思う。楽しみだ。

このSNSというのは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social networking service)と言って、スマホやパソコンを使って人間関係を構築することのできるオンライン上のコミュニティサービス、ということだ。詳しいことは分からないが、ツイッター、インスタグラム、フェイスブック、ブログ、ラインなどがそうらしい。ラインは、もうずっと友人や家族間で使っている。

以前、同年齢の友人U氏に、ブログは文章を継続して書かなければならないので、もっと簡単なSNSがあればブログはやめてそれにしたいと言うと、U氏の長女がインスタグラムをやっていると言う。そして、そのインスタグラムをスマホで見せてくれた。長女は料理が好きということで、自分で作った料理の画像をたくさん載せていたが壮観だった。文章はほとんど書いていなかったので、これはいいかなと思った。

しかし、後でよく考えてみると以前、一眼レフやデジカメのいいのを買って、色々な写真を撮ろうと思ったことがあったが、実際にはほとんど撮ることがなく、スマホで孫の写真や動画ばかり撮っていた。今はそれも面倒になって、ほとんど息子に撮らせてラインで送ってもらっている。ということで、インスタグラムも無理かと思った。

フェイスブックは、3年ほど前に少しだけやったことがあった。昔の職場の同僚のフェイスブックを見つけたが、それもほとんど更新していないようで、書き込んでも音沙汰なしだ。そんな感じで、更新していないような空き家のようなのが結構あった。元々、同級生とか、社内での連絡用途として使われていたSNSだったようで、これは自分には向いていないと思い、すぐやめた。

今回、調べてみたら最近、フェイスブックをやめている人が増えているようで、中高齢者が多いSNSになっていると書いてあった。恐らく、中高齢者はそのまま更新もしないで、脱退もしないで放っている人が多いのではないだろうか。そういえば自分も以前、やめる方法がよく分からなくて困ったことがあった。このフェイスブックは実名で登録するので、データの漏えいで悪用されることが多いということも書いてあった。

ということで、残るツイッターもこれから調べてみるが、恐らくダメだろう。今のブログは画像も掲載できるし、文章だって字数が少なくたって、掲載の間が延びようが大丈夫なので、やはりこのままでいいかなと思っている。どうせ、アクセス数も1日に数件しかないのだから(たまーに、40件とか70件とかあるが)、気張ってやらなくてもいいので、このままマイペースで楽しんでやっていこう。

「どこもかしこも、ゆるい」

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65歳にもなると高齢者だから、老化も目に見えて進んでくる。数日前のことだが、朝方から少し腹がゆるいなあと思っていた。その後、買い物に出かけたときに、これは一回ウ〇コをした方がいいと思って、薬局のツルハのトレイがキレイなので、ツルハに行ってトイレに入った。

トイレに入ってドアを閉めた途端、尻の穴がグワッという感じがして放屁かと思ったが、少し感触が違う。「もしや!」と思って便座に座ってパンツを見たら、ウ〇コがベッチョリついてた。参ったなあと思って、トイレットペーパーでキレイに拭き取り、近くの棚の上に有った消臭スプレーをパンツにたくさんかけた。

ズボンには幸いなことに、わずかに染みている程度だったのでホッとした。そして、ウ〇コをし終わってから、パンツの股間のところにトイレットペーパーを何枚も敷いて出て来た。そのパンツは、家に帰って来てから捨てた。ズボンも洗濯した。もう、放屁も小便も大便も制御が効かなくなって、どこもかしこもゆるくなってる。

ヨダレも出ることが多くなったが、これはテレビで観た「べろはたから」運動で、舌を出して「ベー!」っとやって、その後の言葉を大きく口を開けて20回繰り返すのを毎日やってから、かなり良くなった。それと、むせることも少なくなった。それにしても、老いるということは大変なことだ。ガクゼンとする。こういうのを、「老いるショック」というらしい。「オイル・ショック」のダジャレですよ。(笑) 

説明しないと分からない人がいて、何言ってんだという顔で、黙っている人がたまにいるので、こっちが困ってしまうことが多々ある。仕方ないので、すぐ違う話に変える。年取ったら、廊下に座っていることが多くなったと言った人がいたので、そういうのを「廊下(老化)現象」と言うんですよ。と言ってもシーンとしてる。爆笑を期待してたのに、がっかりする。

「クラウド 型音楽配信サービスとは?」

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またAmazonの回し者みたいに思われるかもしれないが、最近「Amazon music」という楽曲サービスにハマっている。以前からなんとなく知っていたが、どうせAppleのituneのように気に入った楽曲があれば買うようなものだろうと思って、相手にしていなかった。

それが最近、ある雑誌に音楽家が「Amazon music」のことを非常にいいと書いてあったのを見て、一度どんなものか試してみようと思い、4カ月間お試し無料というのでやっている。今のところ、すごくいい。曲数が7000万曲もあり、普通の音質だと月額980円で、さらに音のいい高音質になると月額1,980円だ。

1960年代や1970年代の懐かしい曲がベストとしてあるが、とにかく曲数が多いので聞きたいと思う曲がほとんど揃っている。そして、音もいい。懐かしい曲がたくさんあるし、聴いたことがない曲もたくさんあるし、聴きたいと思っていたミュージシャンの楽曲も、アルバムごとにほとんど揃っているので、いくら聞いても次から次とある。

このようなサービスは、ソニーなどもやっているようだ。「クラウド型音楽配信サービス」と言うらしい。しかし、すごい世の中になって来たものだ。この「Amazon music」のアプリをPCの他にスマホにインストールしておけば、車のカーナビがブルートゥースに対応していれば、車の中でもスマホを操作して聴くことが出来るようだ。

今までは、色々なミュージシャンの曲をCDなどからパソコンのハードディスクにコピーして、その中からお気に入りの曲を選んでCDにコピーして車で聴いていたが、それが必要なくなる。スマホさえ持っていれば、莫大な曲の中から聴きたい曲を選んで聴くことができる。

これはすごいことで、容量の大きいSDカードに数十曲の楽曲を入れたり、CDに容量を小さくした曲を数十曲入れていたことがあったが、もっとたくさん曲を入れることが出来たらなあと思っていた。CDの枚数が多くなって邪魔になるし、取り替えるのも面倒だ。

それが、莫大な曲数が交換もしないで聴けるのだからすごい。それで早速、自分の車のカーナビと一体型のオーディオはブルートゥース対応ではなかったが、AUX端子があったので、スマホのイヤホン端子とコードで繋いでみたら音が出た。ヤッタと思ったが、まず音量が小さくて、車の方のヴォリュームをMAXくらいまで大きくしなければならない。ロックは、大音量で聴かないと迫力がない。

それと音質が、CDから比べると今一つだ。AUXコードを専用の2千円くらいのに替えたら、音質は良くなったが音量は変わらなかった。音量も音質も良くするには、カーオーディオを専用のにしなければならないようだ。ハイレゾ対応のも出ていて、いずれは普通にそうなるんだろう。いつかは欲しいけど、果たしてそれまで運転しているかどうか。

「座禅の効用?」

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もう1ヶ月くらいになるが、だいたい毎日座禅を続けている。時間帯はバラバラで、気の向いたときに10分~15分くらい座っている。心配事や不安でいっぱいだったり、イライラしているときに座ると、すぐ解消されるわけではないが、少しは気持ちがおさまってくる。次から次と湧いてくる雑念はそのままにして、ただ数字をゆっくりと一から十まで数えて呼吸に集中する。「数息観呼吸法」といって、初心者はこれから始めるようだが、自分にもこのやり方が合っている。

「ひとーつ、ふたーつ…」と十まで数えていくが、吐く息を吸う息の2倍くらい長く呼吸する。雑念が入ると、また最初から数えていくのだが、雑念だらけで何度もやり直すとキリがないので、適当に終わらせている。雑念を追い払うのではなく、次から次と湧いてくる雑念を右から左へ流していくということらしい。無理しないのがいいのだ。

吐く息は長いほどいいようで、初心者は吸う息の2倍くらいの長さで吐くそうだが、自分は吸う息の3倍から4倍の長さでやっている。これが今のところ、いい感じだ。無理して吐く息を長くすると苦しくなって、そっちにばかり気をとられる。苦しいと座禅の意味がないので、今はとりあえず苦しくない程度で、無理しないでやっている。

なぜ、今も座禅をやるのか? 前にも書いたが、それは過去の不思議な体験があったからだ。40年以上も前のことだが、学生のときに夜寝る前に座禅を約1か月半、毎日続けたことがあった。1ヶ月を過ぎた頃から、座禅をしていて心身共にすごく楽だと思うようになり、座るのが楽しみになってきた。そして、それから数日経ったときに、座っていて突然ガクガクと体全体の力が抜けた。

すると、体がなんともいえないくらい楽になり、同時に心も不思議なくらい満たされた感じがして、その内、なんと顔が笑っていることに気がついた。誰かが見ていたら気持ち悪いだろうなと思ったが、確かに笑っていた。後で座禅の本を読んだら、やはりこういう現象があるようだった。とにかく気持ちが良くて、このまま何時間もずっと座っていたいと思った。

その後もその感覚は数日間続き、座禅をしているとき以外でも、不思議と気持ちが楽になって変化が色々と現れてきた。今までにないくらい爽快な気持ちで、前向きに考えるようになった。自然と「頭でグチャグチャ考えていることは、本当の自分の考えではない」と思ったり、不安なことがあっても「それは一旦、横に置いて」とか割り切れるようになり、そう考えるようになった自分が不思議だった。

しかし、それから段々と座禅をやらなくなり、その感覚もまったくなくなってしまった。ということで、そのときの感覚にまた何とかなりたいと思って、社会人になってから何度も挑戦してみたが、いずれも集中して続けることが出来なくて、中途半端で終わっていた。それであのときの感覚を、あれから今まで体感することはなかった。

そして、40年以上も経った今、また座禅に挑戦している。続けなければ効果がないと分かっているので、今回は続けようと頑張っている。あの学生の時の体験がなければ、やることはなかったのだろうけど、あのときの感覚がどうしても忘れられない。それくらい、なんともいえない充実感があったし、本来はこうなんだろうなという自分の姿を感じるような、貴重な体験だった。

もう40年前のあの純粋なときとは違って、社会人になってから色々なことがあり過ぎて、カチコチに固まって歪んでしまっているので、もしかしたらもうあのときの体験はできないのかと思ったりもする。でも、不安な気持ちが少しは楽になるという効果は今でも感じているので、このまま続けて行こうと思う。

座禅を始めた人で、自分と同じような感覚というか体験をした人は結構いるようで、座禅は隠れた人気がある。常識では考えられないような体験をすると、それに魅かれていく人も多いようで、自分もその一人だ。「さとり」なんて難しいことは一生わからなくてもいいから、日々を楽に生きれたらいい。そのために座禅をしている。

「2回目のワクチン接種も終了」

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今月の21日に、2回目のワクチン接種を終えた。1回目と同じ病院で、同じ時間だった。とりあえず、65歳で糖尿病や高血圧が持病の自分は、ホッとした。副反応も2回目にほとんど出るということだったが、ワクチンを打った腕の辺りが翌日、翌々日と筋肉痛のようになったが、それ以降は自然と治まった。ほとんど副反応は、なかったようだ。

江別市はワクチン接種が早かったようで、数日前のテレビでは道内の65歳以上の2回目のワクチン接種率は、まだ13%くらいだったと思う。それを考えると、自分の場合はかなり早かったようだ。江別市はワクチンの獲得も早かったようで、これは江別市の功績だろう。

札幌市は、これからやっと65歳以上の1回目のワクチン接種が始まるようだ。旭川の友人もまだのようで、東京の叔母や千葉県の叔父もソロソロ1回目のワクチン接種が終えた頃だろう。新たに感染力が、今までの倍以上というインド株やら変異株も出てきているので、早くやらなければ安心出来ない。とにかく政府の対応は後手後手で、お粗末もいいところだ。

数日前に見たニュースで、本州の老人ホームでクラスターが発生したが、ほとんどの入居者は1回目のワクチン接種をしていたそうだ。それがどうして、クラスターになったのかというと、1回目のワクチン接種を受けたすぐ後は、逆に免疫力が落ちるので、そのときに感染するらしい。

1回目のワクチン接種から、2週間から3週間で抗体ができてくるようなので、それで3週間後に更に強い抗体を作るために、2回目のワクチン接種をするようになっているのだろう。だから、最低でも抗体が出来てくる2~3週間までは、今までと同じように感染リスクがあるということになる。

そんな予備知識がないと、自己判断で油断してしまう。本来はその辺の予備知識も政府がメディアを通じて、国民に分かりやすく説明することだと思うが、とにかく我が国の政治家も官僚も、自分達の金と権力のことしか頭にないから、どうにもならない。「日本の政治は3流」といわれるが、まったくその通りで溜息ばかり出る。

「在宅ワークは無理か?」

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在宅ワークの中にライティングという、ネットで記事を書く技術を覚えるための講習を受けた。5月の1ヶ月間で、ライティングの2級資格試験というのも最後に受けた。結果は3週間後だが、まずダメだろう。受かるまで何度も挑戦しようと、当初は考えていたが、ダメならもう受けるのはやめようと思っている。講習は想像以上に難しくて、成程と思うことばかりだったが、自分には文才も知識もないこともよく分かった。

在宅ワークのことは、テレビで何度か主婦が「片手間でやれて、結構な収入になる」と言っていたのを見て、やってみようと思った。しかし、実際に色々な仕事の募集を見ても、自分にやれそうなものがほとんどなく、しかも1文字辺りの単価が非常に安いものばかりだ。ただ、継続を考えているクライアントは、最初はそれくらいの安い単価で様子を見て、良ければ単価を上げていくということだ。しかし、それ以外の単発の仕事は、とにかく安い。1文字0.1円からある。

1度だけ「隣の町の紹介記事」というのに応募して、約1000文字の記事を書いたことがある。予備知識があったので、だいたい30分くらいで書けて、すぐ採用になって自分の口座に代金が入金されたが、その金額は85円。1000文字1件の仕事が100円だったが、仲介会社に手数料を取られる。それを承知で試しにやってみたのだが、1000文字書いて85円とは、1文字0.085円だ。他の単発の仕事を見ても、それくらいから0.5円以下の仕事が多い。1文字0.5円としても1記事500円で、手数料を引かれると425円だ。

週に2回、1000文字以上の記事を書いて欲しいという仕事もあった。1記事で1500円だったと思う。1文字1.5円で、最初にしては条件はいい方だ。月に8記事書いたとして、月収12000円。もちろん、良ければ単価は段々と上がるということだったので、仮に単価が2倍になったとしても月に24000円、3倍で36000円だ。それくらいになれば、まあやってみてもいいかなとも思えるが、ただ週に2本の記事をずっと書き続けることが、果たして自分にできるのだろうかと思った。

予備知識なしで1000文字書くのは大変で、同じ題材の記事を書き続けると、内容が似たようなものになってしまう。だから、備蓄が少ない自分の知識を、1記事数百円の記事に安易に出したくないと思う。後になって、価格が高い記事になったときには、もう書くことがなくなってしまうのではないかと不安になる。出し惜しみではないが、同じことを書くことがダメなら、書くことがなくなってしまう。わずかな自分の知識の蓄えが、すぐ枯れてしまう。

とは言え、そこまでクライアントに認められるライターになれるかが問題だ。今回の講習で、あまりにも自分の幼稚でお粗末な文章に自信をなくしていたので、大きなことは言えない。ということで、在宅ワークは自分には無理かなと思ってきた。女性で同じ65歳の方も今回の講習を受けていたが、やはりライティングの仕事は無理かなと言っていた。