オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「安く買う満足感」

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60歳頃までは、物を安く買うことはあまり考えなかった。それが、金もなくなり、色々と金もかかるようになったので、倹約するようになった。自炊もするようになったので、スーパーにも買い物に行くようになった。それで、食材を他のスーパーと価格比較したり、Amazonとも比較するようになった。Amazonは会員になっているので送料がほとんどかからなく、物によっては安いのもあるが、逆に高い場合もある。

お買い得品などがあると、ヤッター!と思う。スーパーでは少し痛んできているバナナとか、他の果物や野菜などをワゴンに積んであるのを毎回見て、良さそうなのがあれば買う。柑橘系の果物は大好物なので、良さそうなのがあると、これまたヤッター!となる。1週間も置いておいたらダメだけど、数日中に食べるのならまったく問題ない。生菓子も、賞味期限間際の値引き品を買う。

古本もよくAmazonで買う。程度が、”可”、”良”、”非常に良い”の3段階あり、”非常に良い”だと新品並みだし、”良”でも時々新品かと思うのもある。”可”でも充分だが、”可”でもたまに”良”クラスのがあり、ヤッター!と思う。安い本だと、送料を入れても(古本はプライム会員の対象にならない)300円とかで破格の安さだ。とても、新品を定価で買う気がしない。

時々、ブックオフでも古本を買うことがあるが、3ヶ月ほど前に自分が持っていた或る本をこの店に売ったことがあった。その本がまた必要になり、数日前に自分が売ったと思われる本が棚にあったのを見つけて価格を見たら、定価2,800円のが2,000円くらいで売っており、高いなあと思ったがつい買ってしまった。確か、この本を売った時は500円くらいだったと思う。

そして、その後すぐ「事前にAmazonで調べれば良かった!」と思い、駐車場に停めてある車に戻ってから、スマホですぐ調べた。すると、なんと送料込みで500円ほどで程度が”良”のがあった。「俺は世界一の大バカもんだあー!」と、自分を何度も責めた。Amazonよりも1,500円も高く買い、しかも500円くらいで売った自分の本を。その日は、ずっと落ち込んだ。

「少しでも物を安く買う」という面白さを60歳過ぎてから分かったが、色々と買いものをしている内に、「なんでも、安ければいいというものではない」ということも分かって来た。物によっては、ここまでという最低ラインの価格のものでないとダメなものもあり、まだまだ奥が深い。

「砥石セットを買った」

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「雑誌ドゥーパ!掲載モデル 剛力砥石 包丁 研ぎ石 両面砥石 セット #1000/#6000 料理人推薦 メーカー3年保証」という砥石セットを、Amazonで買った。しかし、随分とAmazonの売上に貢献してる。これだもの、AmazonのCEOのジェフ・ベゾス氏が2021年の世界長者番付1位になるはずだ。しかも4年連続だそうだ。なんか頂戴!

昔から砥石でカンナの刃とノミの刃を研ごうとして、木工雑誌などを見てやってみたが上手く行かず、というか難しくてあきらめていた。今回、読んだ本の西岡常一氏やその弟子の小川三夫氏の教えは、とにかくまず「刃物を砥げなければダメ!切れる刃物でなければダメ!」ということだ。小川三夫氏が創設した鵤工舎(いかるがこうしゃ)でも、毎晩遅くまで弟子たちが刃物を砥いでいるそうだ。テレビで観たことがある。

その様子を他の大工達が見にくると、その刃の砥ぎのすごさに驚くらしい。それくらい切れる刃物が必要なのかと思うらしいが、それが小川三夫氏が率いる宮大工の第一条件らしい。切れる刃物でなければ上達せず、さらにその刃で切った木材は表面がツルツルで、雨が当たってもはじいて水分を吸収しない。逆に、切れない刃物で切った木材は表面がザラザラして水分を吸収し、腐りやすいそうだ。

だから、電動カンナも切るというよりも木材を削ぐという感じなので、表面がザラザラになる。紙ヤスリや電動サンダーで仕上げても、一見ツルツルになったように見えるが、これまた表面はザラザラになり、水を吸収するので腐りやすい。それで、昔の宮大工が作った建築物が長持ちするのは、切れる刃物で木材を加工していたからということもあるそうだ。

コンクリートの建築物は100年前後しか持たないが、西岡常一氏や小川三夫氏率いる宮大工の作った建築物は、200年から300年は持つという。とにかく、宮大工というのは素晴らしい仕事をしているようで、その成果品である新旧の寺社を、いつかじっくりと見てまわりたいものだ。

ということで今回本を読んで、自分も今まで持っていてずっと手入れもしないで錆びついているカンナの刃や、ノミの刃を砥いでみようかと思った。ただ、カンナの手入れはすごく難しく、カンナの台自体を直すカンナもあったりして、調整がすごくシビアだ。

自分には無理そうなので、調整や手入れの簡単な「西洋カンナ」の使い方を覚えようかとも思っている。今回買った砥石セットは、普通の包丁も砥げるので無駄にはならない。草刈り鎌も砥げる。砥石の砥ぎ方がyoutubeにあったので、それを見てやってみるつもりだ。しかし、便利だねえ、youtubeは。

「トレーダーに向いてない、オジサン」

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トレードに関して知ったようなことばかり言ってきたが、なかなか上手く行かなくて失敗ばかりしている。というのは、市場を見過ぎるからだ。市場が動いている間、時間があればずっとパソコンやスマホで保有株の様子を見ているが、それだけではなく、保有株が下がれば焦って損切してしまうし、上がっている株があれば衝動買いしてしまう。

しかし、そうして損切したり衝動買いした株は、ほとんどはその後に逆転する。更に、損切した株をまた買い戻すという愚かなこともやったりする。そうすると、またその株は下がって含み損となる。という繰り返しで、ほとんどの場合、失敗に終わる。いわゆる、「動揺売り」というやつだ。さらに「衝動買い」だ。

今まで何度も何度もそれで失敗して懲りているのに、また同じ過ちを繰り返してしまう。この時点で「俺はトレードに向いてない!」と思う。今回参考にしているトレード法では、週末の土日にチャートを見て翌週初めに新規購入をして、また週末まで放置しておくということになっている。それまでは、市場も保有銘柄の動向も一切見ないことになっている。 

それなのに、どうにも我慢できず、ひんぱんに見てしまう。この辺がもう、トレーダーに向いてない。シュミレーションのトレードではほとんど勝っているのに、実践になるとダメというのも、シュミレーションでは実際の金ではないので、一度新規購入すると忘れて放ったままにしておくことが多い。すると、気づいた時には結構な含み益が出ているというわけだ。

前場が下げていても後場に上げたり、その逆というのも普通にあるので、その時その時の株価で一喜一憂しているとダメだ。「木を見て森を見ず」という言葉もあるが、大局を見なければならないのだ。しかし、それがなかなか出来ない。シュミレーションのつもりでやった方がいいのだろうが、貴重な実弾(金)だと思うとなかなかそう思えない。ノミの心臓、チキンハートなのだ。

これからは、週末まで市場を見ないようにしようか。いや、無理だな。1日の前場と後場に1回ずつにしようか。無理かな。前場と後場に2回ずつにしようか。ウーン、取引さえしなければ、何回見てもいいか。ダメだな、こりゃ。

「トレード、また再開!」

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また、トレードを始めている。少額で少しずつやっているが、4月から始めてもう10回以上取引をしている。最初の頃は立て続けに損切ばかりで、2万円ほどの損になっていたが、最近やっと勝ち始めてきて、差引で±0円近くになった。株取引のシュミレーション・ソフトでは、だいたいは勝っていたが、やはり実際に金を投入してトレードするのとは違う。

今回、やっているトレード方法は、チャートを見て移動平均線やローソク足などの動きを見て予測するやり方で、その他の色々な要素もそれに加味して判断する。10年くらい前から色々なトレードの方法をやって来たが、今のやり方が一番しっくりくる。他のトレード法は、どれも早いもの勝ちのようなところがあり、遅ければ遅いほど勝つ機会がなくなってしまう。

ただ、今回の方法はコツをつかむのが難しく、今まで負けているのは上げ下げの初動をつかめなくて、中頃や後半に買っているので、利益が出てもわずかだったり、逆に動くことが多い。それで、なかなか勝てない。トレードは、焦っていると絶対に勝てないので、「忘れているくらいが、ちょうどいい」とよく言われているが、その通りだ。余裕があると、自然と利益も出てくる。

金を持っている人ほど儲かるのは、そういうことだ。余裕のある金で投資をしているので焦らないし、忘れていることができる。銘柄を選ぶときは、慎重に調査をして、買った後は放っておくということだ。買った後もずっと市場の動向が気になり、途中でヘタな知識や感情が入ってしまうと、ろくなことがない。自分もそれで、今まで随分と痛い目に会っている。

個人投資家で儲けているのは全体の約9%で、損得なしが29%、損をしているのが約62%だそうだ。利益を出しているのは、10人に1人の割合だ。しかも、短期的には運やまぐれで大きな利益を出す人もいるようだが、問題は継続して利益を出せるかどうかだ。

一時、億を稼いで話題になっていたデイトレーダーも、機関投資家と証券会社をコンピューターで繋いで、超高速で取引する八百長まがいのものが出てくると、全く相手にならず、あっという間に市場からいなくなった。1秒間に数百回だか数千回だかの取引をして、0.1秒の速さを競っているコンピュータに勝ち目はない。

こんなバカなことをしていたら、個人投資家がいなくなると一時話題にもなったが、そのコンピュータ間で膨大な売買手数料を手にしている市場が、それを止めることはないだろう。それから比べたら、個人投資家の手数料など微々たるものかもしれない。この話も、いつの間にか立ち消えた。

まだまだ、コンピューターも進化しているので、その間隙をぬって、コツコツと稼いで行く「軒下商売」でなければ、個人投資家は稼ぐことは出来ないのではないだろうか。自分の場合は、少額でコソコソと小銭を稼ぐトレードだから、コンピュータと同じ土俵で勝負しても勝てるわけがない。

「緑茶がコロナウィルスに効く?」

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緑茶や紅茶のカテキンが、コロナウィルスを不活化するという記事を、1ヶ月くらい前に偶然ネットで見た。それで、それに関することをネットで色々と調べてみたら、権威のある各大学の研究所でそれが実証されていることが分かった。まだ、ヒト臨床試験と言われるものは行っていないようだが、試験管の中での実験では「お茶に含まれるカテキンが、コロナウィルスを迅速かつ効果的に不活化する作用がある」と発表している。 (※不活化とは、ウィルスを死滅させたり、感染性を失わせること)

これらの発表は、ほとんどが2021年4月15日に京都府宇治市で開かれた「緑茶と健康シンポジウム」のパネルディスカッションでのことだ。京都府立医科大学病院の教授、京都大学のウィルス・再生医科学研究所の准教授、静岡県公立大学の健康支援センター長、国立病院機構仙台医療センター長などの専門家が、そのことを報告している。これだけの権威のあるところで証明されているのだから、嘘ではないだろう。

ということで、早速、自分の2人の息子家族や姉、従弟、友人達にこのことを教えてやった。「緑茶のカテキンが良さそうやで!」と。長男は結婚したばかりで、嫁さんは妊娠している。妊婦は感染すると大変らしいので、夫婦で毎日緑茶を飲むように言った。ただし、妊婦は緑茶を飲み過ぎるとこれまた弊害があるようで、ネットで調べたら1日500mlくらいなら問題ないということなので、そのことも教えてやった。

次男の家族は孫がまだ5歳と3歳で、上の孫の幼稚園では感染者も出たこともあり、用心のためにヨーグルト飲料のR-1を飲むように言ってある。幼児に緑茶を飲ませると、脳に障害が出る場合があるとか言われているからだ。R-1はインフルエンザの予防になるということで、一時期は品不足になるほどだったが、おそらくコロナにも効くだろう。息子と嫁さんには、緑茶を毎日飲めと言ってある。

今のところ、コロナウィルスに対して良さそうだというのはこれくらいしか聞いたことがない。今年1月の週刊現代に、緑茶のカテキンがコロナウィルスに良さそうだという記事が掲載されたようだ。その記事には、人体に侵入したウィルスは、まず咽頭部(喉の奥)に溜まるので、ひんぱんに緑茶でウガイをすると撃退できるのではないかと書いてあった。外出から戻って来たときなど、緑茶ですぐウガイだ。

我が家には、段ボール箱に入っている緑茶(カテキン2倍)のペットボトルが何本も置いてある。女房に、緑茶がコロナウィルスに良さそうだと話すと「またかい!今度は緑茶かい!」とバカにするように笑ったので、それ以上は何も言わなかった。「お前だけ、コロナに感染しろ~!」と、心の中で叫んだ。

緑茶がコロナウィルスにいいとかテレビで放映したら、また店頭から緑茶がなくなるのではないかと懸念していたが、放映していないのかどうか分からないが、今のところは大丈夫なようだ。

「1回目ワクチン接種、終了!」

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5月31日に、1回目のワクチン接種を終えた。市内の指定された病院での接種は午後2時からだったが、40分も前に到着して、受付を済ませて待合室で待っていた。最初は自分しかいなくて、少し経ってから70代くらいのオジサンがやって来た。後は、誰もいなかった。午後2時前に呼ばれてワクチンを打った。最初はチクッとしたが、その後は全く痛みを感じないですぐ終わった。

2回目の接種は5月21日ということで、2日後に市役所から郵便ですぐ連絡が来た。1回目のワクチン接種から、抗体ができるのが2~3週間かかるそうで、それで3週間後ということなのだろう。今のところ、ワクチンを打った左腕に筋肉痛が少しあるくらいだが、発熱や倦怠感や頭痛などの強い副反応は、2回目の接種後に多く出るようだ。

どうなるか少し不安もあるが、数日でおさまるそうだ。ネットで調べたら、市販の解熱・鎮痛剤を服用してもいいと書いてあった。さらに「アセトアミノフェンという成分が入っているものが安全性は高いが、飲み慣れたものでも大丈夫」ということで、調べてみたら自分がいつも飲んでいる風邪薬にアセトアミノフェンが入っていたので、なにかあればこれでいいと思う。

それと、副反応は高齢者よりも若い人に強く出る傾向があるそうなので、軽ければ良いのだが。ビートたけしもテレビで、「1回目のワクチン接種のときは副反応はほとんどなかったが、2回目の方が強いようなので考えている」ということを言っていた。しかし、あの歳で感染したら命にかかわるほどのリスクがあるのだから、副反応を気にしているどころではないだろう。果たして2回目の接種後、どうなるのか不安はあるが、大きなリスクは減る。

「なんだ、これは?」

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昨日、郵便でこんなパンフレットが2通、自分宛に届いた。どういうことだろうか? 今まで、このようなパンフレットが届いたことは一度もなかった。この通販会社に、過去に何かを注文したときに個人情報を入力したので、自分の年齢を分かってのことだと思うが、それにしても「なんだ、これは?」という感じだ。65歳になったから、これなのか? 精神年齢は、まだ20代だぞ。

第一、まだ「おしゃべりダッキー」はいいとしても、男性の自分に「折り紙で脳トレーニング」はどうなのだろうか。オヤジが折り鶴を折っている姿は今まで見たことがないし、見たくもない。「おしゃべりダッキー」にしても、老人ホームでバアサン達が抱っこしているのはテレビでよく見るが、オヤジは見たことがない。

「おしゃべりダッキー」じゃなくて、「おしゃべりガッキー」ならいいのにと思った。最近、星野源とかいう輩と結婚を発表したガッキ―の人形だ。それなら、抱っこしておしゃべりしてもいい。などと言うと「このエロジジイ」ということになるので、この辺でやめておくか。

それにしても、星野源はうまくやった。というか、独身男性達に希望を与えた。「男は顔じゃない」と。ただ、作曲して歌を歌ってヒット曲を出しているから、顔はひどくても秀でているものがあるからだろう。確かに顔かたちだけでは、最初はいいと思うが、飽きるのも早い。ガッキ―は賢い。 

かつて老人ホームで施設管理の仕事をしていたときに、50代の総務課長が「俺はリハビリで、童謡なんか聞かされてタンバリンを叩くのなんて絶対に嫌だな。それよりも、ロックを聞いてマラカスでもやりたい」と言っていた。ロック好きの自分も、ドラムでも叩きたいが、うるさくてかなわないだろうな。

タンバリンなど、真っ平御免だ。オモチャで、猿がタンバリンを叩くのがあるが、あれみたいなもんだ。しかし、ボケてしまって、それすらもできなくなったらどうしよう。いくら長生きしても、ボケてしまってはどうにもならない。最近、カシオの弾くところの鍵盤が光るキーボードを買った。ボケないために練習だ。でも、すぐ飽きるだろうな。

「西岡常一『木の心 仏の心』、小川三夫『棟梁』」

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今、宮大工で伝説の棟梁「西岡常一」と、その唯一の弟子「小川三夫」の本を読んでいるところだ。図書館から借りてきた「木のこころ 仏のこころ」は、西岡常一氏と仏像を作っている仏師の「松久朋琳」の間に聞き手が入り、対談形式になっている。「棟梁」は小川三夫氏が語ったことを、聞き書きした本になっている。

西岡常一氏は明治41年(1908)生まれで、松久朋琳氏は明治34年(1901年)生まれで、共にすでに亡くなっている。お互いに頂点を極めた人だけに、とても示唆のある深い言葉ばかりだ。特に西岡常一氏、そしてその弟子の小川三夫氏も後に棟梁ということで、大人数をまとめて指導していることもあり、超大手企業のカリスマ創業者にも匹敵するものがあるように思う。

京セラの創業者の稲盛さんも、どんな業種の人でもその仕事を極めると同じ境地になるということを言っていた。以前、NHKの「プロフェショナル」という番組をよく見ていたが、まさしくその通りだと思った。空港の掃除婦、クレーンの運転手、海の工事の潜水夫、ラーメンの店主など、色々な職場で働く多くの一流の人達を見ていると、素晴らしいなあと感動する。

仕事をとことんまで追求して極めた人たちには、共通するものがある。みんな非常に魅力があり、目が輝いていて顔つきが違うし、言葉に重みがある。それは形式的な型通りの言葉ではなく、各々が心の奥から発するその人独自の言葉だ。そして、その人達の言っていることには、どれも共通点がある。同じ境地なのだ。 

今回借りてきた「木のこころ 仏のこころ」を読んで非常に面白かったのが、法隆寺の改修工事で棟梁の西岡常一氏と総責任者である大学の建築の先生との対立で、大学の先生は机上の理論ばかりだが、棟梁は実際に現場で施工する立場なので意見が対立する。

理論や理屈ばかりでは、実際には何も出来ないということがわかるし、現場で体感してみるということの大切さがよくわかる。これは建築の話だけに限らず、あらゆるものに通ずることだと思う。西岡常一氏の発する言葉は、重みがあって深い。そしてユーモアもあり、笑ってしまう。

30代の頃から西岡常一氏の本は読んでいたが、当時はよく分からなかった。今改めて読んでみると理解できるようになってきた。小川三夫氏の本もすごく良くて、この2冊の本を手元にずっと置いておきたくて、Amazonで同じ古本を探して注文した。いつも、文庫文ではなく単行本だ。文庫本は、歳を取って小さい字が読みづらくなった。

それと、こういう良い本をハードカバーの立派な単行本で持っているというだけで、満たされたような気持になる。前のキース・リチャーズの本もそうだ。またいつか、読み返すときがあるのかどうかは分からないが、仮に読み返すことがなくても、傍らにあるというだけで幸せだ。また、良い本に巡り合えた。図書館をこれからも利用しよう。

「ペットがいると、認知症になりにくい」

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いつも我が家でエアロバイクを漕いで運動する時は、録画してあるテレビ番組を観ながらやっている。毎回、録画している「あしたも張れ!人生レシピ」というNHKEテレの高齢者向けの番組があり、この前はペットと高齢者のことについてやっていた。

自分の飼っていたペットと一緒に入居できる、そんな老人ホームが出来ているそうだ。ペットの世話は老人ホームの方でやってくれるので、入居者はペットと一緒に居るだけでいい。世話がいらないので、体が自由に動かなくなった高齢者には非常に有り難いそうだ。

何よりも、長年一緒に生活して来て、家族同然になっているペットと一緒に居られることは、何ものにも代えがたいことだ。番組の中で、「人間と犬の目が合って見つめ合った時に、脳内のオキシトシンというホルモンが3倍以上に増加する」という研究結果が報告されたと言っていた。このホルモンは、「幸せホルモン」とも呼ばれていて、人の心を癒したり、体の痛みを和らげる効果があるそうだ。

犬も猫も、かけがいのない存在だ。歳を取るに従って、益々その存在は大きくなる。歳を取ると、段々と孤独になっていく。そのときに、傍らにペットがいることがどれだけ癒されることだろう。しかも、飼い主が亡くなった後も、老人ホームで最後までペットの世話を見てくれるというので、自分が亡くなった後のペットのことを心配しなくてもいい。

自分も愛犬キートンが生きていた時には、こちらをじっと見つめるキートンに向かって、悲しいときや落ち込んでいる時に話しかけていたことがあった。もう、ペットという関係ではなくなっている。キートンがこちらの目をジッと見ているとき、何かを察して、心の中までジッと見られているような気がした。「ペットがいると認知症になりにくい」というのは、実に興味深いことだと思う。

「やることが、山ほどあるのに」

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我が国の政府のコロナ対策の遅れが、未だに続いている。世界各国の中で、ワクチン接種率が100番以下だと、昨日のテレビでやっていた。米国やイギリスが50%台で、先進国の中では最も低いドイツでさえ30%台なのに、我が国は3%にやっと達したくらいだという。溜息しか出て来ない。

緊急時にこそ、その国の政府の真の姿が出てくる。東日本大震災のときも、時の政権の民主党が醜態をさらしたのは、まだ記憶に新しい。日本の政治は3流というものの、これほどひどいとは怒りを通り越して失望する。こんなヒドイ政府に税金や、ずるい財務省のたくらみで上げ続ける消費税も取られ、政治家や官僚だけがその血税を懐に入れてホクホクして、国民は悲惨な思いをするばかりだ。こんなことは間違ってる。 

それにしても、自分が毎年保健所に申請している「難病医療申請」も用意する書類が多く、他の高齢の申請者も「私にはできない」と頭を抱えている姿を、保健所で何度も見かけた。毎年のように様式が変わり、民主党政権になった時にはガリ版刷りのような用紙がさらに1枚増えた。こんな調子なら、他の役所の色んな申請書類も同じだろう。

高齢者にわかりやすいようにしている書類ではなく、役人が自分達の都合でやりやすいようにしている書類であり、これでは我が国のIT化もデジタル化もあったものではないとずっと思っていた。ほとんどが手書きの世界だ。視点が国民ではなく、まして高齢者の方など全く見ていない。民間企業より、はるかに遅れている。

年金の早期受け取りのハガキも同様で、はがきの裏に実に細かい字で色々と書いてあり、上下の幅が5ミリほどのすごく狭い行に、住所や名前などを書くようになっている。「誰が書けるんだ?」と思わず笑ってしまったが、これは高齢者への嫌がらせか、年金の受け取りを早くさせないための企みなのかと疑ってしまうほどだ。

というくらい、我が国の高齢者や国民に対する対応は、すべてに於いてお粗末というか、不親切というか、時代遅れになっている。国会議員も官僚達も国民のことなど、どうでもいいと思っているからだろう。無能というよりも、そもそもやる気がないのだ。

それが今度はデジタル庁を新設とか言っているが、その前に国民の各手続きを見直し、改善しなければならないことが、山ほどあることを分かっているのだろうか?以前から、やらなければならないことをやっていないから、緊急時になると今回のようなことになる。

IT化も進んでいたら、今回こんなぶざまなことにならなかっただろうし、ワクチン接種の予約にしてもスムーズに行ったはずだ。それに、今はバラバラな各市町村との連携も同様で、まだまだ上手く行っていたはずだ。しかし、私利私欲しか頭にない、今の3流政治家や3流官僚では無理なのだろう。週刊誌の話題で、討論するのが関の山だ。