オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「Amazonに注文したマスク」

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3月13日にAmazonに頼んだマスクが、最終到着日の3月29日になっても届かなかった。すぐ今日、Amazonにキャンセルの届けと返金の手配をお願いした。この手続きをチャットでしたが、担当者が中国の人だったみたいで、これまた驚いた。

どこもかしこも、中国だ。このマスクを注文した時は英語名の会社で、どこの会社か分からなかったが、注文が確定して配送状況を見ていたら、配送業者が「China Post」となっており、これは中国の郵便局のことらしく、中国から送られてくるとは思っていなかった。

そんな話を会社の人達にしていたら、中国から送られてきたマスクは大丈夫かという話になった。新型コロナウィルスの菌が付着していて、死なないで残っているかもしれないという声もあり、これはちょっと気持ち悪いかなあと思うようになった。

それならいっそのこと、届かない方がいいなと思っていたら、昨日とうとう届かなかったので、少しホッとした。後、数日で届くようなことも言っていたが、「予定日に来ないので、もう他から手配した」と書いてキャンセルを頼んだ。

日本製のマスクか、日本のメーカーがキチンとチェックしているマスクが、早く手に入るようになるといいのだが。台湾の鴻海精密工業の傘下に入ったシャープが生産するマスクは、ネットでそろそろ販売するようなことを聴いたが、いつになったら始まるのだろうか。

品質が良くて安心できるマスクといういことで、恐らく注文も全国から殺到するだろう。そうなると、また買えないことになりそうだ。恐らく、1人何枚とかいう限定になると思う。それにしても、まだまだ余裕があると思っていたマスクが、これほど長期化するとは思わなかったので、段々と残りの枚数が少なくなると少し心配になる。

今日、ネットで新型コロナウィルス関連の記事を見ていたら、「オランダで中国製のマスクを130万枚輸入したが、約半分の60万枚が品質基準を満たしていなかった」という記事があった。顔に適切に密着しなかったり、フィルターに欠陥があるということだったらしい。

今回、Amazonに頼んだマスクも、もしかしたら同じかもしれないと思うと、来なくて良かったなあと思ってもいる。しかし、まったく人騒がせな、とんでもない国だな中国は。

「負けると悔しい、将棋」

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将棋は、小学生のときからやっている。最初は、折り畳み式の盤とプラスチックの駒でやっていた。本当の将棋だけでなく、その駒を使ったゲームも色々とやって遊んでいた。今は、専用の将棋ソフトを買ってパソコンにインストールしてやっている。その将棋ソフトのレベル設定は4級にしている。初心者用の最低ランクは10級で、最強ランクは5段まであるのだから、どれだけ自分のレベルが低いか分かる。

この4級というところがミソで、このレベルだとだいたい勝てるからだ。しかし、その一つ上の3級になると急に強くなり、なかなか勝てなくなる。これが面白くない。将棋に関しては、自分でも「将棋を冒とくしている」と思っている。それは、もう勝負がついていても、相手の駒を出来る限り取りまくるとか、詰めが分かっているのに、わざとゆっくり遠回りしてジワジワと責めたりとかする。いかに最短で詰めるかという本来の将棋からは、遠くかけ離れている。

将棋の場合は麻雀と違って、運に左右される要素がほとんどなく、実力の差がハッキリ出るので、相手の力が上だと容赦なくとことんやられる。故に、精神的なダメージがかなり大きく、悔しさがかなりある。自分が学生のときに、叔父が将棋でもやるかと言ってきたのでやったことがあったが、自分の圧勝だった。すると、叔父が「だから、将棋は面白くないんだよなあ…。力の差がハッキリ出るからなあ…」と、悔しがってブツブツ文句を言っていたことがあった。

父親は囲碁をやっていたが、自分が中学生の頃に「将棋の相手をしてやろう」と言うので対局したことがあったが、自分の完勝だった。すると、ムッとして「やっぱり、囲碁の方が深みがあって、単純な将棋よりずっと面白いな!お前も囲碁を覚えろ」と言った。2人とも、子供相手に大人げないとは思うが、それほど将棋で負けることは悔しく、ダメージも大きい。

「最近、麻雀にはまっている」

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自分の父は麻雀狂いで、「なんでも、賭けないと面白くない」と言って、賭け麻雀ばかりやっていた。もう時効だからいいだろうが、自分が小学生の頃、父は商売をやっていたので発注業者の人達と頻繁に接待麻雀をやっていた。それで、「今日は〇〇〇〇円、負けてくる」と言って札束を数え、ズボンの後ろのポケットに入れて出かけて行った。しかし、負ける金額がどうして分かるんだろうと、子供ながらに不思議だった。

接待麻雀は勝ってはいけないが、わざとらしく負けてもダメなので難しかったそうだ。一度、父がいつものように接待麻雀をしていたとき、いつの間にか発注業者の1人が父の後ろに座っていて、父の並べている牌を見ているのに気づかなかったそうだ。それで、いい牌が来たのにわざと捨てたら、その人が「なんで、その牌を捨てるんだ?」と後ろで言ったので、すごく焦ったそうだ。

そんな接待麻雀で、勝たしてもらってばかりいた発注業者の人が、退職後に麻雀仲間と麻雀をしていたが、今までのように勝てないので「おかしい。俺もずいぶんと弱くなったもんだ」と周りの人に話していたそうだ。すると、その話を人づてに聴いた、接待していた業者の人が、「まだ、分からんのか!」と言ったという話があった。

自分が学生のときに実家に帰ると、姉がよく家庭麻雀をやろうと言い、役や点数を数えれる父を誘って、3人麻雀をよくやった。毎回、父が勝つので、さすがに強いなあと感心していた。そうして、何度かやっているうちに、姉が「どうも、おかしい」と言い、「お父ちゃん、イカサマをやってる!」と言って、姉がとぼけている父の右手を掴んだら、麻雀パイが3個くらいボロボロと落ちた。

それにしても、家族麻雀で、子供相手にイカサマをする父親がいるのだろうかと思った。父曰く「だって、お前達相手なら、こんなことでもしないと面白くないからよ」とのこと。父にしてみたら、役もよく分からず、点数を数えることもできないような、子供達の麻雀に付き合うのは、退屈で仕方がなかったのだろう。しかも、牌を取ってから捨てるまで、かなり時間がかかるので嫌になっていたのだ。

最近、パソコンで、ネットの無料麻雀ゲームを始めてから、段々と面白くなってきて、役も数え方も少しずつ分かって来た。父があの世から、「何だ!今になって、やってるのか?」と笑ってるような気がする。父が生きているときに、何度も父の麻雀仲間と一緒にやろうと誘われたが、その時はまったくやる気がしなくて、一度もやらなかった。いつか自分もあの世に逝ったら、父と今度はイカサマなしで対戦してみたい。

「ついに完成!幻の橋」

 

 

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24年前にここに来て以来、ずっと毎年着工して完成すると聴いていた幻の橋が、ついに、ついに完成した!今日の午後1時に開通ということで、5分前に行ったら車が橋の入口に5台ほど並んで待っていた。新型コロナウィルスのせいで、開通式をやめたそうだ。歩いて橋を渡ろうとする人もゾロゾロと集まってきて、中高年のオジサンやオバサンや、学生やら子連れやら、たくさん居た。

自分も車で渡ってみたが、想像以上に広くて立派で、素晴らしい橋だった。上江別側から自分の家のある方を橋の頂上辺りから見ると、別の街のように見えた。違う景色が見えた。上から見下ろすことなど今までないからだ。なんとも感慨深かった。

昨日、北海道新聞の朝刊の地方欄に「南大通大橋、あす開通」という記事が掲載された。記事によると、この橋は千歳川両岸の住民の強い要望を受けて、1964年に都市計画で橋を架けることが決定したが、道の財政状況などもあって、その決定から47年後の2011年度に着工し、2020年度の完成になった。工期も予定より2年遅れになったそうだが、その理由は「橋の地盤が軟弱で、想定以上に大がかりな工事になった」ということだ。

関心があった地価だが「市内の不動産業者は、橋の開通で今後は跳ね上がるだろうとみている」と書いてあり、想像した通りの展開になりそうだ。なんといっても、橋の規模も大きいので、今後はかなりの交通量になるだろう。両岸の道路も、最初からこういう計画だったので、昔から2車線だ。

野幌方面に行くのが便利になり、馴染みのカツ丼屋「かつや」に行くのも近くなり、「Pasco夢パン工房」と、地元の生産者が自ら運営する「のっぽろ野菜直売所」に行くのも近くなる。後は、橋を降りた上江別地区のすぐ左側にホクレンショップがあるから、買い物が便利になる。車で我が家から約3分なので、暖かくなったら自転車で買い物に行くのも気持ちが良くていいかもしれない。とにかく、完成して良かった!

「体が、硬い!」

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体が硬いせいか、昔から同じ姿勢でずっと座っていることが出来ない。机に向かっていても、首から背中にかけてバーンと張った感じになって、同じ姿勢を続けるのが非常につらい。映画館に映画を観に行って一番イヤだったのが、同じ姿勢をとるのがつらくて絶えず座る位置を変えたり、足を組み直したりして動いていたことだ。

そのうち、後ろの席で観ている人が「いい加減にしろ!」と怒り出すんじゃないかと思って、気になっていたことだ。その内、一番後ろの席に座るようになったので、その心配はいらなくなった。

小学校の高学年の頃から、近所の整骨院に通っていた。とにかく、頻繁に足が突っ張ったり、寝違いを起こしたり、振り返ったら首がそのまま動かなくなったことも何回かあった。それで近所の整骨院に何度も通い、最初は治療を受けている大部屋のジイサンやバアサンがたくさんいるところで、マッサージを受けた。

激しいマッサージで、上に乗っかるわ、体を曲げられるわで、痛くて悲鳴を上げると、先生は得意になって周りのジイサンやバアサンに、「ほら見ろ!こんなに若いのに、体はガチガチの年寄りだ!」」と言う度に、周りのジイサンやバアサンはゲラゲラと大笑い。これが毎回のパターンだった。
 
そして、激しいマッサージの後は、電気を足に流してマッサージする医療機器で、筋肉がビクンビクンと動くやつだが、これを最高レベルにしても自分にはあまり効かない。それで、先生は大きなタライにお湯を入れて、その中に塩を入れ、その中に足を入れさせて電気を流していた。

「こんなにやらないと、効かないんだからなあ、まったく」と、先生はいつもあきれていた。今、考えてもかなり筋肉も硬かったのだろう。だから、小さい頃から学校の準備体操とかでも、他の同級生と同じ様に体を曲げることができなかった。

高校の時は、体育の時間に生徒同士がペアになって、座って足を前に伸ばしている者を背中から一人が押し、押される方は伸ばしている手の先を足のつま先に触れるようにするのだが、これが何としても自分は半分くらいしか行かない。それを見ていた体育の怖い先生が、突然「何をやってるんだ!」と怒って飛んできた。

そして、自分の背中を押していた同級生に「代われ!」と言って代わり、先生が何度か力強く自分の背中を押したが、何度やっても前に倒れなくて、自分は「ウーン、ウーン」と苦しくてうなっていた。すると先生が、「それじゃあ、みんな。次の運動をやりま~す!」と言って、サッサと行ってしまった。

自分は座高が高くて手足が短いので、それも何か体が硬いことと関係があるのかと考えたこともあった。ロードバイクに乗ってみても、サドルが高くてハンドルが角のように曲がっているタイプだったので、背中をかがめてハンドルを掴んで乗るとかなり体を屈めることになり、すごく苦しい。普通の人ならそうでもないのかもしれないが、自分のように体が異常に硬い場合は無理なのかもしれない。体が硬いって、いいことがあるのだろうか。

「孫にほんろうされる、ジイサン」

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自分には今、次男坊のところに4歳と1歳になる男の孫が2人いる。その4歳の孫が、喘息で約1ヶ月間入院したときには、孫が楽しみにしていた幼稚園に行けない寂しさを紛らわしてやろうと思い、女房と競ってオモチャを買ってやり、その後も時々買ってやっていた。次男坊夫婦は、普段はオモチャをあまり買わないようにしているようだ。確かに、与え過ぎるのは良くないことだ。

自分の仕事が休みの時に、次男坊の嫁さんが下の孫を病院に連れて行く用事があったので、送迎を頼まれた。自宅に迎えに行ってから病院に送ると、インフルエンザも流行しているので、上の4歳の孫は自分と車で一緒に待っていることになった。ただ、それも退屈なので、「どこかに、ドライブでも連れて行くよ」と次男坊の嫁さんに話していた。

そして、孫と二人きりになったので「どこに行きたい?」と孫に聴くと、少し考えてから「イオンでも行って来ようか!」と言い、「そして、オモチャでも買ってこようか!」と明るい声で言う。一瞬、「ん?」と思ったが、あまりにもさりげなく可愛いらしく言うので、つい「いいよ!」と言ってしまった。

ただ、懐具合が急に心配になってきて少し考えたが、まあなんとかなるだろうと思って、連れて行くことにした。イオンのオモチャ売り場に着くと、孫は目をらんらんと輝かせてステップして歩きまわり、色々なオモチャを夢中になって見ている。「なにか、オモチャを1つ買ってやるよ」と言うと、ニコニコしてオモチャを選び始めた。

そして、あるオモチャのところで足を止めたので見てみると、大きな箱に入っている車のレーシングコースだった。恐々と値段を見たら、なんと5千円!ゲゲゲー!しかし、孫は目を輝かせて「これがいい!」と言う。こうしてジイサンは、またもお買い上げ!

その後、病院に戻って少ししたら、嫁さんと下の孫が戻ってきた。嫁さんは大きなオモチャの箱を見て驚き、「どうしたの、これ?」と孫に聴いている。自分が事情を話すと、嫁さんは恐縮して「ホントにすみません!」と言う。

「どうしてイオンに行くことになったんですか?」と聴くので、孫が行こうかと言ったと話すと、孫に「しかし、お前は段々とずる賢くなって~!」と吹き出していた。孫も段々と知恵がついてきて、ジイサンはいいように操られている。

「友人、T氏」

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あれはもう、40年くらい前になるだろうか。自分がゴルフを始めてから5年ほど経っていた頃、会社の若い連中と友人Tと、近くのゴルフ場にプレイしに行ったことがあった。その時、Tはゴルフを始めたばかりで、あまりのヘタさに見ていられなくなり、仕方なく色々と教えてやったので、Tは私のことを"師匠”と呼んでいた。正確には呼ばせていた。

しかし、フォームとか色々と教えたが、覚えが悪く、尻っぺこもチョコンと後ろに出して格好も悪かった。内心「こいつはダメだな。ものにならん」と思っていた。センスのかけらもないと。ただ、本人が一生懸命だったので、可哀想だと思い、口には出さなかった。                                    

そして1ヶ月後に、Tと再びゴルフをする機会があった。すると驚いたことに、なんとTはすごい上達ぶりで、自分よりも上手くなっていた。聞くところによると、毎朝仕事の前に早朝ゴルフをしていたそうだ。センスのかけらもない者でも、数をこなせば何とかなるもんなんだなあと思った。

師匠がそんなTに対して、「ホホー、よく頑張ったね!」と一言、声をかけようと思ったその時だった。Tの口から、信じられない言葉が出た。薄ら笑いを浮かべながら、「へへへ、今度、教えてやろ~か?」と。 ( ̄∀ ̄*)へへへ~

その日を限りに、自分はゴルフクラブを二度と手にすることはなかった。屈辱の日であり、忘れようとしても忘れられない日になった。その日から、持病の糖尿病と高血圧が悪化し、現在も治療中。口惜しくて、再び彼になんとか師匠と呼ばせるために、またゴルフクラブを手にしようかと思ったこともあったが、彼と比べると当時の自分はあまりにもハンディがあると思い、やむなく断念した。

体重は、彼の方が自分よりもずっと少なくて痩せていたし、しかも自分は当時、糖尿病、高血圧、脂肪肝、蓄膿症、花粉症、盲腸手術、心配症、赤面症、対人恐怖症、自意識過剰、肩こり、体が異常に硬い、座高が高い、足が短い、人がいると小便が出ない等々、数えあげたらきりがないほどのハンディがあった。断念するしか無かった。

そして、あっという間にこの歳になってしまった。Tはあの後、シングル近くまで行ったようだが、歳と共にゴルフを止めて、最近はパークゴルフのクラブに持ち替えて、一人で練習を重ねている。Tは、現在は旭川市に在住だ。自分も、今の職場の同じ歳のU氏から「一緒にやろうか?」と誘われているので、やってみようかと考えている。

Tは、今はかなりスコアを縮めており、今年は大会にも出るようだ。いつか、Tとパークゴルフをやりたいと思っているが、また「教えてやろ~か!」と言われるのが嫌なので、練習しとかないとなあ。

「中高年からの、楽器の演奏」

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ギターを習うのは自分には向いていないと思ったが、ただ、クラシックギターなら習ってもいいかなと思うことがある。マニュアルがきちんとしているし、自分のようなジイサンやバアサンが多く習っているからだ。型通りの演奏だが、初心者にはそれで充分だし、うまく演奏できるとすごく嬉しい。みんなで演奏する合奏もあるので、人前で演奏したりとかすると、さらに楽しいだろう。

しかし、本当はクラシックギターよりも、キーボードを習ってみたい。新さっぽろのNHK文化センターで、色々なカルチャーの講座をやっているが、その中に「中高年・超初心者からのらくらくピアノ!ピアノで脳と心をリフレッシュ」とか、「大人のための楽しいキーボード ドレミから弾いてみよう!」という教室がある。

これが、毎回すぐ満席になってキャンセル待ちになってしまうほどの人気だ。自分もキーボードをずっと覚えたいと思っていて、数年前から関心があった。キーボードは、カシオ製のものを使っているようで、色々な音色や鍵盤が点滅して弾くところを教えてくれる機能があったりして、面白そうだ。

自分のような歳のジジババになっても、自分で好きな音楽を楽器で奏でたいという夢をみんな持ち続けているようで、自分で楽器を演奏できたときの喜びは、何とも言えない。まして、それに合わせて歌を歌ったりすると、さらに喜びが増す。自分はジョン・レノンの「イマジン」やビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」を弾いて歌ってみたい。 

まだまだこれからでも、キーボードもギターも、そしてDTMも覚えるのは、遅くはないのかな。中高齢者の楽器の講習会が盛況で、みんなもこれから始めてるようだ。音楽はいいけど、自分で演奏できるとさらにいい。 カシオの光るキーボードが、2万円でAmazonにあった。また、「欲しいもの欲しい病」がムズムズしてきた。しかし、結構デカそうで置き場所がないので、無理かな。

「ギター教室に行った」

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3年ほど前に、近くのギター教室に通った。新設したばかりの教室で、先生も人に教えるのは初めてのようだった。生徒の中に自分と同年齢のS氏がいた。30万円位の高価なアコースティックギターを持っていて、一度弾かせてもらったが、ものすごくいい音だった。「家族会議を開いて、女房と相談して買った」と言っていた。

この人はとてもギターが上手で、自分が弾いてみたかったエリック・クラプトンのアコギの曲なども簡単に弾いたりして、心の中ではいつかこの人に教えてもらえたらいいなと思っていた。他に消防の人、高校に入ったばかりのお兄ちゃん、20代のお嬢さんの生徒がいて、大抵は1人欠席の4名で授業は行われた。

高校生のお兄ちゃんは、何故かギターで「初音ミク」をやりたいと言っていて、先生に「やりたい曲の楽譜を持ってきたら?」といつも言われているのに持って来ない。先生が話している時も、勝手にギターをジャガジャガとかき鳴らして(叩いて)、自分が隣の席に座っていた時は、その大音量で先生の話し声がほとんど聞こえなかった。

お嬢さんは、斉藤なんとかの曲をやりたいと楽譜も持ってきていたが、Fのバーコードを押さえるのがかなり難しいようで、先生の指示で指を何度も精一杯広げて、体をねじってなんとか押さえようと苦しんでいたが、途中で「不可能!」と叫んでいた。自分とS氏以外の他の人達は、バーコードが押さえれないようだった。本当の初心者ばかりだ。

自分は先生の演奏に合わせて、先生が口に出して言うコードを一緒に弾くのがやっとだが、それでも何故か楽しい!今まで一人で黙々と弾くのがつまらなくなっていたが、こうして皆で弾いていると新鮮で、新たな喜びを感じた。 先生にそう言うと、「Sさんも、そういう理由でこの講習に来てるんですよ」と言ったのを聴いて、みんな同じなんだなあと思った。1人で弾いていても孤独で、段々とマンネリにもなってきて、張り合いがなくなってくる。

そんな調子で、2回目くらいまでは授業は進んでいったが、3回目から突然授業は音楽理論の話になった。ある程度理論が理解できていれば、ギター演奏の世界が広がるという先生の説明を受けて、音楽理論の授業が始まった。S氏はさすがに分かっているようだったが、自分や他の生徒はチンプンカンプンで「なんだ、こりゃ?」と思っていた。先生もこの先どう教えていいか行き詰まっていて、仕方なく音楽理論を教え始めたようだった。

各生徒のレベルや、やりたい音楽がそれぞれ大きく違うので、どうしても1時間のレッスンの中で生徒が4人いると、先生が1人に教える時間は正味10分か15分くらいしかなく、当然残りの生徒たちは残りの45分か50分はどうしていいか分からず、ブラブラしていた。 それで、自分はこれではいつまで経っても上手くならないと思い、月2回のグループレッスンを1回にして、残りの1回を個人レッスンにして欲しいと先生に頼んだ。

グループレッスンも今まで通り1回やるようにしたのは、S氏がいたからだ。彼の演奏を見たり聴いたり、時には一緒に演奏するということが楽しみで励みや目標にもなったし、同年齢なので親近感もあり、好きな音楽やギターの話しもピッタリ合うので、話していてすごく楽しかった。それで、段々と親しくなって、個人的に会って教えてもらえるかなという気持ちもあった。 

しかし、個人レッスンをやるようになってから、何故かグループレッスンがなくなった。つまり、いつの間にか月2回のレッスンが、全部個人レッスンになっていた。S氏にも会うことがなくなったので、先生にグループレッスンのことやS氏のことを何度も聴いたが、うやむやで何も言わない。それで、もしかしたらS氏や他の皆もすでに辞めているのではないかと思って、自分も思い切って辞めることにした。

生徒の皆が、いずれ辞めていくような予感もしていた。急にギター理論を始めたりして、みんなも戸惑っていたようで結局、自分が最後の生徒だったと思う。最近、そのギター教室のすぐ近くを通ることがあったが、まだギター教室はやっているようだった。自分は、ここに通う前やその後も違うギター教室に通ったこともあったが、自分にはこうして教わるということ自体が向いていないのかなと思い、習うのはもうあきらめた。

「DTMは、音の宝石箱や~!」

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DTM(デスクトップ・ミュージック)なるものを去年からやっている。本当は5年以上前から、何度も何度も挑戦して来たのだが難しすぎて、途中で挫折ばかりしていた。それでもうダメだと諦めていたら、3年前に勤めた老人ホームにいた40代の職員O氏が、なんとDTMをやっていることが分かり、それから自分がその職場を辞めてからも、何度も自宅に来てもらってDTMを教えてもらっている。

そのうち、O氏が使っているDTMのソフト(DAWという音楽制作の統合ソフト)を自分も使えば、O氏も説明がしやすいだろうし、便利なこともあるだろうと思い、O氏の使っている「Studio One」というDAWソフトを自分も購入して、O氏にパソコンにインストールしてもらい、設定もやってもらった。なにからなにまで、すべてO氏にやってもらった。

多重録音をすることは学生の頃からの夢で、本当はずっとバンドで音楽をやりたかったのに機会がなかったこともあって、自分一人で多重録音してやれないのかといつも思っていた。それが、今のテクノロジーの驚異的な進歩で、ほとんどの楽器やストリングスに至るまで、リアルな音源で演奏して、個人のパソコンで録音できるようになった。マウスを動かすだけでパソコン上でそれらの楽器を演奏し、そして重ねて楽曲が簡単にしかもリアルに作れる。

O氏は「初音ミク」というヴォーカル音源を使って、ベース、ドラム、パーカッション、キーボード、ストリングスなどの音源を使い、マウスを使って組み合わせ、楽曲を作って行く。よくこんなことが出来ると感心する。自分が出来るのはギターだけだが、最近恥ずかしながらヴォーカルにも挑戦してみた。この歳になると、ノドの筋肉も衰えて声も出なく、元々声域は広くないのに高い音はさらに出なくなった。本当はコーラスも重ねて、やってみたいのだが。

そんなことで、今まで何曲かコピーした楽曲をO氏と作ってみた。曲の原案は自分が出して、O氏がギター以外のボーカルや楽器をすべてコピーして作り、自分はギターを少し入れるだけだ。山崎まさよしの「ロンリー・イェスタディ」、竹内まりやの「アフター・イヤーズ」、山下達郎の「ターナーの機関車」、エリック・クラプトンの「I will be there」などをやってみた。

この音楽データをメールに添付ファイルとして相手に送り、お互いの同じDAWソフトでそれを開いている。ただ、お互いのバージョンが少し違うので、読み込めないところもあったりするが、それにしても便利だ。このDTMの機能は、まだまだすごいのだが、使いこなすのが大変だ。今は、まず基本となるドラムの打ち込みを覚えるために本を読んだり、youtubuを見ているが、なかなか難しくて先に進まない。O氏に、また教えてもらうつもりだ。

最終的には楽曲のコピーだけでなく、編曲をして色々とアレンジをしてみたいというのが夢だ。しかし、後5年で70歳になるジイサンが、果たしてこれからどれくらい覚えることができて、使いこなせるようになるのか分からない。65歳からDTMを本格的に始めるというのは無謀なのかもしれないが、それでも生きている内、元気な内に、その夢をなんとか叶えたいと思う。