オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「群馬・長野・山梨県方面への旅行 その2」

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3日目に泊った「石和温泉」だが、この「石和」が何度聴いても覚えられない。「いさわ」と読むが、これを「何と読むか分かるか?」と友人にメールを出したら、すぐ「いさわ温泉だろ」と返信が来た。何で分かったと再度メールしたら、「だって昔、東京で待ち合わせして、2人で一緒にこの温泉に行ったじゃないか」とのこと。

一生懸命思いだそうとしたが、まったく覚えていない。時々、そういう風にところどころの記憶が消えていることがある。やはり20代の中頃に違う友人と車で、北海道から京都まで行って清水寺を訪れた。初めてここに来たと思っていたのに、水を飲む場所があってヒシャクを口につけて水を一口飲んだ瞬間、突然記憶が甦った。

「俺、高校の修学旅行のとき、ここに来たわ!」。そのときも、ヒシャクで水を飲んだからだ。ちなみに、その友人は高校の時の同級生だったが、喫煙がバレて停学になって、修学旅行には来ていなかった。

最終日に山梨県の「石和温泉」のホテルを出発し、すぐ近くにある宝石店に連れていかれた。「宝石を研磨する技術は世界一」だと言う50歳くらいの、いかにも海千山千の商売人という男性に案内されて、付いていった(連れていかれた)。

最初は、宝石の原石になる石がたくさん飾られた庭園を案内され、その後に磁気だか放射線だか出てるという、黒いネックレスの説明を受けた。そしていよいよ、ショーケースが並んでいて、女性店員が5~6名いる店内に連れ込まれた。

それまで案内してくれた男性が、ショーケースの内側にいる年配の女性店員に、「詳しい説明をして下さい」と言って入れ替わった。そして、女性店員が黒いネックレスの説明を始めて、良い物とそうでない物の見分け方というのを実際に比較して教えてくれて、いよいよ販売だ。

女性店員が「普通は大手デパートなどに13.000円+消費税で卸していますが、特別にお客様達には、消費税込みで12.000円でお分け致します」と言った。すると、少し離れてそれを聴いていた先ほどの男性が、いきなりツアー客をかき分けてやって来た。

大声で「ちょっと待って下さい、〇〇さん!(女性店員の名前)せっかく北海道からわざわざ来て下さっているんです!ここは思い切って、消費税込みの9.500円にしてあげましょうよ!」と言った。

自分と女房は、まさにテレビショッピングを見ているようで、なにか照れ臭さくなって2人とも後ろを向いた。女房が「こんなの、誰も買うわけがないよね」と小声で言っていたら、ツアー客の人達が「オー!」という声を上げて、競って受付に殺到していた。

女房が「爺さん婆さんが、簡単に詐欺で騙される理由が分ったわ」と言った。自分も「そうだなあ…」と言った。しかし、実は自分も女房が一緒にいなければ、あの人達と競うように真っ先に買っていたかもしれない。

というのは、男性店員が「有名な相撲取りがいつも身に付けていて、「徹子の部屋」にもそれを身に付けて出演していた」とか、「体にすごくいい」とか、「大手デパートよりかなり安い」と言っていたので、そんなに、いいものなのかと次第に思うようになった。自分も、詐欺に真っ先に騙される口だろう。                    

今回のツアーは、朝晩はホテルの食事付で昼飯はオプションで別途、添乗員さんに注文してドライブインなどで、セットメニューをみんなと食べるということだった。2つのホテルが、それぞれ朝晩セットメニューで、1つのホテルが朝晩とバイキングだった。

ただ、今回のツアーが格安ツアーなのも一番の理由だとは思うが、平均してどれも美味いという料理がなく、魚料理などはひどかった。確かに群馬、長野、山梨は山なので仕方ないと思うが、それにしても鮮度も悪く、魚の種類も聞いたことがない魚で「信州鱒」とPRしていたのを刺身で食べたが、美味くなかった。

本場であるはずの山菜にしても漬物にしても、どれもそれほどでもなかった。唯一、美味いと思ったのは味噌汁だった。信州味噌が、名産だからなのか。「ほうとう」という鍋料理も出たが、ただ山菜を入れた鍋にうどんとカボチャも入れて食べるのだが、これがこの地方では客人をもてなす料理だというのだから驚いた。       

北海道が、本州の人達から食べ物が美味いと評判なのは、本州の方の食べ物自体がそれほど美味しいものはないからではないか、と女房と話していた。あるとしたら、京都などの懐石料理とか、江戸前寿司とか手が掛かっている高級料理しかないので、一般の人達は北海道に来ると手軽に美味しいものが食べれるから、喜ぶのだろうか。

まだ、日本国内は行っていないところばかりだが、恐らくどこで料理を食べてもそんなような気がする。自分の住んでいるところの良さが分るには、やはり他のところを知らなければならない。それで初めて、自分の住んでいるところの良さも悪さもハッキリと分ってくる。

美味しいというソフトクリームも食べたが、北海道のソフトクリームの方がずっと美味しかった。乳製品も恐らく北海道の方がレベルが高いと思う。だから、北海道の食べ物に憧れてたくさんの観光客が本州からやって来るということが、今回の旅行でよく分かった。                                     

白馬のホテルで、夜8時頃から屋外駐車場で無料の天文ショーがあったので参加した。温度が13℃位だったので浴衣姿は無理らしく、普通の服装の上に持って行った薄手のパーカーを着て行ったが、当初30名ほど居た参加者が寒さのために少しずつホテルに戻っていき、自分と女房も途中で戻った。

ボランティアだという50代くらいの男性が色々と説明してくれて、大きな望遠鏡2台を交替で覗かせてくれた。月はかなり明るく輝いてまぶしく、クレーターまでかなりハッキリと見えた。木星は1円玉より小さいサイズにしか見えなかったが、丸い惑星の中に2本のグレーの線が入っているのが分った。それらを、初めて望遠鏡で見た。

それと、日本の通信衛星の破片が今も地球の周りを猛スピードで周っているのが見えると言われ、実際にその衛星の破片が上空にあるのを見た。結構なスピードで動いていたが、そのスピードがなんと時速28.000キロで、1秒間に3キロとか想像もつかない速さで、今も地球を1日に6周もしているそうだ。想像もつかない。                         

北極星の探し方も教えてくれたのだが、このガイドさん何故かこの時になると急に威張りだして、「北極星がどこにあるのか分かる人は常識人!分らない人は非常識人!」と大声で何度も言う。もちろん参加者の全員が分らないので、みんな苦笑いしていた。

自分は大して気にしていなかったが、後日バスの中でそのときの話が出て、前の席に座っていた高齢の男性が「しかし、あんなことを言われて不愉快だったな!」と言うと、周りの人達も「そうだ、そうだ!」と言い出したので、みんな怒っていたのかと驚いた。                                     

しかし、「まあ、タダなんだから少しくらいは威張らせてやってもいいじゃないか。タダなんだから」と思った。今どき、無料の催し物はなかなかないだろうし、寒い中で、一生懸命やってくれたのだから感謝しなければ。タダなんだから。

画像は左から、上田城の門前、安曇野のわさび農場、善光寺。

「群馬・長野・山梨県方面への旅行 その1」

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2016年5月18日から5月21日の3泊4日で、女房と一緒に本州旅行に行った。新千歳空港から羽田空港まで飛行機で行き、羽田空港からはずっと観光バスで移動。泊ったホテルは1泊目が群馬県、2泊目が長野県、3泊目が山梨県と3県にまたがった。こちらの方面はほぼ初めてだったが、この辺りは北アルプスや南アルプスがあって、とにかく山ばかりで、山を見ない日はほとんどなかった。 

山道をかなり走って色々な町を通っていったが、とにかくどの道路もすごく狭い。バスや大型車がすれ違うとギリギリで、カーブでは片方が一旦停止し、片方が慎重にすれ違っていた。普通車とすれ違う時も、小さなカーブではバスが一旦停止し、相手の車が通り過ぎた後で、大きく対向車線にふくらんで曲がった。運転手さんの素晴らしい腕前に、我々は何度も感嘆の声をあげた。

トンネルも古くて非常に狭いのが多く、バス同士がすれ違う時はやはり一旦停止してかなり慎重にゆっくりとすれ違い、お互いの車の間は数センチしかなかった。バスの運転手さんの腕前は確かにすごいが、とにかくあまりにも道路やトンネルが北海道と比べると古くて狭い。これは土地の面積もあるし、歴史の深い本州と歴史の浅い北海道の違いが大きいのだろう。                                

ところで、ガイドさんも、これぞプロフェショナルという人だった。旅行初日に羽田空港に着いてから、添乗員さんにバス乗り場の方に連れていかれて、そこにいたのが我々担当のガイドさんだった。最初に見たときは、旗を持っていたのでバスまでの案内のオバサンだと思った。

年齢が80歳前後くらいだと思うが、動き出したバスで添乗員さんに代わってマイクを持ち、流暢に話し出したので、この人がガイドさんだと分かった。このガイドさんは、行く先々のことを詳しく話してくれて、歴史にも詳しく、人名や年号などもかなり覚えていた。

さらに、この店のチーズケーキは美味しいとか、カレーライスが美味しいとかいうようなことも教えてくれた。本人は「私は300年生きています」とか「即身成仏する」とか、自虐ネタも交えて我々を何度も笑わせてくれて、退屈することがなかった。非常に魅力のあるガイドさんだった。

今回の旅行では、その日に観光バスで走ったところを、夜ホテルで地図を広げて確認したりして、思わぬ楽しさを見つけた。「こんなところを走ってきたのか! この近くにはこういう所があるのか!日本の中でこういう場所に位置するのか!」等々、見れば見るほど新しい発見が出てきた。それと、行く先々の歴史や情報を事前に知ることが、楽しさを倍増させる。いや倍どころではなく、数十倍だ。

今回のツアー最終日に立ち寄った小田原のかまぼこ店のすぐ向かいにある小さい山が、豊臣秀吉が北条との戦いの小田原征伐の時に、「一夜城」と言われる城の石垣を築いたところだと、ガイドさんが説明してくれた。今、放映していて、毎週見ている「真田丸」に、これからそのことも出てくるかもしれない。実際の場所を見ると、日本の戦国史にも俄然、興味が湧いてくる。                        

それと本州は、観光バスで目的地に着くまでの間でも、北海道と違って歴史のあるところばかりなので、環境や風習も違い、車窓から通り過ぎる小さな街を見ているだけでも、すごく楽しい。ほとんどの家が瓦屋根で、どこも道路が非常に狭くて、家が道路にすごく近い。どこにでもセブンイレブンがあって、ローソンがそれほど見当たらなかった、というようなことも面白く、興味が尽きなかった。

本州の旅行は、とにかく歴史があるところばかりで、北海道のように行けども行けども何もないということがない。日程の詳細は、1日目が羽田空港から軽井沢まで行って旧軽井沢の市街を散策し、草津温泉に宿泊。2日目は上田市で真田家の上田城、そして信州の小京都と言われる小布施と善光寺に行き、白馬に宿泊した。

3日目は安曇野で公開ワサビ農場を見学、それから壮大な眺めと環境が素晴らしかった上高地を散策し、この日は石和温泉に宿泊。4日目はツアーお決まりの買い物させられる店(宝石店)に寄らされて、その後富士山の5合目までバスで行き、そして芦ノ湖に寄り、小田原の大きなかまぼこ屋に寄ってから羽田空港に向かって帰路についた。

自宅に着いたのは、午後10時40分だった。実はもう少し早く着いていたはずだったが、何と新千歳空港の駐車場で、車を駐車した場所が分らなくなり、15分ほど女房と新千歳空港の駐車場をさまよっていた。後でひらめいて、エンジンスターターを何度もONにして、エンジンがかかる音を聴いて車を探した。

最初は離れていたせいで、電波が届かなくてエンジンがかからないようだった。その内、ある場所で突然エンジンがかかる音がしたので、その音のする方に向かって行ったら、愛車が有ったー! 嬉しくてホッとした。今度からは、駐車場AとBのどちらかを確認し、駐車場番号も確認しなければダメだなあと女房と話した。

体調面では、移動のバスの中での絶え間ない間食と、寄った先々でアイスや菓子やジュースやらの暴飲暴食、そして夕食はビールということで、夜寝ていて痒くて仕方なかった。旅行から夜遅くに自宅に帰って来て、寝ようとして服を脱いで足のふくらはぎを見たら、異常に膨らんで変形していたので、すごく驚いた。

すぐ足全体を見てみたら、赤い粒のような斑点がたくさん出来ていた。これは、暴飲暴食で体重もかなり増えて血糖値がかなり上がっていたことや、1日中バスに乗っていたので、下半身の血流がかなり悪くなっていたからだろう。ひどいものだ。

それと、旅行の最終日は富士山の5合目まで行くということや、帰りの飛行機の中が行きの時のように寒いのではないかと思い、暖かくピシッと締まるモモヒキを履いていたことも原因かもしれない。エコノミー症候群になっていたら大変だった。

糖尿病と高血圧の持病があるので、楽しい旅行で調子に乗って暴飲暴食をしたりして、健康管理を怠っていると大変なことになると、反省した旅行でもあった。

 ※画像は左が「上高地」で、右側が「白馬」の宿泊ホテルから見た北アルプス山系。

「建物ウォッチング 室蘭」

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4年前の2015年10月に、1人でNHK文化センターの「建物ウォッチング 室蘭」というツアーに行った。天気は、前夜の暴風雨でどうかなあと心配していたが、朝はまだ風が少し強かったけれど雨は降っていなく、空も晴れていたので、定時通りの出発となった。集まった人を見ると、ほとんどが70歳以上と思われる高齢の男女ばかりだった。    

バスが室蘭市内に入ると、その景色に驚いた。道路の左側に小さな山が隣接していて、その傾斜にはたくさんの家が建っていた。そして道路の右側には広大な埋立地に、「日本製鋼所」と「新日鐵住金」の超巨大な工場が建ち並んでいる。

それを見た時に非常に面白い風景だと思ったが、同時に中学校の同級生3人が室蘭のこの製鋼所に集団就職で働きに来たことを思い出した。彼らがここに最初に来てこの風景を見た時に、どういう風に思ったのだろうか。中学校を卒業したばかりで、きっと、すごく不安だったのだろうと思い、その時の話をいつか聴いてみたいと思ったが、その内の2人はもうこの世にはいない。                           

一番最初に行ったのは、「旧室蘭駅」だった。ここは明治時代に建造されて北海道の駅の中では最古の木造建築物だそうだ。この駅の裏手の駐車場にバスを停めて、駅の中を見に歩いていたら、突然あることに気付いて動揺した。すぐ、同伴の講師に「この駅は、いつまで現役で使っていたんですか?40年前には現役でしたか?」と聴いた。

というのは、大学を出てすぐ札幌の会社に勤めた。そして、入社して数ヶ月経った頃に、この室蘭にある役所の入札に行かされた。そのとき、札幌駅から汽車に乗り、この旧室蘭駅に降り立ったことを思い出したからだ。あれから、40年近くも年月が経っていたのかと、胸がいっぱいになった。

駅の中の資料を見て、やはりその頃は、この駅が現役の室蘭駅として使われていたことが分かった。間違いなく40年前に、自分はこの駅に降り立った。社会人に成り立てで、なにも分からず、不安でいっぱいだった。冬だったと思うが、1人でポツンと寂しい駅に着いて、なんともいえない気持だった。そんな思い出のあるこの駅に偶然、また来ることができた。それだけでも、このツアーに参加して良かったと思った。      

その後は、その旧駅舎前の道路沿いにある昔の建造物を見てから丘の上の方にどんどんバスで登って行ったが、道路がかなり狭くて傾斜もきつく、住宅も密集していた。「これ、冬はどうなるのかな?」と自分が言うと、誰かが「冬は、雪が降らないんです」と言った。室蘭の街自体は、かなり寂れていて空き家もかなり多く、まして高齢になるとこの坂では大変なので、ここを出て行く人が多いようだ。

坂の上の方に、当時の鉄鋼会社役員の寮などがあって、外観だけをバスから降りて見てみたが、当時としては少し洋風の贅沢な造りになっていた。当時はこういう会社は独占企業で需要もあり、羽振りがかなり良かったのだろう。この道路から、室蘭港の湾内を眼下に見渡せる眺めは、素晴らしかった。                    

昼飯は「室蘭プリンスホテル」というところで食べたが、ここは元の「丸井デパート」で、明治24年に開業してから昭和56年まで営業して、当時は流行の最先端の場所だったらしい。今は、入口の外観だけ当時のレンガ作りを遺しているが、全体的に建物自体は大きいが古びていた。その周辺が室蘭の繁華街になるが、やはり廃れていて寂しく、人通りもほとんどなかった。

その後は「恵山苑」というところを観に行った。ここも坂をずっと登っていったら、江戸屋敷のような建物の門に突き当たったが、周囲を張り巡らした外壁といい江戸屋敷そのものだった。ここは「栗林商店」という会社の社長の個人所有物なので、一般の人は普通は入れないが、今回は特別に見せてもらうことになった。

「栗林商店」は明治42年創業の会社で、元は酒や味噌の販売を行っていたが、やがて海運業で名をあげて巨万の富を築いたらしい。そしてこの「恵山苑」は、創業者が室蘭にやってくる政財界の要人を、接待宿泊するために建てたものだそうだ。

広大な土地に手入れの行き届いた庭、そして神社まである。建築には京都や新潟から宮大工を呼び寄せて、釘を一本も使わないで建てて、豪華な洋間もある。室蘭にもこういうところがあったのかと驚く。当時は、石炭が全盛期で夕張などから産出した石炭を、小樽ルートと室蘭ルートで海運で本州まで運んでいたので、小樽と室蘭が同じように発展して行ったのだろう。坂が多いことといい、すべてが小樽とよく似ている。    

この「恵山苑」の和室の作りは特に素晴らしく、横に這わせている横木は1枚板で35メートルくらいの杉の木を使っていたが、こんな長いのは他にはまずないと講師が言っていた。それと鴨居の上の「長押」という部所の木材の内側を触ると、斜めに切ってあるのが昔からの本当の作り方で、普通に直角になっているのは、新たに補修した新しいものだとも言っていた。そういえばこのツアーは「建築ウォッチング」だったんだと、改めて気づいた。                                

この後、前述の「日本製鋼所」に行く予定だったらしいが、時間がまだ少し早かったようで、急遽そのすぐ近くにある「地球岬」に向かった。ここでの時間は15分間しかなく、「駐車場から階段を上がって、上の方にある展望台まで急いで行って下さい」と添乗員が言うので、希望者だけバスを降りて急ぎ足で展望台に向かった。自分も一番上の展望台で景色を見てきたが、地球岬の眺めは壮大で素晴らしかった。ただ、風が非常に強くて寒く、皆も大急ぎでバスに戻った。                    

そして、「日本製鋼所」の工場内の見学だ。入口にゲートがあって2人の守衛がいて、他に1人の女性がコピー機でコピーをとっていた。奥の建物が事務所になっているようだった。そして向かいには、なんと北洋銀行の小さい建物があった。こんな一企業の入口のゲートに、銀行の支店のようなものがあるのは、初めて見た。

それだけ、ここで働く人がかなり多いのだろう。敷地の中には、鉄道のレールがたくさん敷かれていた。重量がかなりある鉄の運搬がほとんどなので、工場間の運搬でも鉄道でないと無理ということだった。                        

その後に見に行ったのが、工場と隣接する丘の上に建つ、来賓客や上級職員などの宿泊施設の「職員倶楽部」で、洋風で洒落た造りだ。天井には、地震の時のひび跡が残っていた。この建物のさらに上の丘に、明治41年に皇太子がやってくるということで建造した「瑞泉閣」があった。豪華で、そういえば小樽でもこんな感じの部屋を見た。

当時、皇太子が2泊3日で宿泊した時に使った、色々な外国製のグルーミング用品が、ガラスケースの中に入って展示されていた。入口には、伊藤博文や東郷平八郎の書いた額が飾ってあり、伊藤博文が使った硯や筆なども展示していた。廊下の一角に昔のダイヤル電話機が置いてあったのだが、これがなんと象牙製でここまでやる必要があったのかと思い、傍にいたオジサン達にも教えてやったら「こんなことまで…」と呆れていた。

ということで、普通のツアーと違って今回の「建築ウォッチング」講習でないと見られないものがたくさんあった。普通は、個人で行っても見せてもらえないものばかりだったようだ。こんな旅行もいいもんだ。それと思いがけない旧室蘭駅のことといい、中身の濃いツアーで、来てみて本当に良かった。同じ道内でも、知らないところがたくさんあるものだ。

※画像は左から「旧室蘭駅」、「恵山荘」入り口、「地球岬」、「日本製鋼所」内にある倉庫。

「自作スピーカー第4弾は?」

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今度のスピーカーは、ボックスを今までよりも一回り大きくして、後は今までと同じバスレフだ。高さが35センチ、横幅が22センチ、奥行き22センチの寸法だ。これも本に載っていたスピーカーだ。

それで、ユニットを何にしようか悩んでいる。参考にしている本は、今から10年前に発刊されていて、ここに載っているユニットは現在、販売されていないものばかりなので、どうしようか悩んだ。それでネットで調べて、このスピーカーユニットはバスレフ向きとか、バックロードホン向きとか書いてあるのを見て、バスレフ向きというのを選んでいる。

実際には、ボックスの容量とか色々と計算して、それに有ったものということらしいが、よく分からないので、ボックスも大きくなるのだから、ユニットも今までより大きくということで考えている。参考にしている本では10㎝口径のものになっているが、今度は12~13㎝の口径のものでやってみたい。

調べてみると色々なメーカーのものがあり、1作目と3作目ではフォステクス製だったので、今回は違うメーカーのにしてみようかと思っている。値段もあまり高くないもので、2本で1万5千円位のものを考えている。

「コイズミ無線」のサイトを参考にして見ているが、1つ目は台湾の「Tangband」というメーカーの13㎝口径のもの。参考にしている本には、このメーカーのものを使うように書いてあったが同じ型番が無くなっていて、大きさも10㎝口径のものだった。

2つ目は、イタリアの「SICA」というメーカーの13㎝口径のもの。この他に、フォステクスの評判の良い12㎝口径のものがあったが、フォステクスは今回はやめておこうと思っているので、上記2つの中から選ぼうと思っている。

ところで、図書館に「ステレオ」という雑誌のバックナンバーで「自作スピーカー特集」というのがあった。読んでいたら、我が家から車で30分ほどの由仁町で「自作スピーカーを作る会」というのをやっている、という記事を見てびっくりした。スマホで、記事を写してきた。

主催者の名前が書いてあったので、早速家に帰って来てからネットで調べてみたら、東京から移住して来て、由仁町で喫茶店をやっているようだ。いつか行ってみようと思っている。恐らく、この江別市内にも自作スピーカーをやっている人がいると思うが、知り合えたら色々と情報交換して、知識も楽しみも倍増する。輪が広がって行くと楽しい。

今回のスピーカーボックスの材料は、前回作ったスピーカーと同じ180cm×90cmの一枚板の合板から、指定したサイズでホームセンターに切ってもらった。やはり木が粗くて中芯が欠けていたり、小さな穴が空いていたりしたので、今回は木工用パテを使って埋めてみた。

これから、この木工パテを塗ったところも均して、さらに材料すべてにやすり掛けして、凹凸をなくしてきれいにしていく。そして組立ててから、粗いところは電動サンダーで修正して、全体もキレイに均し、そして木口はシーラーというのを使って、埋めて均そうと思っている。そうしたら、塗料が吸い込まなくなるのでキレイに出来るのではないかと思っているが、どうなるか。

「自作スピーカー第3弾!ついに完成!」

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塗装後に、スピーカーユニットと裏側のターミナルの配線をして、第3作目のスピーカーは完成した。この配線をする時にハンダ付けではなく、簡単なファストン端子というのを線の両端に取り付けて、スピーカーユニットとターミナルを繋ぐのだが、これがなかなか上手く行かなくて苦労した。

1作目の時にやった接続方法を忘れていて、こんなものだと思ってやったのが間違いだった。配線とファストン端子を圧着する専用工具でやるのだが、これが上手く行かなくてハート形に金具がきっちり締まらない。何度も何度も失敗して、考えてみたら、最初に締める方向が間違っていた。

それでも、どれも汚いのだが一応繋ぐことが出来たので、もうそれで完成ということにしたが、後で締め方を調べてみると、やり方が間違っていたのが分かった。しかし、まあ音もきちんと出ているし、そのままでいいだろうということにした。もし、この先不具合が出たら、またスピーカーユニットとターミナルを外してやり直しすればいい。この辺がかなりいい加減だが、自分としてはこんなもんだ。

そして、アンプと繋いで音を出してみた。「おー、キチンといい音が出るではないか!」と思ったが、高音がキンキンしている。これからエージングというのをやっていくと、この高音も角が取れるのだろう。確かに、2作目に作ったキットのスピーカーも高音が最初よりずっと角が取れて聴きやすくなった。

今回は、3ヶ月前にAmazonで買った「朗音!真空管アンプの愉悦: 特別付録:ラックスマン製 真空管ハイブリッド・プリメインアンプ・キット (ONTOMOMOOK)」という真空管アンプに繋いでみた。この真空管アンプは外のシャーシを組立てるだけの簡単なものだったが、真空管に憧れて買ってみた。ラックスマン製のもので、なかなかいい音を出している。

今回も色々な分野の音楽を聴いてみたが、真空管ということもあるのか、やはり女性ジャズヴォーカルが際立って良かった。もちろん、まだまだエージングをしなければ本当の音は分からないのだろうが、とにかく真空管アンプの厚みのある臨場感があった。 

ということで、何とかかんとか第3作目も完成した。今回は塗装もひどくて内部の配線もひどかったが、次作はそれを改善して作ろうと思う。昨日何かで、他の人の自作スピーカーの写真を見たが、自分とほとんど同じような大きさで、塗装の色もほとんど同じだったが、ピアノ塗装のようにピカピカで素晴らしいので、恥かしくなった。

次は、もう少しスピーカーボックスが大きいのを作ろうと思っている。またバスレフだ。その次も、さらに大きなバスレフを予定している。その後は、バックロードホーンに挑戦してみようかと考えている。スピーカーボックスもそうだが、スピーカーユニットも色々なメーカーのを試してみたいと思っている。

画像は、今回のスピーカーを真空管アンプに繋いでみたところ。プリメインアンプ、CDプレイヤー、チューナーの上にある小さいのが真空管アンプだ。ちなみに、真空管アンプ以外は、ヤフーオークションで買ったもので3台で10,000円くらい。真空管アンプのキットは、23,400円だった。いずれも、自作スピーカーを鳴らすために買った。スピーカーユニットを取り付けると、ひどい塗装のスピーカーボックスも何とか見れるようになった。

「自作スピーカー第3弾!組立てと塗装②」

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前回、組立てをする前に片方のスピーカーだけ塗装をしたが、やはり失敗だった。というのは前面と背面の木口のところを塗装していなかったのと、木工ボンドで接着して組立てた時に少しずつずれてしまったので、端の方がそれぞれ出っ張ったり引っ込んだりしてしまい、電動サンダーでそこを削って均さなければならなくなり、その近辺の塗装も剥がれてしまった。

それと接着時に、木工ボンドが溢れたところを濡れた布でキレイに拭き取ったが、それでも残って固まったところがどうしてもあった。そこもキレイに取らなければ、塗装をした時に塗装がのらないので、電動サンダーでキレイに剥がしたが、当然そこの 塗装も剥がれた。ということで、「組立てる前に、塗装をするのはダメ」ということが分かった。

電動サンダーや紙やすりで均してから、前に塗装した上から再度スプレー缶の塗料で塗装をしてみたが、これがダメだった。木口のところだけがうまく塗装されず、汚く木口の後が残ってしまった。それで、塗装 が乾いてから紙やすりで木口の凸凹を均した。それで、またその上から塗装をしたが何度やってもきれいに塗装できなかった。

木口は本来は、シーリングとかを使って、細かい凸凹を潰して平らに均さないとダメなのだろう。MDF材では、表面が元々ツルツルで木口も同じようだったので少し紙やすりをかけたら問題なくきれいに塗装ができたが、合板はまったく違う。

今回、せっかくなので色々と試してみようと思い、スピーカーボックスの縁をトリマーで縁取りしてみた。ただ、縁取りの深さが浅かったようで少し角が取れた程度だが、まあ今回はこんなものでいいだろう。見栄えは、まあまあいい。

電動トリマーの扱いも慣れていないので、最初の切削部分が深くなったり、合板だと所々欠けたり剥がれたりしたので、最期は紙やすりで修正した。節もあってその部分だけ凸凹になってしまったところもあり、合板はなかなか難しい。木工パテなどで埋めて補修したらいいのかもしれない。

今回は、今までの組立てと違って、スピーカーボックスを全て組立てて閉じてしまった。それで、後からスピーカーユニットとスピーカーターミナルを配線でつなぎ、スピーカーボックスにうまく納めなければならない。スピーカーユニットは、1作目と同じフォステックスの10cmの「P1000K」だ。

1作目のスピーカーボックスがMDF材で、高域はそれほど出ないが大らかに鳴るので、自分としては結構好きな音だったが、今回の合板で音がどう変わるのか非常に楽しみだ。本やネットに書いてあるのを見たら、MDF材よりも合板の方が音がいいと書いてあった。

MDF材はその特徴から狂いがほとんどなくて節もなく安定している材なので、組立ててみて驚くくらいピッタリと隙間なく出来た。もちろん、ホームセンターで裁断してもらったので精度が良いということもあるが、合板と比べると楽に組立てが出来る。今回の合板もホームセンターで裁断してもらったが合板の特徴上、材料が少し粗くて難しかった。

今まで使ったことがないが、「シーリング」とか「砥の粉」というのを使って凸凹を最初に埋めないとダメなようだ。ということで、今回は缶の塗料スプレーも使い果たしたこともあり、出来栄えはとても満足できるものではないが、耳元で「もう、この辺でいいんじゃないの?後はサッサとスピーカーユニットを付けて音を出したら?」という囁きが聞こえて来た。

今回は、スピーカーユニットが前と同じで、MDF材と合板だと音がどう違うのか、が一番知りたいことだったので、塗装はままあで終わりとした。組立の隙間も目立ち、横方向の木目もかなり塗装を重ねたが、やはり埋めることは出来なかった。電動サンダーで塗装をすべて剥いで、最初からまたやり直したい衝動にも駆られるが、今回はやめておこう。さて、次はスピーカーユニットとターミナルの取り付けだ。

「洞爺湖温泉に行った」

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今から5年前の2014年5月の連休後に、自宅から自家用車で定山渓を通って洞爺湖の「乃の風リゾートホテル」に1泊2日の旅行に行った。旅行は、前回の阿寒サロマ湖のツアー旅行以来、4年ぶりだ。予定時間より早くホテルに着いたので、チェックインの時間まで昭和新山を見に行った。シーズンオフなので広い駐車場も閑散としていて、その周りの売店もガラガラで観光客はほとんどいなかった。

すぐ目の前の昭和新山の前で写真を撮り、それから宿泊先のホテルに行った。我々夫婦2人で1泊2食付で、税込み¥32.300円だった。このホテルのロビーは、受付の右奥が全面ガラス張りになっていて、洞爺湖が間近に見える。ただ、シーズンオフということもあって、館内は閑散としていた。チェックインした後に、洞爺の町を少し車で走ってみたが、やはり人がほとんど歩いていなかった。これがシーズンになると、溢れるほど観光客が歩いているのだろう。                          

女房は、このホテルの屋上にある露天風呂がすごく気に入ったようで、その夜は2回と翌朝も2回、その露天風呂に入った。その露天風呂からは、洞爺湖がすぐ目の前に見えるという素晴らしいロケーションだ。自分も女房に薦められたので、一応その露天風呂に入ってみたが「こんなもんか?」と思って、すぐ出たくなった。

それでも、まだ何かいいことがあるのかなと思って我慢して入っていたが、顔や上半身に冷たい風が当たって風邪をひきそうで、調子も悪くなってきたので、サッサと出て部屋に戻った。元々自分は温泉は好きではなく、みんなが入っていても入らないということが多かった。あの湯気のムッとした感じがイヤで、第一、何で他人と一緒に風呂に入らなければならないのかと思う。                         

帰りは、山の上のウィンザーホテルを見に行った。2008年に世界中の首脳が集まった、「洞爺湖サミット」が行われたところだ。山の上に建っているホテルだが、確かにそこからの洞爺湖の眺めは素晴らしい。このサミットの時に出された食材は、もちろん道内各地から選りすぐったものばかりだが、その他にもコーヒーとかパンを提供した飲食店も評判になった。

そのコーヒーを提供したのが、自分の住む江別市にある小さなコーヒー豆の店「ノースライブ・コーヒー」だ。自分はコーヒーはそれほど好きではないので、ずっとその店のことは知らなかったし興味もなかったが、その後、女房に連れられて一度だけこの店に行った。こんな目立たない小さな専門店のコーヒー豆がサミットに使われたのかと思い、大したものだと感心した。

それから、支笏湖の方に抜けて北湯沢温泉を通ったが、何もないところに立派な施設が数棟建っていて、驚きだった。少し道も迷ったりしたが、それもまた時間制限があまりない旅の楽しいところだ。こんなところに、こんなものがあるのかという発見が色々とあって非常に楽しかった。またいつか、車で出かけてどこかに泊まってゆっくりするのもいいなあ。 画像は、ウィンザーホテルから、羊蹄山を背景に撮った。

「阿寒&サロマ バスツアー」

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今から9年前の2010年11月5日から2泊3日で、道内初めのバスツアー旅行に行った。「阿寒&サロマ 夢の競演3日間」という大層な題で、要は阿寒とサロマのホテルに宿泊するということだが、バスツアーということで楽しみだった。バスからの眺めは好きだし、座席もゆったりしている。旅行代金は1人/28.000円だ。もちろん宿泊代と食事は、出発当日の昼食以外は全て付いている。

当日の集合場所と時間は、札幌駅北口で午前8時出発だ。この日の昼食は、帯広で有名な豚丼を食べようと思い、その中でも名の知れている豚丼屋を調べて探して食べた。昼飯時だったのでかなり混んでいて、豚肉は炭焼きの味がしていてまあまあの味だった。昼飯は、各自バラバラで自分持ちだ。そして足寄を通って阿寒湖温泉の旅館に宿泊した。

この旅館の部屋がすごかった。元布団部屋のような一番奥の角部屋の狭い部屋で、一つだけ有る小さな窓を開けると目の前に換気口の大きなダクトがあり、外の様子はその隙間からわずかに見える程度だった。後で、テレビで放映していた「幸福の黄色いハンカチ」を見ていたら、武田鉄矢と桃井かおりが泊まった部屋の窓を開けると、目の前にでかいネオンの看板が有って笑わせる場面だったので、同じだと思って笑ってしまった。

女房が「ちょっとホテルの人と話をしてくる!」と言ったが、「このツアー代金で、これ以上望んでも無理ってえもんじゃあないですかい?」とフーテンの寅さんのように説得して、なんとかその場は収まった。しかし、同ツアーの人達に後で話を聴いたら、そんな部屋は自分達だけだったと知り驚いたが、まあ、これも貴重な体験だと思うようにした。

このホテルの館内には、色々な売店とかあって賑やかで、外に出ると目の前の通りはアイヌの人達の売店がずらりと並んでいた。翌日は、摩周湖、天都山、網走刑務所、サロマ湖に向かい、サロマ湖畔のホテルに泊まったが、ここは前日の布団部屋の旅館とは大違いでコンパクトだがきれいで、すぐ目の前にサロマ湖が面していて最高のロケーションだった。

そして、ここの夕食が、今でも女房と語り草になるほどの素晴らしさだった。バイキングだったが、サロマ湖の名産の"牡蠣”づくしで、他にもホタテなどの活きのいい海産物もズラリ並んでいて、みんな大喜びで取りに行っていた。特に、皆はカキフライをいやというほどたくさん持ってきて食べていた。

お腹もいっぱいになって来た頃に、なんと牡蠣のまぜご飯をウェイターが各テーブルに持って来た。「もっと早くに持ってきてよ!」と思ったが、大満足で腹いっぱい!今でも、牡蠣の獲れる時期にこのホテルで一泊して、このバイキングだけでも食べに行きたいと思う。腹いっぱい食べた後はサロマ湖のザーっと岸に寄せる静かな波の音を聴きながら寝るという、前日の阿寒とは比較にならないほどの快適さだった。

翌日は遠軽の「ちゃちゃワールド」というオモチャ館に寄り、札幌駅北口に夕方の6時半に到着した。そこからJRで江別駅に行き、我が家に着いたのは午後8時頃になっていた。この旅行で印象に残ったのは、「阿寒のホテルの布団部屋」と「阿寒湖の神秘的な眺め」そして「サロマ湖のホテルのバイキング」だった。画像は、昔お世話になった網走刑務所の看守さんと記念撮影。(笑)

「上海万博に行った」

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9年前に2010年5月29日から6月1日までの3泊4日の日程で、中国の上海万博に行った。2度目の上海だが、この時はリーマンショックの後で中国がどうなっているかを再度見てみたいという名目で、観光も兼ねて?やってきた。 とにかく旅行代金も安かった。特に上海だけということだったが、本当に下手な国内旅行に行くよりもずっと安い。元安ということか。

万博会場の各パビリオンのことはあまり覚えていない。大して見どころも無かった。それよりも、会場の入口で大勢の入場者と開場を待っている時に、「ビチビチビチビチー!」という、我が家の近所の木に集まる鳥の群れが、一斉に鳴いているかのような大きな音がした。

何かと思ったら、何とそれは中国人があちこちで会話をしている、話し声だった。とにかく早口で、声がでかい。そこら辺で、大声で携帯電話で話しているし、電車の中などうるさくてすごいらしい。

それと、列に並んで待っている時にみんながサッといなくなったと思ったら、どこからか折り畳み式の小さなイスを買ってきて座っていた。これはすごくいいと思って、いつか買おうと思った。これがあると、同じツアーの高齢者達とイスの争奪戦をしなくてもいい。                                    

パンダとレッサーパンダも動物園に見に行ったが、この2者?が揃うことは中国でも珍しいことらしく、かなりの客が見に来ていた。パンダは中に人間が入っているのではないかと思うくらい人間っぽかったが、あぐらをかいて笹の葉をモグモグ食べている姿はまさしくオヤジそのものだった。そしてレッサーパンダもすごく可愛くて、何頭もいた。この2者?を同時に見れるのは貴重なことだそうだ。           

ところで、この動物園の中を走る電気自動車を運転していたオジサンは、くわえタバコでものすごいスピードで走りまわり、前を歩いている家族連れとかの人たちに「どけ、どけー!」という感じでクラクションを鳴らしまくっていた。もちろんスピードを落とすわけがなく、ぶつかる奴が悪いんだという感じだ。

あまりにすごいので思わず「スゲエな!」と女房と笑ったら、そばに座っていた現地の若い女性添乗員が真っ赤な顔をして、下を向いて恥ずかしそうにしていたので、それ以上は言わなかった。中国は動物園でも歩行者優先じゃなくて、運転手優先だった。この運転してたオジサンは、くわえてたタバコを走ってる途中で道路にポイと投げ捨てた。

ということで、この旅行の時の上海での思い出はパンダとレッサーパンダと、後は中国人の鳥のような話し声と、動物園のオジサンのことくらいしか記憶にない。もちろん、リーマンショックの影響など、まったく分からないところばかりだったので、何のために行ったのかよく分からなかった。

「香港・マカオ・深セン旅行」

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2008年に10月11日から10月15日の4泊5日の日程で、「香港・マカオ・深センのツアー」に行った。北京上海に行って、5カ月後だった。これも香港株のトレードもやっていたこともあり、是非見てみたいと思い、前回の「北京と上海の旅」同様に、日本国内のツアーよりも安かったからだ。

新千歳発で、香港空港への直行便なので楽だった。香港空港に飛行機が到着したので、席を立って出口に向かって通路に並んでいると、なんと以前、職場で一緒だった女性事務員のFさん夫婦とバッタリ会って驚いた。同じツアーだった。旦那さんは法務局にいたが、昨年、定年退職になり、嘱託でまだ勤めているとのことだった。

この旦那さんは自分よりも5つ年上だったが、無口で大人しいので最初はほとんど話すことはなかったが、お互いに女房のお下がりの古いデジカメを持っていたりして、女房にしいたげられている同じ境遇などから、少しずつ話すようになり、徐々に打ち解けていった。

香港旅行で印象に残っているのは、朝食に連れて行かれて食べた「おかゆ」だった。「何だこりゃあ!」と、ツアーのみんなも呆れて笑っていたが、食べてみると「何だこりゃあ!美味い!」と、みんな驚いた。後で聴くと、この「おかゆ」はホタテの貝柱を水で戻した出汁を使い、他にも色々と高級食材が使われているそうだ。恐るべし香港(中華?)料理。香港は島だが、海産物も農産物もほとんどは周りの国から輸入しているそうで、豊富だった。

次に驚いたのは、香港は小さな島なので土地が狭いため、とにかく高層ビルが乱立していて、山の上から見下ろすとビッシリと隙間がないくらいビルや家屋が建っていて、すごい眺めだった。夜は、有名だというネオンのようにギンギラギンに電飾されている豪華船で食事をするという船を、バスで見に行った。

その船を、ツアーの人達みんなで離れた陸地から見ている内に、すぐ隣りにある建物の間にあったテニスコートで、ライトを照らして夜間テニスをしている人達に興味が湧いて、みんなそっちの方に行ってしまった。すると現地の添乗員さんが、「あなた達はどこを見てるの?」と言って吹き出したので、みんなも大笑い。観光名所よりも、地元の生活風景の方が面白かった。

翌日はマカオに行って、買うのが大変だという名物の「エッグタルト」の店で、添乗員さんが買って来たのを食べたが、それほど美味いとも思えず、何でこんなのが名物なのかサッパリ分からなかった。それと、あの「フランシスコ・ザビエル」の遺骨がある教会も観てきた。超巨大ホテルの「ヴェネツィアン・ホテル」も観てきたが、ものすごい大きさだった。

次の日は、香港から一番近い中国本土の「深セン」に行った。かなり大きな都市だが、都心以外は田舎だ。まず「大空作物園」という大層な名前の農園に連れて行かれた。たくさんのビニールハウスがあって、入口の前にロケットの模型が飾ってあり、どんなすごい農園かと思っていたが、受付に誰もいなくて添乗員が探しまわった。やっと、農家のオジサン風の人がやって来たが、奥で何か食べていたようだった。そして園内を見たが、普通の農園で特に驚くようなものは何もなかった。

その後、地元のスーパーを見学するということで、下町のようなところでバスから降ろされ、みんなで歩いてそのスーパーに向かった。中国なので、どれほど巨大なスーパーなのかと想像していた。途中で、日本の小さな雑貨屋のようだが、コンビニと呼んでいた店にみんなが入って飲み物を買ったので、自分もそこで飲み物を買った。

3人も人が入ったら満杯で、すれ違って歩くことも出来ないほど狭かった。すると、皆がそのままバスに戻って行ったので、スーパーの見学は一体どうなったのかと不思議に思い、女房にスーパーはどうなったんだと聴くと「あのコンビニが、スーパーだよ」と言う。「あ、あれが…」。

というようなことで、香港や中国はなにか得体が知れず、面白いことがたくさんあった。香港自体は、国際的な都市という感じだった。前回の中国とは対照的で、狭い土地に隙間なく建っているビルの中にはギュッと、たくさんの人や何かが詰まっているような感じがした。