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還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「建物ウォッチング 室蘭」

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4年前の2015年10月に、1人でNHK文化センターの「建物ウォッチング 室蘭」というツアーに行った。天気は、前夜の暴風雨でどうかなあと心配していたが、朝はまだ風が少し強かったけれど雨は降っていなく、空も晴れていたので、定時通りの出発となった。集まった人を見ると、ほとんどが70歳以上と思われる高齢の男女ばかりだった。    

バスが室蘭市内に入ると、その景色に驚いた。道路の左側に小さな山が隣接していて、その傾斜にはたくさんの家が建っていた。そして道路の右側には広大な埋立地に、「日本製鋼所」と「新日鐵住金」の超巨大な工場が建ち並んでいる。

それを見た時に非常に面白い風景だと思ったが、同時に中学校の同級生3人が室蘭のこの製鋼所に集団就職で働きに来たことを思い出した。彼らがここに最初に来てこの風景を見た時に、どういう風に思ったのだろうか。中学校を卒業したばかりで、きっと、すごく不安だったのだろうと思い、その時の話をいつか聴いてみたいと思ったが、その内の2人はもうこの世にはいない。                           

一番最初に行ったのは、「旧室蘭駅」だった。ここは明治時代に建造されて北海道の駅の中では最古の木造建築物だそうだ。この駅の裏手の駐車場にバスを停めて、駅の中を見に歩いていたら、突然あることに気付いて動揺した。すぐ、同伴の講師に「この駅は、いつまで現役で使っていたんですか?40年前には現役でしたか?」と聴いた。

というのは、大学を出てすぐ札幌の会社に勤めた。そして、入社して数ヶ月経った頃に、この室蘭にある役所の入札に行かされた。そのとき、札幌駅から汽車に乗り、この旧室蘭駅に降り立ったことを思い出したからだ。あれから、40年近くも年月が経っていたのかと、胸がいっぱいになった。

駅の中の資料を見て、やはりその頃は、この駅が現役の室蘭駅として使われていたことが分かった。間違いなく40年前に、自分はこの駅に降り立った。社会人に成り立てで、なにも分からず、不安でいっぱいだった。冬だったと思うが、1人でポツンと寂しい駅に着いて、なんともいえない気持だった。そんな思い出のあるこの駅に偶然、また来ることができた。それだけでも、このツアーに参加して良かったと思った。      

その後は、その旧駅舎前の道路沿いにある昔の建造物を見てから丘の上の方にどんどんバスで登って行ったが、道路がかなり狭くて傾斜もきつく、住宅も密集していた。「これ、冬はどうなるのかな?」と自分が言うと、誰かが「冬は、雪が降らないんです」と言った。室蘭の街自体は、かなり寂れていて空き家もかなり多く、まして高齢になるとこの坂では大変なので、ここを出て行く人が多いようだ。

坂の上の方に、当時の鉄鋼会社役員の寮などがあって、外観だけをバスから降りて見てみたが、当時としては少し洋風の贅沢な造りになっていた。当時はこういう会社は独占企業で需要もあり、羽振りがかなり良かったのだろう。この道路から、室蘭港の湾内を眼下に見渡せる眺めは、素晴らしかった。                    

昼飯は「室蘭プリンスホテル」というところで食べたが、ここは元の「丸井デパート」で、明治24年に開業してから昭和56年まで営業して、当時は流行の最先端の場所だったらしい。今は、入口の外観だけ当時のレンガ作りを遺しているが、全体的に建物自体は大きいが古びていた。その周辺が室蘭の繁華街になるが、やはり廃れていて寂しく、人通りもほとんどなかった。

その後は「恵山苑」というところを観に行った。ここも坂をずっと登っていったら、江戸屋敷のような建物の門に突き当たったが、周囲を張り巡らした外壁といい江戸屋敷そのものだった。ここは「栗林商店」という会社の社長の個人所有物なので、一般の人は普通は入れないが、今回は特別に見せてもらうことになった。

「栗林商店」は明治42年創業の会社で、元は酒や味噌の販売を行っていたが、やがて海運業で名をあげて巨万の富を築いたらしい。そしてこの「恵山苑」は、創業者が室蘭にやってくる政財界の要人を、接待宿泊するために建てたものだそうだ。

広大な土地に手入れの行き届いた庭、そして神社まである。建築には京都や新潟から宮大工を呼び寄せて、釘を一本も使わないで建てて、豪華な洋間もある。室蘭にもこういうところがあったのかと驚く。当時は、石炭が全盛期で夕張などから産出した石炭を、小樽ルートと室蘭ルートで海運で本州まで運んでいたので、小樽と室蘭が同じように発展して行ったのだろう。坂が多いことといい、すべてが小樽とよく似ている。    

この「恵山苑」の和室の作りは特に素晴らしく、横に這わせている横木は1枚板で35メートルくらいの杉の木を使っていたが、こんな長いのは他にはまずないと講師が言っていた。それと鴨居の上の「長押」という部所の木材の内側を触ると、斜めに切ってあるのが昔からの本当の作り方で、普通に直角になっているのは、新たに補修した新しいものだとも言っていた。そういえばこのツアーは「建築ウォッチング」だったんだと、改めて気づいた。                                

この後、前述の「日本製鋼所」に行く予定だったらしいが、時間がまだ少し早かったようで、急遽そのすぐ近くにある「地球岬」に向かった。ここでの時間は15分間しかなく、「駐車場から階段を上がって、上の方にある展望台まで急いで行って下さい」と添乗員が言うので、希望者だけバスを降りて急ぎ足で展望台に向かった。自分も一番上の展望台で景色を見てきたが、地球岬の眺めは壮大で素晴らしかった。ただ、風が非常に強くて寒く、皆も大急ぎでバスに戻った。                    

そして、「日本製鋼所」の工場内の見学だ。入口にゲートがあって2人の守衛がいて、他に1人の女性がコピー機でコピーをとっていた。奥の建物が事務所になっているようだった。そして向かいには、なんと北洋銀行の小さい建物があった。こんな一企業の入口のゲートに、銀行の支店のようなものがあるのは、初めて見た。

それだけ、ここで働く人がかなり多いのだろう。敷地の中には、鉄道のレールがたくさん敷かれていた。重量がかなりある鉄の運搬がほとんどなので、工場間の運搬でも鉄道でないと無理ということだった。                        

その後に見に行ったのが、工場と隣接する丘の上に建つ、来賓客や上級職員などの宿泊施設の「職員倶楽部」で、洋風で洒落た造りだ。天井には、地震の時のひび跡が残っていた。この建物のさらに上の丘に、明治41年に皇太子がやってくるということで建造した「瑞泉閣」があった。豪華で、そういえば小樽でもこんな感じの部屋を見た。

当時、皇太子が2泊3日で宿泊した時に使った、色々な外国製のグルーミング用品が、ガラスケースの中に入って展示されていた。入口には、伊藤博文や東郷平八郎の書いた額が飾ってあり、伊藤博文が使った硯や筆なども展示していた。廊下の一角に昔のダイヤル電話機が置いてあったのだが、これがなんと象牙製でここまでやる必要があったのかと思い、傍にいたオジサン達にも教えてやったら「こんなことまで…」と呆れていた。

ということで、普通のツアーと違って今回の「建築ウォッチング」講習でないと見られないものがたくさんあった。普通は、個人で行っても見せてもらえないものばかりだったようだ。こんな旅行もいいもんだ。それと思いがけない旧室蘭駅のことといい、中身の濃いツアーで、来てみて本当に良かった。同じ道内でも、知らないところがたくさんあるものだ。

※画像は左から「旧室蘭駅」、「恵山荘」入り口、「地球岬」、「日本製鋼所」内にある倉庫。