オジさん NOW

還暦過ぎたオジさんのあれこれ

「建物ウォッチング 室蘭」

  f:id:yoisyotto:20190917065447j:plain   f:id:yoisyotto:20190917065545j:plain   f:id:yoisyotto:20190917065615j:plain   f:id:yoisyotto:20190917071917j:plain
4年前の2015年10月に、1人でNHK文化センターの「建物ウォッチング 室蘭」というツアーに行った。当日の天気は前夜の暴風雨でどうかなあと心配していたが、朝はまだ風が少し強かったけれど雨は降っていなく空も晴れていたので、定時通りの出発となった。集まった人を見るとほとんどが70歳以上と思われる高齢の男女ばかりだったので、少し違和感があった。

バスが室蘭市内に入るとすぐ、その景色に驚いた。道路の左側には小さな山がいくつか隣接していて、その傾斜にたくさんの家が建っていた。そして道路の右側には広大な埋立地に「日本製鋼所」と「新日鐵住金」の超巨大な工場が建ち並んでいる。それを見た時に非常に面白い風景だと思ったが、同時に中学校の同級生3人が室蘭のこの製鋼所に集団就職で働きに来たことを思い出した。彼らがここに最初に来てこの風景を見た時に、どういう風に思ったのだろうか。きっと、すごく不安だったのだろうと思い、その時の話を聴いてみたいと思ったが、その内の2人はもうこの世にはいない。 

一番最初に行ったのは、「旧室蘭駅」だった。ここは明治時代に建造されて北海道の駅の中では最古の木造建築物だそうだ。この駅の裏手の駐車場にバスを停めて駅の中を見て歩いていたら、突然あることに気付き動揺した。すぐ、同伴の講師に「この駅はいつまで現役で使っていたんですか?40年前には現役でしたか?」と聴いた。というのは、大学を出てすぐ勤めた札幌の会社に入って数ヶ月経った頃に、この室蘭にある役所の入札に行かされて、その時に札幌駅から汽車に乗り、この室蘭駅に降り立ったことを思い出したからだ。

あれから40年近くも年月が経っているなんて思わなかった。駅の中の資料を見て、その頃はまだここが現役の室 蘭駅として使われていたことが分かった。「間違いなく40年前に、自分はこの駅に降り立ったんだ!」と、胸が一杯になった。社会人に成りたてで何も分からず不安でいっぱいだったあの頃、冬だったと思うが1人でポツンと寂しい駅に着いて何ともいえない気持だった。そんな思い出のあるこの駅に偶然、また来ることができた。それだけでも、このツアーに参加した甲斐があった。

その後は、その旧駅舎前の道路沿いにある昔の建造物を見てから丘の上の方にどんどんバスで登って行ったが、道路がかなり狭くて傾斜もきつく、住宅も密集していた。「これ、冬はどうなるのかな?」と自分が言うと、誰かが「冬は雪が降らないんです」と言ったので納得した。ただ、室蘭の街自体がかなり寂れていて空き家もかなり多く、まして高齢になるとこの坂では大変なので、ここを出て行く人が多いようだ。

坂の上の方に、当時の鉄鋼会社役員の寮などがあって外観だけをバスから降りて見てみたが、当時としては少し洋風の贅沢な造りになっていた。当時はこういう会社は独占企業で需要もあり羽振りがかなり良かったのだろうし、まだ若い時はこんな厳しい環境でも良かったのだろう。ただ、室蘭港の湾内を眼下に見渡せる眺めは素晴らしかった。

昼飯は「室蘭プリンスホテル」というところで食べたが、ここは元「丸井デパート」で、明治24年に開業してから昭和56年まで営業して、当時は流行の最先端の場所だったらしい。今は入口の外観だけ当時のレンガ作りを遺しているが、全体的に建物自体は大きいが古びて廃れた感じだった。その周辺が室蘭の繁華街になるが、やはり廃れていて寂しく人通りもほとんどなかった。

その後は「恵山苑」というところを観に行った。ここも坂をずっと登っていったら江戸屋敷のような建物の門に突き当たったが、周囲を張り巡らした外壁といい江戸屋敷そのものだった。ここは「栗林商店」という会社の社長の個人所有物なので、一般の人は普通は入れないが、今回は特別に見せてもらうことになった。「栗林商店」は明治42年創業の会社で、元は酒や味噌の販売を行っていたが、やがて海運業で名をあげて巨万の富を築いたらしい。そしてこの「恵山苑」は、創業者が室蘭にやってくる政財界の要人を接待宿泊するために建てたものだそうだ。

広大な土地に手入れの行き届いた庭、そして神社まで造っている。建築には京都や新潟から宮大工を呼び寄せて、釘を一本も使わないで建てていて豪華な洋間もある。室蘭にもこういうところがあったのかと驚く。当時は、石炭が全盛期で夕張などから産出した石炭を小樽ルートと室蘭ルートで海運で本州まで運んでいたので、小樽と室蘭が同じように発展して行ったのだろう。坂が多いことといい、すべてが小樽とよく似ている。 

この「恵山苑」の和室の作りは特に素晴らしく、横に這わせている横木は1枚板で35メートルくらいの杉の木を使っていたが、こんな長いのは他にはまず無いと講師が言っていた。それと鴨居の上の「長押」という部所の木材の内側を触ると、斜めに切ってあるのが昔からの本当の作り方で、普通に直角になっているのは新たに補修したりした新しいものだとも言っていた。そういえばこのツアーは「建築ウォッチング」だったんだと、改めて気づいた。

この後、前述の「日本製鋼所」に行く予定だったらしいが、時間がまだ少し早かったようで、急遽そのすぐ近くにある「地球岬」に向かった。ここでの時間は15分間しかなく、「駐車場から階段を上がって、上の方にある展望台まで急いで行って下さい」と添乗員が言うので、希望者だけがバスを降りて急ぎ足で展望台に向かった。自分もバスを降りて一番上の展望台で景色を撮影して来たが、地球岬の眺めは壮大で素晴らしかった。それと風が非常に強くて寒く、皆も大急ぎでバスに戻った。

そして、「日本製鋼所」の工場内の見学だ。入口にゲートがあって2人の守衛がいて他に1人の女性がコピー機でコピーをとっていた。奥の建物が事務所になっているようだった。そして入口道路を挟んだ向かいにはなんと北洋銀行の小さい建物があった。こんな一企業の入口のゲートのところに銀行の支店のようなものがあるのは、初めて見た。それだけ、ここで働く人がかなり多いのだろう。敷地の中には鉄道のレールがたくさん敷かれていた。重量がかなりある鉄の運搬がほとんどなので、工場間の運搬でも鉄道でないと無理ということだった。

その後に見に行ったのが、工場と隣接する丘の上に建つ来賓客や上級職員などの宿泊施設の「職員倶楽部」で、洋風で洒落た造りだ。天井には地震の時のひび跡が残っていた。この建物のさらに上の丘に、明治41年に皇太子がやってくるということで建造した「瑞泉閣」があった。豪華で、そういえば小樽でもこんな感じの部屋を見た。

当時、皇太子が2泊3日で宿泊した時に使った色々な外国製のグルーミング用品がガラスケースの中に入って展示されていた。入口には伊藤博文や東郷平八郎の書いた額が飾ってあり、伊藤博文が使った硯や筆なども展示していた。廊下の一角に昔のダイヤル電話機が置いてあったのだが、これがなんと象牙製でここまでやる必要があったのかと思い、傍にいたオジサン達にも教えてやったら「こんなことまで…」と呆れていた。

ということで、普通のツアーと違って今回の「建築ウォッチング」講習でないと見られないものがたくさんあった。普通は、個人で行っても見せてもらえないものばかりだったようだ。こんな旅行もいいもんだ。それと思いがけない旧室蘭駅のことといい、中身の濃いツアーで来てみて本当に良かったと思った。同じ道内でも、知らないところがたくさんあるものだ。

画像は左から「旧室蘭駅」、「恵山荘」入り口、「地球岬」、「日本製鋼所」内にある倉庫。