前回、水産工場時代のことを書いていたら、30年も昔ということもあり、あの3年間で色々と面白いことがあったのを思い出した。当時、自分と同じく他の水産加工場で働いていた高校の同級生の友人がいて、仕事が終わると毎晩のように一緒に2時間ほどドライブをしていた。
友達は車が趣味で、スカイラインが大好きで、新しいのが出ると次々と買い替えていた。或る時、スカイラインGTか、GSかのターボというのを買ったというので、早速ドライブに誘われた。今度のは、エンジンがすごいと興奮していた。
夜8時過ぎになると、田舎の道路は走っている車もほとんどなく、浜頓別町から猿払村に向かう国道で直線がずっと続くところがあった。そこを走っていたら、友達が突然、「スピードを制限するリミッターを外したから、どれくらいスピードが出るかやってみる」と目を輝かせて言った。
驚いたが、仕方なく「いいよ」と言うと、段々とスピードを上げて180キロ近くまで出た頃に「俺の人生はここで終わった!」と思ったところで、車は停まった。命は助かったが、1人でやればいいのにと思った。それにしても、こんなことを国道でやれたのは、田舎だったからだろう。
この友人と一緒に酒を飲んだ後も、車で家まで送ってもらったことがある。もちろん飲酒運転だが当時は皆、飲酒運転をしていた。そして、家に着いて友人を見送っていたら、家のすぐ横にある川に向かって真っすぐ走って行ったので、走って車を追いかけて「そっちは川だぞー!」と叫んだ。すると川の手前で停まって、元の道に戻って帰って行った。
「俺には、絶対に捕まらない秘訣がある」と豪語し、飲んだ後は必ず近くに駐車してある自分の車で、自宅に帰っていた友人もいた。なんでも、警察は取り締まりをするときには、事前に必ず署内の黒板にそれを書かなければならないことになっているので、飲む前に警察に行って黒板を見てくると言っていたが、確かにその友人は一度も捕まっていなかった。
自分が26歳の水産加工場2年目の時に、地元の高校を卒業したばかりの小柄で童顔の男子が入社して来た。近くの農家の息子だった。色々と話を聴いてたら、何んと小さい頃から自分の家の敷地でトラクターや車を運転していたそうで、中学生の時には父親が町で飲んだ後、町まで片道30分ほどかかる道を、いつも車で迎えに行っていたと言う。
さらに、両親が名寄や旭川に用事でバスと汽車で出かけた時も、夜に片道2時間近くかかる音威子府駅まで、車で迎えにも行っていたそうだ。中学生が。22歳で車の普通免許を取って、当時の運転歴が4年目の自分より運転歴が長かった。農家の子供はすごい。
過疎化の進んでいる田舎では、警察が取り締まりやパトロールをしていても、車がほとんど走っていないようなところでは意味がないので、あまり厳しくはない。ただ、飲酒運転も、無免許運転も一歩間違えば大変なことになる。今は、昔よりも取り締まりは厳しくなっているようだ。