オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「こんな首相で、大丈夫?」

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しかし、466億円を投じたという「アベノマスク」はどうなったのだろう? まったく音沙汰がない。支給金はそろそろらしいが。安倍首相には、首相としての資質がないのではないか。すべてが官僚主導になっていて、前にも書いたが米国は国立感染研究所長の博士が筆頭になって指揮しているのに、なぜ我が国では西村経済再生担当大臣が指揮しているのだろうか? 

感染を早く終息させるよりも、経済を優先させるということなのか? どちらをまず優先するかということは、明らかだと思うのだが。使い捨てマスクは、ネットで同じ会社のを通販で3回に分けて買った。すべて中国製で50枚入1箱だったが、箱の外観もメーカー名もそれぞれ違っていた。

その内の1箱は息子にやり、もう2箱ある内の1箱を今使っているが、これが使っている内に耳かけがマスクからちぎれて取れる。使い方にもよるのだろうが、数時間で切れることが多い。それにしても、こんなに切れやすい使い捨てマスクは、今までで初めてだ。こんなこともあって、やはり日本製でなければ信頼できないという話になるのだろう。

しかし、自分のところで発生させて、世界中にウィルス菌をばら撒いておきながら、「マスク外交」と言って新型コロナウィルスで困っている国に与えて、優位に立とうとしていることや、中国から我が国の個人宅に勝手にマスクを送って来て、金を請求したりということもあり、中国という国の異常さを感じる。

そしてこんなときでも、尖閣諸島に続々と中国船が押し寄せて、日本の領域に入ってきているそうだ。南シナ海の進出も進めているし、まったく、狂気の国としか思えない。こんな狂気の国を相手に、ボンボンの安倍首相や麻生副総理兼財務大臣では対抗できるわけがない。まして、官僚頼みの政府ではどうにもならない。

選挙には必ず行って、もう少しましだと思う政治家に投票したいが、果たして他にいるのだろうか。それにしても、「あまりにもダメな首相や、各大臣、議員、そして官僚のトップを辞めさせる国民投票」というのがあればいいのに、といつも思う。全投票数の何%以上の票があれば、すぐ辞任させることが出来るようにして、その後継者も国民投票で決める。ということになるといいけど、ならないだろうな。

「愛犬“キートン”との生活」

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家に連れて来た時には小さくて、手のひらに乗る大きさだった。小さな紙の箱に入れて持ち帰ったが、プルプルとずっと震えていた。当初の頃は、夜は泣いてばかりいたので、女房が隣でずっと一緒に寝ていた。「キートン」という名前は、当時、家族みんなで愛読していた浦沢直樹の漫画「マスター・キートン」から頂戴した。これは、家族みんなで決めた。

段々と大きくなって慣れて来ると、その愛らしい姿を見て、家族みんなでいつも笑って癒されていた。短い脚を広げてベタッと床に腹を付けて寝る姿に笑い、また時々ひっくり返って腹を出して寝る姿を見て笑った。ただ、犬を飼うということがよく分からなくて、特に躾をしようとも思わなかったし、そのための勉強もしなかったので、我々家族に牙をむいて怒るわ、かじるわで当初は大変だった。後で分かったが、コーギーは自主性が強くて、初めて飼う犬には適していないという犬種だった。

キートンが小さい時は、かじられてもそれほど痛くはなかったので、素人考えでかじろうとしたら口の中にこぶしを突っ込んで苦しがらせて、かじるのはダメだと分からせようとしたりした。それもあって、段々と噛まなくなったが、牙をむくのはなかなか直らなかった。「ウー」とうなって突然すごい顔になるので、子供達も「変身する」と言って恐れていた。

女房は結構かじられて、その傷跡も残っていた。自分はずっとかじられることがなかったが、キートンが亡くなる数日前に初めてかじられた。ソファに寝ながら、床で寝ているキートンの頭を撫でていたら、突然グワッと人差し指をかじられて血が出た。意識してではなく、本能的にかじったようだ。自分が怒って頭を軽く叩いたら、困った顔をしてトイレの方にトコトコ歩いて行った。女房の時もそうで、怒るとトイレの方の廊下に行ったまま出て来なかった。それで「もういいよ」と言うと、またトコトコと戻ってきた。

家の者が外に出て行くと、とにかく狂ったように吠えた。車でどこかに連れて行っても同じで、誰かが外に出るとひどく吠えた。それと、息子の友達が遊びに来ても、ひどく吠えて皆怖がっていたが、1人だけ「大丈夫です」と言ってキートンに近づいたのがいた。心配して見ていたら、キートンが飛びついてもへっちゃらで、その内、キートンが喜んで遊んでいるので驚いた。

後で聴いたら、数年前にコーギーを飼っていたそうで、それで慣れていたそうだ。怖がる者には吠えてかじるのに、怖がらない者にはこうなのだから不思議だ。我が家でのキートンの順位は、自分が一番で、二番が長男坊、3番が女房で、4番が次男坊だった。長男坊は遊び上手だったので、遊んでやるとすごく喜んだ。次男坊は、かじられるのを恐れて、手で触ることが出来ず、足先でチョイと突く程度だった。

「愛犬“キートン”との出会い」

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キートンが亡くなってから、6年経つ。結婚してから犬を飼おうとは、一度も考えたことがなかったが、当時、子供達が小学校の高学年になっていて「我が家には、何かうるおいが足りないなあ」と夜寝ながら考えていた。すると「そうだ!犬を飼おう!」と突然ひらめいた。すぐ起きて、女房にそのことを話し、飼うことになった。

そして、「どんな犬種を飼うのか、どの犬にするのかは全部、子供達に決めさせよう」と自分が言い、女房も「うん、それがいいね」ということになった。翌日、本屋に家族みんなで行き、色んな犬種の本を女房や子供達と読んでいたら、自分がすごく気に入った犬がいて、どうしても欲しいと思ったのが、コーギーだった。

どうしてもこの犬に決めたくて、「これにしょう!これでなきゃ、飼わない!」と言った。女房は「えー、決めたの?」とあきれていた。でも、「実は、私も前からコマーシャルで見て、すごく可愛いと思っていた」と言うので、すんなりとそれに決まった。ということで、犬種は自分と女房が決めた。子供達には、聴きもしなかった。

そして2000年の1月29日に、札幌市内の3件のペットショップに、家族みんなで買いに行くことになった。ただ、その前に女房が、自分と子供達に「いいかい!すぐ決めたら絶対にダメなんだからね!すぐ、これがいい~とか言ったらダメなんだからね!3件全部まわって、一通りすべて見てから、冷静にどれが良いか決めるんだよ!衝動買いは、絶対にダメだからね!」と、何度も何度も念を押した。

1件目のペットショップで各自それぞれ色んな犬を見ていたら、1匹のコーギーがその中に居た。少し見ていて、さてソロソロ次の店に行こうかと思っていたら、女房が走って来た。「買われちゃう~!あのコーギーが買われちゃう~!」と泣きそうな顔をして言う。どうしたと聴いたら、「早く買わないと、あのコーギーがあそこの人達に買われちゃう~!買われる前に、先に買っちゃお~!」と言う。

「エー!まだ一件目だけど」と言うと、「だって、あれがいい~!あれが!」と言う。少し前まで、自分と子供達にあれほどうるさく言っていたのに、呆気にとられた。そのコーギーを見ると、少しアチャ目なので「それでもいいの?」と女房に聴いても、「それでもいい~!これがいい~!」と言うので、とうとう買うことにした。

子供達に「決めるんだってよ。1件目で決めちゃうんだってよ」と言うと、「えー!まだ見るんじゃなかったの?」とあきれていた。ということで犬種も、どの犬にするのかを決めたのも、我々夫婦だった。子供達は、なにも決めなかった。後で、女房にひどいよなあと言うと、「だけど、それでキートンに出会うことができたんだから、良かったでしょ」と言う。成るほど、確かにそうだなと思った。

今思うと、商品の様でいやだなと思ってしまうが、キートンは税込で十数万円だった。「国際公認血統証明書」というのが付いていて、犬種は「ウォルシュ・コーギー・ペンブローク」となっていて、オスだ。女房はだいぶん後になって、「本当は、捨てられた犬を引き取っている施設から、もらって来た方が良かったんだね」とよく言っていたが、当時はそんな知識などまったくなかった。いずれにせよ、縁があってキートンと巡り合うことができた。

「今年の花見は?」

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「桜の花を見に行こう」と思って行ったことは今までなく、街中を走っていたら時々神社などに桜が見事に咲いているのを見て、きれいなもんだなあと思ったくらいだ。前職の同僚から、素晴らしい桜の見所があると教えてもらったが、そこは自分も数年前から何度も通ったことがあり、石狩の厚田区方面の国道沿いに立派な入口の門があった。

しかし、そこは或る宗教団体が運営しているところで、女房と「ここに入ったら、入会しないと二度と出られないかもしれんぞ」と話していて、怖くて入ったことがなかった。先の同僚にそう話したら笑って、「そんなことはない。一般の人達が、みんな花見の時期になったら見に行ってる。それに、車を降りなくてもずっと乗ったまま道路脇の桜を見られて、そのまま出口から出て帰れる」と言うので、安心した。

それと、もう1人の同僚の父親がある時そこに花見に行ったときに、その同僚の友達がその宗教に入っていて、たまたまそこで手伝いをしていたらしく、父親が声をかけられて「〇〇君、元気ですか~?」と同僚のことを聞いたそうだ。「だから、その程度なので大丈夫ですよ」と、その同僚は言っていたので、間違いなさそうだ。

と書いた後、ネットで調べたところ「本年のお花見につきましては、御遠慮いただきますよう…」ということで、5月1日から緊急事態宣言発令期間中は「閉園」とのことだった。またしても、新型コロナウィルスだ。

「今回の連休の過ごし方」

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新型コロナウィルスのおかげで、この連休も自粛で実に静かな休みになりそうだ。ホントに、世界的に大変なことになっている。このような映画を以前、何度か観たような気がする。それが今、現実になっているのだから驚く。実は私事だが、4月いっぱいで今の職場を辞めて、連休明けから新たな職場で働くことになった。それで今度の職場は、土日祝日と平日が何日か休みになるので、今回の連休もずっと休みになり、連休明けから仕事が始まる。

ということで、今回の連休をどうやって過ごすか考えている。新たな職場は、座ってばかりいた前職と違って体力が少しはないとダメなので、体力強化が一番の課題だ。それで、エアロバイクを今までの約1日1回というのを、1日に2回にした。さらに、朝起きてからすぐと、寝る前に簡単な体操をやることにした。それと、これも簡単に気功を1日1回やることにした。机の前に座っていることも、なるべく少なくして動くようにした。

連休の間は、いつもの洗濯や掃除をマメにやることにして、自分の寝具も洗濯できるものは洗濯することにした。家周りのことも、簡単な修繕もある。それと、トイレと風呂をキレイに掃除したり、廊下や階段のワックスがけもある。網戸を洗って、各部屋に取り付ける仕事もある。それと、今はほとんど使っていない木工室と、物置の片付けの整理整頓がある。

後は、新たなスピーカーの製作や、新たに買った中古パソコンへのインストール作業やDTMソフトの移行もある。このDTMソフトの移行は、大変面倒な作業で自分には難しいので、DTMの師匠O氏にお願いしてやってもらう。スピーカーの製作は、新たに買ったユニットの大きさに合わせて、ピッタリとおさまる円形を合板に切り抜かなければならないので、まずは厚紙を切り抜いてユニットと合わせ、それから寸法を決めようと思っている。

等々、考えればやることが色々とあり、あっという間に連休も終わるような気がする。上記のやることを一覧表にして、日程の計画表を作ることにした。旭川に居る友人は、パークゴルフが大好きで、今年も楽しみにしていたが、やはり今回の自粛で営業しているパークゴルフ場がほとんどない、と嘆いていた。自分は、やることが家の中の事ばかりだけど、アウトドア―派や、体育館などを利用して運動していた人達は困っていることだろう。

「胆石の手術」

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今までに手術をしたのは、小学生の時の盲腸の手術と2012年の胆石の手術、そしてその翌年の左腱板断裂の手術の3回だ。胆石の手術の時は手術前が大変で、左腱板断裂の手術の時は手術後が大変だった。今回は胆石の手術について書くが、夜中になると腹がまず痛み出し、次に段々と背中に激痛が走り、ひどい痛みで我慢出来なくなり、救急車で2度も市内の病院に運んでもらった。いずれの時も、原因が分からないということだった。

2度目に救急車で運ばれて入院した時は、翌日にすぐ痛みが無くなったので、もう少し入院しなければダメだという病院を振り切って退院したが、その翌日にまたひどい痛みに襲われ、再度病院に入院出来ないかと聴いたら、一 度断って退院したのでダメだと断られた。当然だ。それで仕方なく急遽、今まで大腸と胃の検査を何度かやっていた札幌白石区の病院に、女房の運転する車で行った。

ずっとひどい痛みが続いていたので、予備の診察台に横になって簡単な検査をして待っていたら、担当医が「 今までの検査では原因は分からないが、ただ、以前から胆石が有るのは分かっていて、原因としてはそれしか考えられないが、手術をしてみますか?」と言うので、もう何でもやってくれと思って、すぐ承諾した。

そして、それから2日間はその病院で手術のための準備ということで入院していたが、痛みがずっとおさまらず、飲み薬や注射や座薬など色々な痛み止めをやってくれたが効かなくて、ベッドに横になるとさらに痛みがひどくなるので、夜もずっとベッドに座ってテーブルにもたれかかっていた。

寝ようとするが痛みで寝られず、夜中に看護師さんに痛み止めを強くしてもらえないかと何度も頼んだ。担当医に相談してみると言って、色々な痛み止めをやってもらったがどれもダメだった。それで、痛いやら苦しいやらで、ほとんど2日間眠ることが出来ず、その内、訳の分からない幻覚を見たりした。後で聴いた話だが、痛み止めを使用範囲の限界まで使っていたそうで、胃がかなり荒れていたとも言われた。

入院してから、やっと3日目に手術になったが、集中治療室で色々な管が体に付いていて、ガッチリとベッドに固定されて寝ているところで目が覚めた。これも最初は良かったのだが、次第に体のあちこちが痛くなって、苦しくて大変だった。早く時間が経たないかと、目の前の壁にかかっていた時計ばかり見ていた。あまりにも体の節々が痛くて辛いので、「麻酔をかけれないのか?」と看護師に聴いたら、急にどこかが痛くなっても麻酔がかかっていたら分からないので危険だから、麻酔はかけられないと言われた。

退院は手術からなんと2日後で、腹腔鏡手術だったので驚くほど早かった。痛みは、手術後は嘘のようになくなった。やはり、痛みの原因は胆石だった。退院した後に、術後の経過を診てもらいに行ったが、その時に手術に立ち会ったという若い先生に「あなたの胆石はかなり大きいのが2つあり、それと胆嚢の内側に細かい石が散らばってビッシリ付着していて、もう少しで破裂するところだった。破裂したら大変で、非常に難しい手術だったけれど、手術を担当した先生が非常に優秀な先生でラッキーでしたね」と言われた。

危ないところだったのかと思った。その後の経過診察の時に、その優秀な先生と会ったので、お礼を何度も言った。市の病院に再度の入院を断られて、ついてないなあと思ったが、結局はこの手術を受けた病院に来て、優秀な先生に危機一髪のところを救ってもらって助かったのだから、逆に幸運だった。

それにしても、救急車に運ばれることになった、あのひどい激痛の原因を後で考えてみたら、その日の昼に菓子屋で中にクリームがたくさん入っていた シュークリームを食べたのが悪かったようだ。脂っぽい物を食べると、胆石は痛むそうだ。その前に救急車で運ばれた時も、そういえばそんな脂っぽい菓子を食べたような気がする。まさかそれが原因で、そんなことになるとは思ってもみなかった。胆石を取ってから、また同じ店でその大きなシュークリームを食べてみたが、今度は何ともなかった。

「NHKの “ファミリー・ヒストリー”」

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「ファミリー・ヒストリー」で、面白かったゲストの回をDVDにコピーして残している。この番組は、ゲストにもよるがほとんど感動する。この番組を観ていつも思うのは、今自分がこうしているのも、両親や先祖が色々な苦労を乗り越えて生きてきたからだということだ。特に、大変な戦争を乗り越えて、生き抜いてきた苦労は想像もつかない。

今まで観たこの番組の中で、特に感動したのは「桂文枝(元、桂三枝)」がゲストの回だった。文枝が小さい頃に父親が軍隊で病死し、遺骨がずっと行方不明になっていたが、この番組の調査で、共同埋葬されていた父親の遺骨壺が見つかった。それと対面したときに、それまでずっと悲しみをこらえていた桂文枝が声を出して号泣したときは、こちらもやるせない気持ちでいっぱいになり、涙が止まらなかった。

元「はっぴいえんど」で、その後も「YMO」で活躍したミュージシャン「細野晴臣」がゲストのときは、祖父があのタイタニック号に乗っていた唯一の日本人で、しかも生存したわずかな乗客だった。それで、汚名をずっと着せられていたことで、ずっと一族が負い目を感じていたという。

それと、やはり同じYMOで活躍した「坂本龍一」がゲストのときは、父親が本の編集者であり、数々の著名な作家の編集者だったが、坂本龍一との親子の葛藤などもあって、非常に面白かった。その他にも、「北野武」や「財津和夫」など、まだまだ感動したのがたくさんあった。

ほとんどのゲストが、自分の両親や先祖の苦労を知って感謝し、涙する姿をみると感動する。自分も今こうしてここにいられるのも、両親やその先祖の人達が苦労して生きてきたからで、自分1人で生きてこれたわけではないということを、改めて思い知らされる。本当にいい番組だと思う。

「マスクの調達」

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マスクの在庫もそろそろ底を尽きそうなので、1週間ほど前に同僚から教えてもらった、ラジオで宣伝している通販メーカーのマスク50枚入1箱を注文した。送料も入れると6千円になった。やはり、中国から送って来るそうで、納期は今月末か来月の初めということだ。後で、また50枚入1箱を追加注文したので、計100枚頼んだことになる。

この先、いつ新型コロナウィルスが終息するのか、まったく先が見えていない状況なので、子供達やその家族の分も確保しておこうと思ったことや、どっちみち自分の家族はみんな花粉アレルギーで鼻炎もあるので、新型コロナウィルスが終息しても使うことがあると考えたからだ。

それもあって、新型コロナウィルスが流行る前に、我が家に備蓄していた使い捨てマスクが、約100枚近くあったのですごく助かっている。ということで、今月末か来月初めの到着を待っていたら、突然数日前に中国語で色々と書いてある簡単な包装紙に包んだマスクらしい束が、郵便ポストに入っていた。

以前、注文してキャンセルしたAmazonの物かと思ったが、Amazonの字はどこにも見当たらず、最近こうして突然中国からマスクが送り届けられて、中に請求書が入っているというのが多くあるというのを知っていたので、すぐ郵便局に持って行って「受取拒否」をして返した。まったく、Chinaにはあきれるばかりだ。

数日前に、いよいよシャープが作ったマスクの50枚入1箱の販売がネットであるというので、当日のスタート時間の午前10時を待ち構えてすぐ注文しようと思ったが、ずっと注文ページへ移るところがアクティブになっていなくて、しばらくダメだった。

その内、やっとアクティブになったので、ついに注文と思ったら、次の画面がずっと出なくてとうとう30分経過した頃に、「ネット回線が混雑して、繋がらない状況が続いている」とかいう表示が出たので諦めた。その後、数時間経ってからアクセスしてみたがダメだった。

こうなることは予想はしていたが、もしかしたらという希望も抱いていた。アイリスオーヤマも、同じ日にマスクのネット販売をやったらしいが、やはり同じでダメだったらしい。確かに、日本製ということで安心感が違うし、価格も既に注文した中国製のマスクよりも1箱で2,300円も安いのだから、殺到するのも分かる。今後、また再開したらチャレンジしてみるつもりだ。それにしても、使い捨てマスクがこんな貴重品になるとはねえ。

「不思議なこと」

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5年前の話になるが、不思議なことがあった。自分の父親の命日の日のことだ。女房は朝から仕事に出かけたので、一人で昼飯を食べた後にソファに横になり、録画した連続TVドラマを観ていた。今日は、父親の命日なので線香をあげて、軽く般若心経を3回ほど唱えて拝もうと、前日から予定していた。それで、億劫だがサッサと終わらせて、またTVドラマの続きを見ようと思っていた。                         

父親の命日の5日前は母親の命日、そしてその翌日は女房の父親の命日なので、まとめて3人拝んだろかと、仏壇のローソクに火をつけて線香を焚き、昔から両親がずっと使ってきたお経の冊子を開いて読もうとしたときだった。突然、”グワー!”っと胸の奥から何かが込み上げてきて、いきなり涙が溢れ出てきた。

「何だこれは!」と驚いて茫然となった。その後も、なんとか般若心経を読もうとするが、涙と嗚咽で言葉が出てこない。それでもなんとか般若心経をつぶやくように、途切れ途切れ声を絞り出し、3回繰り返して読み終えたが、終わった途端にまた突然”グワー”っと込み上げてきた。涙が止まらなくなり、声を出して泣いた。         

その後はしばらく放心状態で、何故こんなことになったんだろうかと、仏壇の前に座ったままずっと考えていた。「バチあたりな自分に天罰が下ったのか?」、「それとも、なにかの予兆なのか?」、「自分のお迎えが、そろそろ近いのか?」など色々と考えた。でも、なにも分かるはずがない。

数日後に、「もしかしたら」と思うことがあった。それは、その読経の数日前だが、風呂に入っていたときに、壁に貼ってある愛犬キートンの写真を見ながら、「死んでしまったら、すべて無になるのか? この世で、もう終わりなのか?」、「もし、今もまだどこかに居て、俺たちを見ているのだったら、何か合図をしてくれ」と愛犬キートンや、亡くなった両親も思い浮かべて、何度か心の中でつぶやいたことを思い出した。

風呂の明かりを、パッパッと消すとか合図してくれと。しかし当然、何も起こらない。傍から見たら、ちょっと頭のおかしいオジサンに見えるだろうが、本人は至って真剣だ。実は作家の遠藤周作氏が、宿泊していた旅館の部屋で、亡くなった友人のことを思って、夜寝る時に「もし、あの世で見ているのなら、なにか合図をしてくれ」と声に出して言うと、部屋の明かりが急にパッパッと2回消えたという話を読んでから、自分もいつかやってみようと思っていた。

それで今回のことは、もしかしたら両親や愛犬キートンが合図を送ってくれたんじゃないかと思った。「いつも見てるよ」というメッセージだったのかなと。それが一番、あの出来事の答えとして考えられることだと思った。こんなことはあまり人に話すことではないし、話してもとうとう頭がおかしくなったとか、感傷的になってるとか言われて笑われるだろうし、まして自分でももしかしたらそうなのかもしれないと思ったりもした。

いずれにせよ、たいして信仰心もなく、いい加減でチャランポランな自分にとって、あんなことは初めてで、驚き以上の出来事だった。今でもあれは何だったのかと思うことがあるが、ただ、取って付けたような安易な答えは出したくない。今は分からなくても、いずれ自分もあの世に逝くときに、あれがなんだったのか分かる時が来るだろう。あれから、何度も仏壇の前で般若心経を唱えてはいるが、あの時のようなことは、もうない。

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「内田裕也氏が消えた!」

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去年の3月に亡くなった内田裕也氏のことで、未だに思い出すことがある。自分が学生のとき、たまたま昼の奥さん向けTV番組を観ていたら、当時ロックバンドのボーカルで歌っていた内田裕也氏が、ゲスト出演して、他のメンバーとさっそうとスタジオに現れて、演奏を始めた。

彼らの下の方から、大量のドライアイスの煙がモクモクと湧き上がり、ボーカルだった彼はマイクスタンドのマイクを握り締め、イントロのリズムに合わせてノリノリで体を左右に動かし、歌い始めるようとした次の瞬間、彼の姿が消えた。          

どこだと探したら、床から50センチくらいはあるドライアイスの煙の中から、マイクスタンドのマイクを持った手が、いきなりニョキっとあらわれた。なんと彼は、ドライアイスの煙の下に倒れていたのだ。ドライアイスで床が濡れていたので、滑って転んだのだろう。カカトの高い靴も履いていたと思う。

そして、そのマイクスタンドを杖代わりに起き上がろうとした次の瞬間、また滑って転んだ。そして、姿がまた消えた。その後も、何度も何度もマイクスタンドを杖代わりに立ち上がろうとするが、滑って立ち上がれない。演奏はずっと続いている。

とうとう、彼は頭に来たのか「チクショー!」と大声で叫んだ。彼の横で歌っていたコーラスの女性は、そんな彼の姿を見て、横を向いて必死に笑いをこらえていたが、とうとう吹き出していた。そうして、演奏は終わった。結局、内田裕也氏は「チクショー!」しか言わなかった。                           

そういえば、自分が師と仰ぐ泉谷しげる氏がフォーク歌手の頃、やはり昼の奥さん向けの生放送番組にゲスト出演した。番組の合間に、スタジオで食品の宣伝をしていたら、泉谷氏が「こんなもん、食えんのかよー!」と言った途端、TVがピーっと鳴って画面が真っ白になり、「只今、不適切な表現がありましたことをお詫びします」というテロップが流れたそうだ。当時のロックやフォークの連中には、テレビの生番組は向いていなかったようだ。