オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「やっと、トイレットペーパーが」

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やっと、トイレットペーパーが1人1パックではあるが、買えるようになった。ティッシュも同じだ。今までは、ホームセンターや大手のチェーンの薬局ばかり見ていたが、同僚がスーパーとかの方が買えるということを教えてくれた。確かに、他の人の話を聴いてもそうだった。どこでも一律ということではなく、各店舗や店舗の種類によって違うようだ。

まだ、マスクだけはダメで、相変わらず「入荷の予定が経っていません」という貼り紙が貼ってある。トイレットペーパーやティッシュは、ほとんどが国内生産らしいが、マスクは中国生産がほとんどということが原因のようだ。名古屋に居る従弟が、どうしてもマスクが欲しければ、ネットでまあまあの価格で手に入ると教えてくれた。

ただ、見てみると黒色や灰色のマスクは安く売っているが、普通の紙製の白いマスクは結構な値段がしている。黒色マスクは中国人や韓国人などがよく使っているが、自分の周りにそれを使っている人はまず見かけないので、自分もこれを使うのはまず無理だ。日本人が使用すると、不気味に感じる。

今度は、ビニール傘や割りばしが不足するという話が出ているらしい。いずれも、中国でほとんど生産しているからという理由らしい。ただ、考えてみたらビニール傘はまず普段も使うことはないし、割りばしも有れば使うけど、なければマイ箸で充分なので困ることはない。

人間は、ないというと焦って買っておこうという心理が働いてしまうが、これがバカな買い占めに走ってしまうことになるのだろう。そろそろ、新型コロナウィルスも終息の兆しが見えてくるといいのだが。

「米国のTVドラマは、エンドレス」

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以前、「24 -TWENTY FOUR-」という米国のTVドラマシリーズに夢中になり、新しいのが出るのを待っては、近所のツタヤにレンタルDVD を借りに行ったことがあった。当時はすごい人気で、他の人達も新しいのが出るのを待っているため、開店と同時に借りなければならなかった。

結局、最後まで全て観た。ただ、あまりにもシーズンが長く続くと疲れてくるし、飽きてもくる。どうしても長く続くとマンネリにもなるし、無理やり話を作ってるなあと思い、つじつまも合わなくなってくる。

この「24 -TWENTY FOUR-」を観た後は、米国TVドラマシリーズは一切観なくなったが、最近また何か面白いのはないかと探していたら、人気が高くて日本版のテレビドラマにもなったという弁護士「スーツ」と、セレブ相手の医者「ロイヤル・ペインズ ハンス」というのが面白そうだったので借りてみた。

想像以上に、この2つのテレビドラマは面白くて、ずっと観ていた。ところが、「スーツ」はシーズン3に入り、「ロイヤル・ペインズ」がシーズン4に入る頃には、またあの「24 -TWENTY FOUR-」で感じたマンネリ感と、話を無理やり作っているという感じがしてきた。

「24 -TWENTY FOUR-」のときは、主人公のジャック・バウワーの娘キムが好き勝手なことをやっては、父親のジャックにかなり危険な思いをさせたにもかかわらず、懲りずにまた何度も同じような勝手なことをやる。その度に、ジャック・バウワーが窮地に陥るので、「まったく、このバカ娘ならどうにもならん!」とイライラして、罵倒していた。

そのときと同じように、「ロイヤル・ペインズ」の主人公ハンスの弟に対しても、「まったくこのバカ弟は、また勝手なことばかりしやがって!学習できんのか!」とイライラし始めてきたので、これは体にも良くないし、キリがないと思ってやめた。「スーツ」も同じだろうと思って、やはり観るのをやめた。

確かに製作する方にしてみたら、ドラマの視聴率を良くしてなんとか長く続けようとするので、誰かがなにか事件を起こさないと話しが続かない。以前、こういう米国のドラマは脚本家が何人もいて、皆でアイディアを出し合って話を考え、そして人気があれば延々と続けていくということを聴いたことがある。

逆に人気がなければ、サッサと打ち切るそうだ。上記の、途中でやめたドラマシリーズも、あの後どうなったかなと最初は少し思ったりしたが、その内に忘れてしまった。これからは、もう米国のテレビドラマシリーズは観ることがないだろう。疲れ果ててしまう。

「江別駅前のお焼き屋さん」

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このお焼き屋さんは、江別の駅前通りにあり、江別市水道庁舎の向かいにある。正式な店の名前は「大判焼き むらた」と言うらしい。今までずっと知らなかった。仕事が昼で終わった時や自分の休日が平日の場合、この店の近くを寄ったときには、だいたいこの店のお焼きを買う。

週に2~3回くらいか。餡とクリームの2種類がある。この店は自分が江別に来た時からずっとここにあり、今、お焼きを焼いている奥さんは2代目で、その前には奥さんか旦那さんの親が、ずっとここでお焼き屋をやっていたらしい。

クリームは、地元の町村牧場の牛乳を使っているそうで、非常に美味しくて評判がいい。自分もこのクリームが好きだ。価格も当時からずっと、餡もクリームも1個100円(税込)と非常に安い。仕事帰りなどにクリームと餡を1個ずつ買っていくが、ボリュームもあって、計200円で別腹が満たされるので、非常に満足している。

今回の消費税の増税でも、価格は税込みで100円のままだ。しかし、価格は変わらないが、中身の餡やクリームの量が少しずつ減っているような気がするのは、自分だけだろうか。地元出身で、以前からここのお焼きを食べているという同僚にもそう話したら、「自分もそう思った」と言っていたので、間違いないと思う。

段々と中身が少なくなり、皮が厚く感じるようになった。同僚と「少し値上げをしてもいいから、中身を減らさない方がいいのにね」と話していた。1個150円(税込)でも、2個買いに行くけどなあ。それでも、300円だ。

「久々のバカ笑い」

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自衛隊の特殊部隊などで、訓練で格闘技とかをやっていた人は、いざという時にはかなり強いのだろうと、パートの同僚と話していたことがあった。テレビや映画でも、普段は風采の上がらない男が、危機に瀕するとものすごい超人に変身して、相手をバタバタ倒すという、男ならだれでもワクワクするようなストーリーのがあるが、それみたいなものだろうかと話していた。

或るとき、格闘技好きの同僚Y氏にその話をしたら、「ウーン」と唸って納得いかないような顔をしている。そして、「自分が昔、テレビで格闘技を見ていたら、全く無名の新人と、グレーンベレーなどの特殊部隊で教官をしていたという米国人が対戦したのを観たことがある」と言う。

試合前の紹介ビデオで、その教官が「俺はあらゆる格闘技を身に付けているし、相手を殺す技も訓練で身に付けている。もしかしたら、今回の試合で相手を殺してしまうかもしれない。いずれにせよ、5分以内で勝負はつく」と豪語していたそうだ。

Y氏は、この教官はとんでもなく強い奴で、すごい試合になるとワクワクして観ていたそうだ。ついにゴングが鳴り、試合が始まった。そして、教官が言っていたように5分以内で勝負はつき、ボコボコにされてリングに倒れていたそうだ、教官が。しかも、一方的に教官はやられたそうだ。「だから、俺はどうもそういうのが信じられないんですよね」と、Y氏がつぶやいた。

後日、その話を同僚のH氏に話した。途中まで真面目に聴いていたH氏だったが、自分が「大言を吐いていた教官が、逆にボコボコにされて」と話すと、突然吹き出して「ボコボコって!アハハハ!」と大笑いすると、自分まで可笑しくなってきて火が点いた。

自分が「しかも、相手じゃなくて教官が!」というと、H氏も「教官が!アハハハ!」と笑う。また自分が「しかも、無名の新人に!」と言うと、「無名の新人って!アハハハ!」と笑い、さらに自分が「殺すかもしれないって!」と言うと、「殺すかもって!アハハハ!」という感じで、ずっとH氏と腹を抱えて笑っていた。

あんなに、腹がねじれるくらい笑ったのは久しぶりだった。これは誰でも可笑しいだろうと思って、後日、同僚のO氏にも同じように話した。すると、「あ、そう」と言うので、もう一度「ボコボコにされたんです…、教官が」と繰り返しオチを言ったが、「ヘェー」と言って終わりだった。

O氏には、もうこれ以上話してもダメだと思い、話題を変えたが、人それぞれ笑いのツボがかなり違う。ということで、こんな歳になってもまだまだ腹が痛くなるくらいバカ笑いすることがあるんだと驚き、我ながらくだらないなあと思うけど、大笑いした後は気持ちがスッキリしていい。

「コロンとした雀」

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我が家の玄関前に、電線まで届くような高いコニファーが数本ある。10年くらい前にホームセンターで、高さ1.5メートルくらいのを買って来たのだが、こんなに大きくなるなんて思ってもみなかった。その中にたくさんの雀が潜んでいる。いつもではないが、朝方はかなりの頻度でいる。少ない時は5羽くらいで、多い時は30羽はいるだろうか。

朝5時半頃に郵便ポストに新聞を取りに行くと、電線にとまっていたり、出窓のひさしのところにいたり、大半はコニファーの中にいて賑やかにささやいている。自分が玄関のドアを開けると、コニファーの中からバサーッと一斉に出てくるときもあるし、数羽ずつ出てくるときもあり、驚いて出てくるというよりは、まるで自分に顔見せするように出てくるような気がする。

その雀達に「オハヨ~!みんな元気か~!」と声をかける。寒い時は、さらに「寒くないか~!」と言う。一応、周りを見渡して、誰もいないときに言う。誰かいる時は、心の中で言う。一度、朝いつも通り新聞を取りにいって雀達に声をかけていたら、隣の家の方から「ガサッ」という音が聞こえた。ジッと見たら、隣の御主人が玄関で何かやっていたので、逃げるように家の中に入った。

この雀達はコロンと太っていて愛らしい姿をしていて、7年前に亡くなったコロンと太っていた愛犬の生まれ変わりではないかと思うこともあって、親しみが湧いてくる。時々、出窓のひさしの上にペアで仲良さそうにいるのが愛犬のように思えて、「伴侶と楽しくやっているよ!」と言っているような気がする。愛犬は生前、いつもその出窓で寝ていた。

愛犬が小さいときに、こちらの都合で勝手に去勢手術をして、ひどいことをしてしまったなあという気持ちがずっとあり、あの世でなにかに生まれ変わったときには、伴侶を見つけて幸わせになって欲しいと思っていた。それで、最初に出窓のひさしのところにペアの雀を見つけたときには、愛犬キートンじゃないかとすぐ思った。

と、こういう話をすると「そんなバカなことがあるわけがない」と笑って小バカにするような輩が必ずいるのだが、絶対にそうでないという証拠があったら見せてもらいたいもんだ。まあ正直、自分も半信半疑ではあるんだけど。

「退廃の街 ソドム」

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NHKテレビの「あしたも晴れ!人生レシピ」クラブという番組で、福島の原発事故で移住した家族のことをやっていた。その家族は、かつて福島で10年間で作り上げた自然農場もやっと軌道に乗り、奥様の自然食レストランも軌道に乗っていた時に、原発事故で全てを失うという絶望的な悲劇にあった。それで、三重に移住した。

そんな時に、この御主人は旧約聖書に書いてある「退廃の街ソドム」の話を読んで、「自分はこれから過去を一切振り返らず、前だけを見てやっていこう」と決心する。そして、それから一度も過去を振り返ったことはないと言い、今も新たな土地を黙々と切り開いている。すごい人だと思い、感動した。

この「退廃の街ソドム」の話しは、以前から本やテレビなどで知っていた。ソドムという街では人々が悪事を行ってひどいので、神の怒りに触れてこの街を滅ぼすという内容だが、その時に善良な1家族だけに、神様がその街を滅ぼす前に脱出するように告げる。

ただし、「逃げる時に、決して後ろを振り返ってはいけない」と神様に言われていたのだが、奥さんが逃げる途中で後ろを振り返り、塩の柱になってしまう。自分は今までは、ただ漠然とそれだけの話と思っていたが、聖書の逸話にはそれぞれ深い意味があるということが分かった。

その御主人の話を聴いて、退廃の街を振りかえると塩の柱になるというのは、過去を振り返って嘆き悲しんでいるばかりでは、「生ける屍になる」という意味があるのだと思った。過去を断ち切って、生きて行かなければ不幸なのだと。

自分も歳を重ねていくに従って、過去のことを色々と悔やんだり、恥じたりすることが多くなった。嫌だったことや、辱められたことや恥をかいたことなどは、今でもその場にいたかのように鮮明に思い出す。いつも、そんなことばかり頭に浮かぶのでウンザリしたこともあった。今も、少し前の過ぎ去ったことで悩むことも多い。

「道は開ける」という、デール・カーネギーの本に、ある有名な人の「過ぎ去った昨日という過去と、まだ生まれぬ明日を鉄のドアで遮断する。今日やるべきことに全ての知性と情熱を注ぐこと、それが明日に備える最高の方法だ」という言葉が書いてあったのを思い出した。過去のことは「もうどうにもならない」し、未来のことは「どうなるか分からない」から、今この時を精一杯生きるしかないんだ、と思うようにしている。なかなか難しいことだけど。

「今、心に染みる言葉」

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新型コロナウィルスの今後の状況に、落ち着かない日が続く。亡くなっているのは高齢の方が多く、喘息や糖尿病の持病がある人が多いらしい。自分も65歳という歳と糖尿病と高血圧の持病があるので、感染するとポックリと逝ってしまうかもしれないので、或る程度の覚悟はしていないとダメなのだろう。

今回のウィルスだけでなくとも、そういう覚悟はいつも持っていなければならない。ということで、この年齢になってしみじみと心に染みた言葉がある。「散る桜 残る桜も 散る桜 」。江戸時代の僧侶で歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている歌だ。

自分の同期生や知人が何人か、それぞれ色々な理由で亡くなっているが、誰しもまさかそのときに死ぬなんて思わなかっただろう。この句を初めて聞いた時に、癌でなくなった同期生のことが頭に浮かび、「俺も、もうすぐ逝くよ」と心の中でつぶやいた。後50年もしたら、自分も他の同期生もみんな散ってしまって、この世からいなくなる。

「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」。詠み人知らずの歌らしい。この歳になるとこの言葉の意味がよく分かり、「そうだよなあ」とつくづく思う。自分の両親を見ていて「晩年は、あまりいい人生ではなかったな」と思っていたが、段々と自分も両親の歳に近づいてくると、両親に「それでは、お前の晩年はどうかな?」と問われているような気がする。

「年寄り笑うな、行く道だもの」。親父が高齢の時に小便が長くて、トイレでいつまでやってんだと思って「親父のダラダラ小便」と陰で笑っていたが、なんと今は自分がその時のオヤジとまったく同じ状態になってしまった。家人に、「まだ、やってるのかい?」と嘲笑されるようになってしまった。

最近、英語でこういう言葉があるのを知った。「To be old and wise,first be young and foolish (賢く歳を重ねるために、まず若く、そしてバカであれ)」。きっと、自分も死ぬまで頭の中はずっとガキのままで、ずっとバカのままだろう。それが賢く歳を重ねることになるというのなら、非常に喜ばしいことなのだが。

「政府の対応について」

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新型コロナウィルスの対応がすべて後手後手にまわっていて、安倍首相の答弁もパッとせず、ただ型通りの教科書を読んでいるようで、新しい北海道知事の若い鈴木氏の真剣で明確な対策や答弁をしていたのと比べると、非常に対照的だった。どのようなことでも、必ず反対意見はある。それを恐れず決断するのが、リーダーだろう。安倍首相に対しては、当初は少し期待をしていたが、本当の能力はこうした危機に面した時に分かるもので、今回の対応を見ていたら、段々とこの人では首相は無理なのではないかと思えてきた。

副総理兼財務大臣の麻生氏とも仲良くやっているようで、麻生氏は祖父の吉田茂元首相を気取っているようだが、吉田茂の足元にも及ばぶはずがなく、まったく無能で財務官僚の操り人形だという話がある。第一、無神経でおかしなことばかり毎回言っていて、これに対して安倍首相が注意していることもないようなので、安倍首相も似たようなものなのかもしれない。

新型コロナウィルスで大騒ぎになったときに、安倍首相がその晩に有識者と会食をして「台湾問題」について話し合ったというが、そんなことを今話し合うことだろうかと不思議でならない。それよりも、夜も関係者を集めて夕食しながらでも新型コロナウィルス対策を練るのが、首相たる者の姿ではないだろうか。特に緊急を要することもないことなど話しているから、対策が後手後手に回ってしまうのではないか。危機感がないのではないかと、疑ってしまう。

麻生氏も、「臨時休校で親や企業が対応することになった際の費用負担」について記者が質問して、具体的な仕組みはどうするのかと聴いたら、「こちらが要請を受けて出すんですから。こちらが最初においくらですよって決めているわけないでしょう」と回答し、「もうちょっと常識的なことを聞こう」と記者に言い、「つまんないこと聞くねえ」と続けたそうだ。なにが「つまんないこと」なんだろうか。

記者は「いくら出すのか?」なんて、一言も聴いてない。「要請を受けて出す」と麻生氏が言っているが、その要請を受けて”費用を出す仕組みはどうなっているのか”を記者は聴いているだけだ。それとも仕組みなどなくて、要請を受けたらいくらでも相手の望み通りの金額を出すということなのだろうか。毎回のことだが、麻生氏の言うことはよく分からない。

ということで今の政権には、国民のみんなもガッカリしているのではないだろうか。ただ問題は、今の政権がダメだとしても、次の候補の政党があまりにもパッとしないことだ。かつては民主党が政権を握ったが、やはり福島原発事故の危機に際して、お粗末でひどい対応で被害を広げ、多くの犠牲者を出した。

どこの党が政権を握ってもダメかというあきらめがある。危機に際しての対応で、政府の無能さが毎回表れてくる。政治の話と宗教の話は、このような公の場ではタブーだが、今回というか毎度の政府の対応のお粗末さには、文句の一言も言いたくなる。とにかく、どこの政党でも誰でもいいので、我が国にとっていい人が出てきて欲しいと、願うだけだ。

「サル?コペニア?」

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今は新型コロナウィルスの話題一色で、今後の感染拡大の不安で、どんよりとした暗い雰囲気だ。今度は、缶詰や食料品も不足するという話も出ているそうで、また買い占めで不足するのかと思うとウンザリする。こんな状況のなかでも、明るい話題もある。

今月28日にいよいよ「南大通大橋」が開通する。昔から、幻と言われていた橋だ。まあ、あっという間に慣れてそれが当たり前のようになるんだろうけど、当面は楽しめる。それと、例年とは比べものにならないほどの降雪量の少なさと暖かさだ。このまま、雪がそれほど降らなければ万々歳だと、職場の人達とも話している。

朝も日が昇るのが早くなって明るくなり、夜も日が沈むのが遅くなって明るい時間帯が多くなったので、なんとなく気持ちも明るくなってくる。こうなると、外に出たりなにかをしようという、ポジティブな気持ちになってくる。この歳になったからなのか、外部環境や天候に、かなり気持ちが左右されるようになった。

今朝の北海道新聞に、「感染が怖くて、高齢者の間で外出を控える傾向が強まっていて、自宅に閉じこもっていることによる運動量の減少で、筋肉が衰える“サルコペニア”を懸念する声が高まっている」という記事があった。自分も最近エアロバイクをやっていなかったせいもあるのか、また朝の血糖値が180前後とかなり高くなったまま下がらない。今年は雪が少なく、雪かきすることも少なくなったこともあるかもしれない。皮肉なものだ。

今日は休みなので、エアロバイクを昼飯後と夕方の、2回やろうと思っている。明日は、3ヶ月に一度の血圧と糖尿病の病院に行く日なので、少しでも血糖値を下げたい。空腹状態を作るということも忘れていて、無理に食べていたこともあったので、また始めたいと思う。それと、午前中に少し街に出て、トイレットペーパーとティッシュの様子でも見てこようかとも思っている。有れば買ってこようか。

※ということで、AM10時過ぎに近くのツルハとホーマックに行ってきたが、トイレットペーパーとティッシュは影も形も見えず、その売り場には「入荷の予定が立っていません」という貼り紙があるだけだった。自分と同じような客がたくさん来ていたが、みんな空戻りだ。

「トイレットペーパー、お前もか!」

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新型コロナウィルスの感染防止で道内は外出自粛になっているが、札幌のススキノなどはガラーンとしていて別の街のようだと、ニュースで言っていた。江別市内はそれほど閑散としているように感じなかったが、スーパーはこの土日の間に食料品などを貯えておこうという人で混んでいるようだ。

トイレットペーパーもなくなるというデマが飛び交っているそうで、今は品薄になっていて、1人1つまでということらしい。トイレットペーパーだけでなく、ティッシュやおしめや生理用品などもなくなるというデマが飛んでいるらしい。

色々なニュースを見ると、それらのほとんどが中国などの海外製造品ではなくても、日本で自主生産できるものなので、8割が中国製造のマスクと違って不足するという事態にはならないと書いてあった。とにかく、デマ、デマで、なんでも足りなくなるということになっている。

今の時代はネットで個人が好きなことを発信できるようになったので、昔よりはデマが広がりやすいのだろう。確かに、上記製品は日常で必ず使うものなので、足りなくなれば大変なことになるという危機感から、みんなが不安になって買いに行くというのは当たり前のことだ。

鼻が悪くてティッシュを大量に使う自分も、休日にティシュとトイレットペーパーも売っていたら買ってこようと思っている。まさか、マスクやアルコール入り消毒布や消毒液だって、店頭からなくなるなんて誰も予測していなかったことだ。

ひとまず、感染者がハッキリするのは約2週間後ということだ。感染者は、数万人から10万人単位になるのではないかという話もあり、100万人くらいになると予測していた医療関係者もいた。仮に道内だけでも万単位以上になると、もうその辺に感染している人がいるという感じになるので大変だ。とにかく、この新型コロナウィルスが終息するまで、落ち着かない日々が続く。