オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「今の北海道を築いた人達」

■立派な人ばかりだった

北海道の歴史の本を何冊か読んでみたが、知らないことばかりだった。それと、名前は聞いたことがあるが、どういう人だったのか、なにをやったのかは知らず、何故か勝手に悪いイメージを持っていた。アイヌの人達をダマして、搾取していたとかね。しかし、想像してたのとは違って、立派な人達ばかりだった。深く反省しております。<(_ _)>

五稜郭を占拠した旧幕府軍の榎本武揚や、それと戦って勝利した新政府軍の黒田清隆がいる。黒田の助命運動により、榎本は命を救われ、以後は黒田の右腕として活躍した。榎本は、元々は戦いに敗れた旧幕府の困窮した人達を救うために尽力した。他に、北海道や樺太を測量した間宮林蔵、そして「北海道」と命名した松浦武四郎という探検家がいる。

北前船という、蝦夷から本州を周回する商船で活躍した商人の高田屋嘉兵衛は、自分の父親のルーツと同じ「淡路島」の極貧農家の出身だ。彼は豪商になったが、人徳があり、函館の開拓にも大いに貢献したという。当時の幕府の態度に業を煮やしていたロシアとの問題も、一商人なのに解決した。ロシアの役人からも、信頼されていたようだ。

 

              

■新選組の副長

一番有名なのは、新選組で「鬼の副長」と言われていた土方歳三だろう。彼は新政府軍と戦って、追い立てられるように徐々に北上して函館にやって来た。函館に向かう前の京都以来の新選組隊士は、わずか21人しか残っていなかったという。函館に向かう直前に、新たに編成された新しい新選組は150人ほどになった。そこでは常に温厚な態度で、戦いでは功績を上げている。

最後は、新政府軍に囲まれて孤立している味方を救うため、少数の隊員で救出に向かい、馬上で敵か味方か分からない鉄砲の弾に撃たれて、即死したと言われている。最後の言葉が「退却するものは切る」だったそうだ。敵味方が入り混じっての接戦だったので、どこから飛んできた弾か分からなかったのだろう。土方歳三は、34歳の若さだった。

遺体も見つかっておらず、埋葬地も特定されていないそうで、生存説もあるという。ただ、敵に撃たれて即死だった土方の首を味方が持って行った、という証言がある。新選組局長の近藤勇は、最後は斬首刑でさらし首になったので、その屈辱を二度とさせないということだったと。

尚、坂本龍馬は蝦夷地を目指しながら、4回も断念している。1回目は新選組に襲撃された池田屋事件が起きて、2回目は船の沈没、3回目は紀州藩の船に衝突されて沈没、4回目はイギリス人水夫殺害事件に巻き込まれて断念している。余程、縁がなかったようだが、もし龍馬が北海道に来ていたら、どうなっていたのだろう。竜馬亡き後、その一族は北見市に移住している。        

          

 

■お雇い外国人とは?

新政府に雇われたクラーク博士のような「お雇い外国人」が多数、北海道にやって来て色々な知識を広め、開拓に貢献したことを初めて知った。「お雇い外国人」とは、幕末以降に日本が近代化をするために招へいし、雇用した外国人のことで、北海道にはなんと78人もいたそうだ。その中で一番有名なのが、クラーク博士だ。

他にもエドウィン・ダンという人もいて、日本人の女性と結婚して6年半も札幌で農業、畜産、酪農の推進をした。その他にも色々な整備事業も行っていて、功績はかなり大きい。さらに地質学者のライマンは、石狩炭田を見つけた。それから、ここは日本の近代化を支えた鉱山になった。北海道の開拓や発展は、お雇い外国人の功績が非常に大きい。

■外国人女性と結婚

他にも日本人で、いずれも外国人の女性と結婚していて、北海道で活躍した人たちがいる。札幌農学校出身で「武士道」の著書で知られ、有名な教育者でもある新渡戸稲造は、留学先で米国人のメアリーと結婚している。NHKの朝ドラで有名になった、余市町のニッカウィスキー設立者「マッサン」こと、竹鶴政孝は留学先のスコットランドでリタと結婚している。

以上、この人達のことをネットで詳しく調べてみたが、それぞれ山あり谷ありの人生で、人の一生はこうして幕を閉じて行くんだなあと、感慨深いものがあった。この人達がいて、今の北海道があるのだと実感する。 

尚、これらの出典はすべて「地図で楽しむ すごい北海道 都道府県研究会 洋泉社」、「北海道の教科書  JTBパブリッシング」、「北海道の不思議事典 新人物往来社」から。 いずれも、読みやすくて分かりやすく、面白い本だ。

 

 

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