オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「すぐ目の前に、遠藤周作さんが」

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昨日、「遠藤周作の未発表戯曲、3本見つかる」というニュースを見た。いずれも、遠藤周作が生涯のテーマとした「日本人とキリスト教」について書かれているそうだ。その記事を読んで、自分が学生で東京にいたときに、何とももったいない出来事があったことを思い出した。

父と父の弟の叔父が東京に出て来て、帝国ホテルでバイキングを食べようと言うので、自分も呼ばれた。待ち合わせ時間より早く着いたので、帝国ホテル1階のロビー横にある通路のベンチで、遠藤周作の本を読んで座っていた。少し経ってから、「やあ!お待たせ!」という聞き覚えのある声が、すぐ目の前でした。

顔を上げてその人を見たら、なんと遠藤周作本人だった。その向かいには、若い女性が笑って立っていた。信じられないものを見て呆然としていると、2人でサッと行ってしまった。後で叔父にそのことを話すと、「そのときに遠藤周作の本まで読んでいたなら、声をかけて本にサインでもしてもらったら良かったのに」と言われて、そうだよなあと後悔した。

遠藤周作は、自分にとってはずっと憧れの人だった。行動的で、明るくてユーモアがあり、信念があって、こういう生き方がしてみたいと思っていた。しかし、そんな遠藤周作が突然、医療ミスだったようだが、車椅子の生活になってしまった。かつての精彩さはなくなり、久しぶりに友人達と会って歓談して別れた後に、奥さんに「みんな元気なのに、何で俺だけがこんなことになってしまった」と言って、泣いたという。その頃、親しかった瀬戸内寂聴が遠藤周作と会い、変わり果てたその姿を見て愕然としたそうだ。

そんな話を聴いて、自分の憧れの人だった遠藤周作像が、一気に崩れた。「あの、遠藤周作さんが…」と、信じられなかった。死についても、達観しているような気がしていた。禅の高僧の臨終の席に弟子たちが集まり、最後に高僧が立派な言葉を言うのかと思っていたら、「死にとうない」と言った。聞き間違いだと思ったら、また「死にとうない」と言う。それで、弟子たちは大いに動揺したという話は有名だが、自分もそのときの弟子達のような心境だった。

死とは、そんなに簡単に納得して割り切れるものではない、と思うようになった。遠藤周作の最期は、色々なことを自分に教えてくれた。瀬戸内寂聴さんは、「あの世に逝くのは、楽しみだ。友達がたくさんいるから」と言っていたが、それだけの年齢になると、知り合いや友達はほとんどいなくなり、そういう心境になるのかもしれない。その瀬戸内寂聴は、今年99歳で亡くなった。遠藤周作は73歳で亡くなった。