オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「人生なんて、分からんもんだな」

 

■パートに至るまでの経緯

パートに出て、もう6年になる。48歳のとき、父が会社を引退したと同時に、自分も会社を辞めた。それから、1年後に株のトレードを始めた。当初は中国株をメインにやっていたが、これが面白いように儲かって、資産が1億円に到達する寸前まで行った。それで、目標も10億円ほどにしていたが、2008年のリーマンショックで大半の資産を失った。

それから必死で、色々なトレード方法をやってみたが、余裕がなくて焦りがあるとダメなもので、どんどん資産を減らしていった。そして、その9年後にどうにもならなくなって、パートに出ることになった。学校を卒業して以来、ずっと父親の会社に勤めていたので、それ以外のところで働くのは初めてだった。62歳からの再出発だ。

最初のパート先は製麺所で、乾麺がたくさん入った重たいかごを選別機まで、何度も往復して運ぶ作業で、3日目に腰を痛めた。腰部脊柱管狭窄症の発症だった。ほとんど動くことが出来なくなり、ひどい痛みで作業は無理なので、製麺所を辞めることにした。色々な整形外科に行ったが、手術しかないということだった。「どこまで試練を与えたら気が済むんだ!」と、泣きたくなった。

 

            

 

■腰痛との闘いのパート仕事

しかし、事情があって休むことは出来なかったので、すぐまた次のパート先を探した。とにかく休めないので、どこかにすぐ勤めることが最優先で、肉体労働ばかりの仕事では続くはずがなかった。事務仕事は出来ないし、高齢男性の採用などない。それで「ここも無理だ」ということで、また仕事を探し続けて、パート先を転々とした。

夜も眠れないほどの腰の痛みが続くのと、高血糖も続いたせいなのか、体の至るところに異常が出て来たり、年齢による老化もあり、ずっとそれとの闘いだった。ということで、今はマンションの管理人と、老人ホームの営繕と事務雑用の仕事に落ち着いた。老人ホームの仕事は、朝8時半から昼12時半までの半日仕事ということで、続けることにした。

あのとき、リーマンショックがなければどうなっていたのだろうと、時々思うことがある。トレードの仕事自体は、暇で仕方がなかった。夫婦で国内外の旅行にかなり行ったし、近郊の食べ歩きも毎週のようにした。好きだったアコースティック・ギターも常時10本近くあり、次々と買い替えたので数百万円は使っただろうか。しかし、心の中はいつも空しくて「こんな人生でいいのか?」と思っていた。

           

■金が全てか?

今は金がなくて、生活に追われてヒイヒイ言ってる。それなのに、あの頃と今とどちらが幸せかというと、今の方が幸せかもしれない。金が全てではなく、もっと大事なことがある。パートに出てからたくさんの人を知り、教えられることも多く、仲良くなった人も何人かいる。皆もそれぞれに、色々な悩みを抱えていることも分かった。お互いに、励まし合って生きている。

もしも、リーマンショックで金を失わず、その後もトレードで失敗していなかったら、パートに出ることはなかっただろう。以前、世界第2位の金持ちと言われていた、米国の投資家ウォーレン・バフェットが「私は今まで多くの大金持ちを見てきたが、幸わせそうな人はほとんどいなかった」と言っている。

金は困っているときには、ありがたみを感じるが、有り過ぎるとありがたみを感じなくなる。自分も今は、金の有難さを分かるようになって来た。節約をするようになってから、あれが必要だから買わなければと思っても「待てよ、代わりに使えるものが家にあったんじゃないか?」と考えるようになった。実際、ほとんどがなんとかなった。無駄遣いをしなくなった。

        

 

■まともな人間に

そういう工夫や、知恵を働かせるという楽しみもあり、節約というと厳しくて切迫したイメージもあるが、実際にやってみると案外楽しいものだ。そして、その結果、支出が大きく減っていたりすると満足感がある。今まで、生き甲斐とか遣り甲斐とかをずっと探し続けてきたが、こんな節約とかちょっとした日常のことが案外、生き甲斐になって行くような気もして来た。

パートに働きに出てから、人と接していると、自分の嫌なところや愚かなところが段々と見えて来て、今までの自分を思い出すと恥ずかしくて、穴があったら入りたくなる。もちろん、今はそんなことがないわけではないが、それでもそれが分かるようにはなって、反省することも多い。

「この歳になるまで、分からなかったのか?」と言われるかもしれないが、自分と同年代や年上の人でも、我がままで自己中心的で適当な人もよく見かけるので、まあ、世間の人達もだいたいこんなものなのだろう。いずれにしても、金に困ったおかげで、人として少しずつまともになって来ているような気がする。