オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「旧島松・駅逓所(えきていしょ)を観てきた②」

前回の記事で、書ききれなかったことを書いた。「旧島松駅逓所」の修復には、本州から宮大工を呼んで、8年間かけて完成した。建物には鉄釘を一切使っていなく、木釘や継ぎ手で建てている。腐った柱などは、その部分だけを新しい木材と交換して、継ぎ手で修復している。その技術を道内の大工に伝えるために、サンプルも作って置いていった。

建物の壁の半分以上が「はめ戸」になっていて、隙間だらけで、冬は冷気や雪が中に入って非常に寒い。それで、土間に藁をたくさん積み、冷気が奥まで入らないようにしていたそうだ。だから、土間の幅が広くなっている。当主の中山久蔵さんは大阪出身なので、寒さに弱く、寒さ対策を色々と考えたらしい。

そして、この寒い北海道に最初にガラス窓を持って来て使ったのが、クラーク博士などの外人だったという話もあるという。これらの説明をしてくれた受付の女性は、とにかくなんでも詳しく、少し疑問点があると、自分の手書きの分厚いバインダーを持って来て、それを見て説明してくれた。ここに来て、まだ3年だそうだ。勉強家だ。

宮大工が置いていった「継ぎ手」の見本

            

隙間だらけの「はめ戸」と「継ぎ手」で修復した柱と広い土間

ところで、この「旧島松駅逓所」は来年、新たに修復作業をするそうだが、今度は明治天皇が休憩に寄ったことも、中山久蔵さんが「寒地稲作の祖」だったことなども一切触れないで、ただ「駅逓所」の説明だけにするという。受付の女性がそう言うと、「それで、いいのかなあ!」と思わず口に出た。

中山久蔵さんや明治天皇のエピソードなどの出来事すべてが、「旧島松駅逓所」の歴史なんじゃないだろうか。クラーク博士のエピソードも説明しないことにする、とも確か言っていたような気がする。しかし、ただの駅逓所の説明だけで、果たしてそれが史跡と言えるのか? 背景に色々な人間のエピソードがあるからこそ、血の通った史跡になるはずだ。

学者先生や偉いお役人に任せていたら、すべてがただの資料程度になってしまうような気がする。本来の史跡とは、そうではないと思う。 受付の女性も同じことを言っていた。色々な出来事の背景があっての「旧島松駅逓所」なんですけどねと。本当なら、実におかしな話だ。

     

 

 

ところで前回、この斜め向かいの蕎麦屋さんに友人U氏と来たときには、休業になっていたが、今回、見学を終えて外に出たら、その蕎麦屋の駐車場が満杯になっていた。受付の人に聴くと、なんでも最近テレビにこの店が出て、エグザイルのメンバーの誰かが食べに来たということで、さらに人気が出たようだ。

この店は、知る人ぞ知る名店のようで、メニューは手打ちそば1種類しかない。蕎麦好きの友人U氏が、是非行ってみたいということで行ったが、宝くじと同じで2人とも運がないようで、定休日でもないのに休みだった。 

先にいた見学客に、受付の女性が「これは金運が上がります」と説明して稲穂を渡していたのを盗み聞きし、「やった!」と思った。そして、帰る時に「あ、あの金運の上がるという稲穂をもらえますか?」と言った。本当はU氏の分ももらおうかと思ったが、さすがにそれは思いとどまった。

早速、家に帰ってから神棚に祭った。「宝くじ、当たりますように!」パンパンと。(-m-)  ところで、稲穂が金運上昇というのは、黄金色ということだからなのか?