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還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「少年よ大志を抱け!」の続き

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この前、北海道テレビ局の夕方の番組を観ていたら、キャスターが何かの時に「”少年よ大志を抱け!この年寄のごとく”ですね」と言っていたのを聴いて、「あれ?」と思った。クラーク博士が言ったのは、「少年よ大志を抱け!」だけじゃなくて、続きがあったのかと思って、早速ネットで調べてみた。

すると、全文は「Boys, be ambitious like this old man!」で、「少年たちよ、この老人のごとくに大志を抱け」、または「少年よ大志を抱け、こんな老いぼれだって持っているのだから」ということだった。今まで続きがあることは、まったく知らなかった。そして、「こんな老いぼれだって、持っているのだから」というところは、少し勇気づけられた。

クラーク博士は、日本政府の要請を受けて、1876年(明治9年)に札幌農学校に赴任した。実質的な校長のような立場だったらしい。約9カ月の滞在だったので、有名な「少年よ大志を…」をクラーク博士が言ったのは、計算してみると51歳の時になる。今では、老いぼれというには少し早いと思うが、当時だとそう言われる歳だったのかもしれない。自分が生まれる、約80年前のことだ。

クラーク博士の像は、札幌市豊平区羊ケ丘の展望台に有るので、この場所であの言葉を言ったように思われているが、実際は恵庭市と北広島市の境にある北広島市島松の「旧島松駅駅逓所」で、クラーク博士が帰国の時に、学生たちに向けて言ったそうだ。 ※「駅逓所( えきていしょ)」とは、駅舎と人馬を備えて宿泊と運送の便をはかるために設置されたもの。

クラーク博士はアメリカに帰国後、大学の創設を構想したが、資金難にあったり、知人の横領などにあって破産した。その後も訴訟を起こされたり、晩年は病気で寝たきりになり、59歳で亡くなっている。死の間際に「札幌で過ごした9ヶ月間こそ、私の人生で最も輝かしいときだった」と言い残したそうだ。(以下、ウィキペディア参照) 帰国後は、いい人生ではなかったようだ。

ちなみに、今は羊ケ丘展望台のクラーク博士像のすぐそばに、「恋の町札幌」の譜面と歌詞が刻まれた石碑と、それを歌った石原裕次郎と作曲家の浜口庫之助の胸像が、数年前に出来たそうだ。クラーク博士が、眼下に見える札幌市街を指さして「恋の町札幌」と言ったかどうかは知らないが、観光名所とはいえ、少し詰め込み過ぎじゃないのか。