ブログは、本当に書きたいときだけ書くようにした。少し前にちょっとの間、記事を休んでいたが、そのまま書く気が起きなかったら、このままブログをやめようかと考えていた。しかし、この辺がアマノジャクで、少し書かないでいると、急にまた書きたくなった。でも、またどうなるか分からない。仮にやめたとしても、どうせ、ごくわずかな読者数なので、誰にも気づかれず、静かに老兵は消え去るのみだ。
色々なブログの「読者になる」も整理して、本当に興味があるものや、賛同するブログだけに絞った。お互いに義理で見たりするのも止めようと思って、解除した。お互いに、関心のない記事を義理で読み続けても仕方がない。印刷された年賀状が相手から来るので、仕方なくこちらも印刷した年賀状を毎年送るようなものだ。義理チョコもそうだろう。
結局、本当に関心があって読みたいブログが5つほどになり、非常にスッキリして気持ちが楽になった。一種の断捨離か。今は「無理をしない」、「嫌なことはしない」ということをモットーにしているが、これらもそういうことになるのだろう。
今まで悩んだときに、啓蒙書を随分と読み漁ったが、60歳を過ぎるあたりから、書店で啓蒙書の表紙を見ただけで、「もう、いい!」と思うようになった。確かに、そのときは役に立って救われたが、その後すぐに忘れてしまうことがほとんどだ。結局、今は頭で色々と考えてもキリがないということが分かってきた。
それもあって、「無理をしない」「嫌なことはしない」と、自然に思うようになった。自分は調子が良くて、八方美人で、いい加減なのに、変なところでクソ真面目で格式張ったところがある。「これをやらなければならない」、「いつまで、やらなければならない」、「こうしなければならない」なんてガチガチに思い込んでしまう。そして、それに追い立てられ、精神的にいっぱいになって、潰されそうになる。
それが、今は「本当に今、やらなきゃならないの? 明日でもいいんじゃないの? いや、もっと後でもいいんじゃないの? もしかしたら、俺がやらなくてもいいじゃないの?」と考えるようになった。そして、「なんとか成るもんだ。無理しちゃイカン」と思うと、体から力が抜けて気が楽になる。
今まで、自分で自分の首を絞めていたような気がする。そんな自分に気づいて、「もっと適当で、もっといい加減でいいんじゃないの?」と思うようになった。本来はそれほどキチンとした人間ではないのだが、なんでもクソ真面目に考え過ぎるところがある。
しかし、この歳になってこんなことがやっと分かって来たのかと、我ながら溜息が出るが、それが人間なのだろう。周りの同年齢やそれ以上のオヤジ達を見ても、どれも似たようなもんだ。そんな自分を、これから徐々に改造して行くことにした。改造人間 ”オジサンダー67号”だ。