オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「管理人の仕事と働き方、そして休み方」

今の仕事は、週に3日の朝9時から午後5時までだが、まず朝8時45分には管理人室に着く。それから、もう一人の管理人の前日の日報を見て、引き継ぎ事項や、変わったことがないか見る。そして、それから午前中の掃除の準備を始める。

9時10分頃に管理人室を出て、まず1棟から掃除を始める。エレベータで一番上の9階に向かい、その階のフロアーからモップ掛けを始める。モップをかけるとホコリが溜まるので、それをホウキで集めて塵取りで取る。

1棟の9階から1階まですべて終わるのに、約40分だ。そして、15分ほど管理人室で休憩して、もう1棟の掃除を始める。2棟とも同じ形なので、ここも約40分で終わる。合せて1時間20分で、10時40分くらいには2棟の掃除は終了する。            

         
20分ほど休憩してから、今度はゴミステーションのゴミ整理を始める。空き缶や空き瓶の仕分けや、バラバラに置いてある段ボールの梱包、そしてペットボトルのラベル剥がしとキャップ取りだ。空き缶と空きビン、新聞紙と雑誌は民間の業者に売るので、ゴミ室というところに持って行く。

管理人が常駐するのは、月曜日から金曜日までなので、土日のゴミが溜まっていて、月曜日には満タンになっている。毎週月曜日は、車から降りると真っ先にゴミステーションをのぞいて、ゴミの量を確認する。「ウワー、スゲーな!」とか、「楽勝だな!」とか、そのときによって違う。

ただ、これもボランティアでやってくれている、入居者のNさんに助けられているところもある。ペットボトルなど、ラベルもキャップも取っていないのが多いが、それをほとんど土日にやってくれていることがある。バラバラの新聞紙や段ボールの梱包もだ。それがないだけで、かなり違うので有り難いことだ。

        

ただ、このNさんがあるとき「もう一人の管理人さんは、あまりゴミの仕分けや整理をやらないね」と言った。それで、自分が「それは僕もそうですが、Nさんがやってくれるから、すっかりあてにしてしまうんですよ。自分もそれが当たりまえのように思うので、あまりやらなくてもいいですよ。第一、僕らはそれで金をもらっているんですから」と言った。

我ながら「素晴らしい!」と、心の中で自分に拍手した。Nさんも感心したことだろう。「この人、なんて素晴らしい人なの!」と。でも確かに、最初は有り難く思っても、段々とそれが当たり前のことになるのもマズい。やってないと、逆に「なんだ!」と思ったりしてね。俺も成長したな。

このイラストの題名は、「拍手をする、羊の執事」だった。作者のセンスに拍手。

そのゴミの整理も11時半頃には、だいたい終わる。それから管理人室にずっと居ることになるが、それから昼休みを挟んで午後4時頃まで、週1回の2棟のエントランスの窓拭きや、電灯の点灯検査などがある。それぞれ、30分程度で終わる。ということで、他になにも問題がなければ、昼休みの1時間以外に、約3時間も空いた時間がある。

もう一人の管理人は、その間はテレビを観ていたり、居眠りをしていると言っていた。自分は昼休みは、12時から30分ほどNHKニュースを観るが、後はテレビは一切観ない。昼寝をしようと思うが、これが不思議で、家に居るときはいくらでも眠れるのに、眠たくならない。       

         

それで、その時間になにかの勉強とか、ブログの記事を書こうかと思ったが、集中できない。まあ、やれるとしたら、難しくない本をサッと読むくらいかな。結局は、雑用を見つけては、色々とやっている。休日は家でジッとイスに座っていることが多いので、仕事のときは少しでも動いた方がいいだろうと思うし、狭い管理人室で、長時間黙って座っているのが耐えられない。

それと、動いた方が時間が経つのが早い。少しでも動いて何かやってる方が、充実感もある。仕事が終わると、今日も1日頑張ったという気持ちになるが、ずっとなにもしないでいると、それがない。「やっと終わった」ということになる。その違いが大きい。ただ、少しずつ動いているが、決してやり過ぎないようにしている。この辺が難しい。

          

           

やり過ぎると、それがノルマのようになったり、当然ということになり、段々と重荷になる。だから、無理をしない。第一、若い頃とは体力が全然違う。これが、末永く続けていくコツだと、やっと分かってきた。それでも、それだけ動いただけでも、万歩計では6000歩前後になる。結構歩いているので、運動不足解消になる。

ここの前に勤めたデスクワークの仕事は、バカみたいに忙しかったが、終わった後の充実感はすごかった。クタクタになったが、「今日も頑張った!」と思えた。しかし、もうこの歳でそれを求めるのは、精神的にも体力的にも無理だと分かった。適当に休むことが、年寄りには大切なことだ。