前の記事に書いた、「老後は要領」和田秀樹著 によると、認知症の傾向として、”財布に小銭がたくさん溜まる”ということが書いてあった。それは、認知症になり始めると、モノの値段が分からなくなり、レジで金が足りないと言われたら困るので、いつも大きい札を出すようになるからだそうだ。
すごいと思うのは、人間の脳は認知症が始まっても、それを誤魔化そうとする意欲や能力が残っているというのだ。自分の場合は、今でもずっと小銭を財布に溜めるのが嫌で、絶えず小銭を確認して、できるだけ小銭を使うようにしている。この点では、まずセーフか。
それと、もう一つの傾向として、”家族に敬語を使う”ということも書いてあった。相手が誰だか分からなくなってくるので、失礼にならないように身内に対しても、敬語を使うようになるらしい。それなら、今の内から、この話を息子達に聴かせておいて、今から敬語を使うようにしたら、本当にそうなっても分からない、というのはどうか。
ウチの嫁は、元から人の話をほとんど聴かないで、自分のことしか考えていないので、自分と今話していたことや、少し前に言ったことも、覚えていないことが多い。それと「ここに洗濯物を干したらダメだ」とか、何十回言ってもだめで、もう諦めてる。
それで、よく「認知症じゃないか?」と自分が言うと、紙とペンを持って来て、立方体の箱を書く。ボケたら、それが書けないらしい。そして、その絵を描いた紙を自分の前に突きだして見せ、「まだ、大丈夫だ!」と言う。
元々、そんな感じなので、いつボケても分からない。ボケても、「いつボケたのかなあ?」ということになる。こんなのと一緒にいるのだから、一層、ボケられないと思う。