オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「今日一日を生きるだけでいい」

癖のようになってしまったが、いつも先のことを思いわずらい、過去のことを思い出しては悔しがったりして、そのことだけで時間が過ぎ去ってしまう。そうして「今このとき」を忘れてしまうことが多い。暇になって充実していない時ほど、そういう傾向が強くなるなあ。時々、こうなる。

とにかく頭の中で妄想して、今も過去や未来に生きているようで、「今このとき」を生きていない。こんなときは、これではいかんなあと思って「今日一日を生きるだけでいい」という言葉を思い出すようにしている。

今日一日のことを考えて、やれることをやって行けばいいんだと思うと、気持ちが楽になる。そして、現実に戻る。それを教えてくれた、自分の座右の書「道を開く デール・カーネギー著」の中の言葉を抜粋してワープロで打ち、自室の壁にも貼っている。

           

「昨日はただの夢。明日はただの幻。しかし、今日を良く生きることは、すべての昨日を幸せな夢に変え、すべての明日を希望に変える」カーリダーサ。「過去と未来を鉄の扉で締め出し、今日だけを見て生きよう」サー・ウィリアムス。

「荷物がどんなに重くても、たった一日なら、誰でも運ぶことができる。どんなに辛い仕事でも、たった一日なら、誰でも働くことができる。たった一日なら、誰でも優しく、辛抱強く、愛情深く、純潔に生きられる。これは人生の真理だ。人は、たった一日を生きていくだけでいい」ロバート・スティーヴンソン。

「一日ごとに、新しい人生を始めよう」デール・カーネギー。自分はどうにもならなくなると、これらの言葉を思い出し、目の前のことに集中し、今日一日を取りあえず生きてみよう、と思うようにしている。禅の世界も確か、そういう教えだった。目の前のことに集中するということだ。今日という一日を、集中して生きる。

         

老後の自分のことや、子供達の将来のことについて考えるのは、或る程度仕方ないが、しかし、こんな歳になっても過去の辛かったことや、悔しかったことなどが、いまだに頭に浮かんでくる。それについて考え出すと、キリがないほど続々と出て来て、頭の中がいっぱいになる。これは、恐らく死ぬまで続くのだろう。

ただ、暇になると出てくる癖のようなものだから、何度出て来ても消すことはできる。「今日一日作戦」で何度も習慣づけると、出る回数も段々と少なくなっていくだろう。すべてを完全に消し去ることは無理だろうけど、出てくるたびに消すことはできる。モグラ叩きのようなものだ。まったく、厄介なモグラだ。