小学生の頃、東京に住んでいたお袋の両親や姉弟に、お袋と姉と3人で会いに行ったことがあった。そのときに、お袋の妹の婚約者のアパートに行ったことがあった。その婚約者が、ビージーズのシングルレコードを2枚くれた。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と「ジョーク」だった。それがきっかけで、ビージーズが大好きになったような気がする。
中学生になると、たまに旭川市に家族で買い物に行くときに、レコード屋に寄って、ビージーズのLPレコードを1枚ずつ買うのが楽しみになった。そんなときに、ビートルズのレコードを我が家に持って来て、「一緒に聴こうよ」という友人O君がいた。
その内、O君はローリング・ストーンズ、クリーム、ジミヘン、ピンクフロイドなどのレコードも持って来たが、ビートルズ以外はどれも好きになれなかった。そんなO君に、ビージーズの話を一度だけしたことがあるが、フンと鼻で笑って何も言わなかった。それ以降、O君の前で、ビージーズの話は封印した。
ちなみに、その頃、O君と町の小さな映画館で、当時大人気だったザ・タイガースの映画を一緒に観に行ったことがあった。自分達以外は、地元の中学生の女子ばかりだった。その内、スクリーンの中のジュリーが観客席に向かって、「皆さんも一緒に歌いましょう!」と言った。その曲は、自分が大好きだった曲だった。
「落ち葉の物語」という曲で、今でもいい曲だと思う。誰か、リメイクして歌うとヒットするかもしれない。「長い坂道の~♪ 落ち葉の丘に~♫ やさしいあの人は住んでいるのです~♬」。youtubeで聴いてみたが、当時を思い出して胸がいっぱいになる。
映画館の周りの女の子達は、みんな歌い始めたが、O君はそれを見てクスクス笑って「よくやるよな!」という風に自分を見た。しかし、まさにそのとき、自分もその女の子達と一緒に歌おうとするところだった。でも、O君のために歌い損なった。俺にも歌わせろや~!こ、こいつさえ、いなければ!と後悔した。俺の青春を返せ―!
その頃だと思うが、「小さな恋のメロディ」という映画が大ヒットして、その中の挿入歌でCSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」が、日本でもヒットした。しかし、ビージーズの挿入歌「若葉の頃」は、まあまあだった。それで、2歳上の従兄妹が「全然、ビージーズは話題にならないな」と意地悪く言ったが、何も言い返せなかった。
そんな肩身の狭い思いをしていたが、学生の時に、何かの本でユーミンが「私は、ビージーズが好き」と言っていたのを読んで、なにかお墨付きをもらったような気がしてホッとした。そうなんだ、ビージーズにはいい曲がたくさんある。ただ、アレンジがちょっとポップスという感じで、ロックとは違う。
そしてビージーズは、ディスコ・ミュージックで大ブレイクした。それで、自分のビージーズも終わった。あの、バリーギブの裏声、何んとかならんのか。ただ、「愛はきらめきの中に」は名曲だ。実は、自分の結婚式のときに嫁が選んで、新郎新婦入場のときに流した曲だ。あのときは、幸せだったのに。(笑)
元々、兄のバリー・ギブの歌はうまかったけど、弟のロビン・ギブの方が好きだった。「ジョーク」、「傷心の日々」、「救いの鐘」とか、あの頼りない声が実にいい。あのビリー・ジョエルもロビン・ギブのファンだそうだ。そのロビンも、兄のモーリスも既に亡くなった。長男のバリーだけがまだ存命だ。
久しぶりに、ビージーズの昔の曲を聴いてみると、あの頃の記憶が甦り、泣きそうになる。そういえば、ビージーズはタイガースに「スマイル・フォー・ミー」という曲を当時、プレゼントしたという記憶がある。これも、いい曲だったなあ。