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還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「ロンブー田村淳の記事」

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昨日、ヤフーの記事を色々と読んでいたら、お笑い芸人ロンブーの田村淳が、亡くなったお母さんのことを語っていたインタビュー記事があった。それを読んで非常に感動したのだが、お母さんが亡くなる前の準備を徹底していたことに、すごく興味を持ち感心した。田村淳がこのときのことを書いた本「母ちゃんのフラフープ」も買って読むつもりだ。

田村淳という人は、いい意味で頭の良い人だなあとずっと思っていたが、インタビューを読んでいて、御両親も田村淳の嫁さんも性格がとても良さそうで、そういう人の周りにはそういう人が居るものなんだなと思った。亡くなったお母さんは癌で、余命1年と言われたそうだ。その宣告から、田村淳ともう一人の弟とで、涙のやり取りが色々とあったそうだ。

自分もお袋が余命3ヶ月と言われて病院に入院してから、姉とずっとお互いに色々と葛藤して、涙ながらに語り合ったことを思い出す。同じような思いをした人なら、すぐ自分のときのことを思い出して、痛いほどその気持ちが分かるはずだ。

田村淳のお母さんは元看護士ということで、亡くなる人を多数見ていたからだと思うが、自分が亡くなるまでの手配を緻密にやっていた。具体的に「輸血、人工透析、気管切開、胃ろうなど含め、延命のための治療はしないでください。もし私が苦痛を感じているなら、モルヒネなどの痛みをやわらげるケアは、有難くお受けします」と終活ノートに書いていたそうだ。そしてモルヒネを打ったら、話が出来なくなるということも分かっていた。

自分のお袋も最後の方になると、痛みを抑えるのにモルヒネを使っていたが、それは寝たままの状態になることと、心臓が段々と弱くなって死に近づいていくことだった。会話をすることも、体の反応もなかった。生ける屍だ。モルヒネを止めたら、起き上がって意識もあって普通に話をすることが出来たが、激痛のために本人の希望もあって、最後はずっとモルヒネを使っていた。

しかし、モルヒネを使って意識がないように見えても、実際には我々の話し声などは聞こえていたようだ。親父や自分や姉が話しかけても反応はなかったが、孫が来て帰りに孫達が「バアチャン、また来るからね!」と言った時に、お袋が手を上げて、起き上がろうとしたときは、みんな驚いた。聞こえていたのだろう。必死に動かない体を動かそうとしていた。

自分の子供達には、「俺がそうなっても意識はあるんだから、病室で俺の悪口を言うなよ」と言ってある。この記事を参考に、これからやれることは色々とやっておこうと考えている。葬式は女房と息子家族と、自分と女房のそれぞれの姉夫婦だけで行い、簡単で安いプランでやってもらい、戒名もいらない。その手配を、エンディングノートに書いておこうと思う。