オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「老人ホームの管理人」

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今まで、2ヶ所の特養老人ホームの管理人をやった。最初の老人ホームの管理人の仕事の時は、入居者が行きつけの病院に行く時の送迎、ボイラーや貯水槽や風呂の塩素の点検、2階3階の介護詰所への備品の配達、施設の窓の清掃、各階のフロアマットタイルの交換、棚やドアの修理、入居者の部屋の電気関係の修理、車椅子のブレーキやパンクの点検修理、送迎車の洗浄や給油、それ以外にも館内の表示や案内のPOP作り、中庭の花壇の棚やベンチの製作。他にも、事務の手伝いもやり、電話番もやった。     

ここでは、介護士の過酷な労働の実態を知ることになった。何年もやっている人は、ほとんどが腰痛持ちで、職業病だという。老人は体力がないので、力が入らずダラーンとなり、それがすごい重さになり、抱えると腰に負担がすごくかかるそうだ。忙しく走り回って介護している介護士の姿を見ると、声もかけづらいような雰囲気があった。

交代制の夜勤当番の2名の人達は、夜中に誰かがナースコールで呼び出しすると、次々と他の入居者達も呼び出しをするそうで、てんやわんやでパニックになるそうだ。翌朝、介護士は退社する時に事務所に寄り、時間表に記入して帰るのだが、椅子に座ったまま疲れ切った顔で下を向き「このまま、ここから動けないかもしれない」と言っていた若い女性介護士もいた。自分が辞めて3か月ほどしてから、6人の若い介護士が次々と辞めたと聴いた。老人ホームでは、こういうことが結構あるそうだ。           

特別養護老人ホームは、65歳以上の要介護で自宅での介護が困難な人が入居する施設、ということになっている。入居者で意識がハッキリとしている人は、程度も色々とあるが全体の1割もいただろうか。入社する前は、ワガママな老人に苦労するというような話しも聴いたが、実際に勤めてみるとそれどころか、ほとんどが話せないような人ばかりだった。

ほとんどの入居者はそのような状態だったが、ほんの数人の男女は意識がまだハッキリしていて、何度か話をしたことがあったが、やはり話し相手がいないので寂しがっているようだった。意識がまだ少しでもある人は、早くからこういう施設に入って生活するということは孤独で、仲間もできず可哀想だと思った。

意識があるのかないのか分からず、ただ開いたままの口に介護士からスプーンで食事を流し込まれ、排泄もオムツで垂れ流しの姿を見ると、色々と考えさせられることばかりだった。この人達もかつては自分と同じように、活気にあふれた頃があったのだと、当たり前のことを何度も思った。やはり、自分はできることなら「ピンピンコロリ」がいいなあと。 

それにしても介護士への待遇は、あまりにも悪過ぎる。厚生労働省や何とか省の役人達に、一度でも介護士の体験を短期間でもいいから、やらせてみたらどうなのだろうか。エリートで、高給取りの役人には、介護士の実態など分かるはずがないからだ。

今は介護士の学校も次々となくなっているらしい。本人よりも、親が介護士の過酷な仕事を子供にやらせたくなくて、介護士になることを反対しているそうだ。このままでは、介護士はいなくなってしまう。介護される人は、まだまだ増えて行くというのに。我が国の愚かな政治家や官僚達は、そんなことなど考えてもいないだろう。