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還暦過ぎたオジさんのあれこれ

「ヤンチャな父」

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自分の父は7人姉弟の4番目で小さい頃からヤンチャで、小学生の頃は年上の生徒によく喧嘩を売っていたという話を聴いたことがあった。高校の時は柔道部で、一番元気が良いのがなると言われていた先鋒をずっと任されていたそうだ。ヤンチャなので、色々なエピソードがあった。

土建屋を父が最初に始めて、それから田舎の山奥から兄弟達が出て来て一緒にやっていたが、そのすぐ上の兄と事務所で相手の業者と商談をしている時に、相手がエスカレートして兄の顔に飲んでいたお茶をかけたら、その相手がすぐ土間に転がっていたそうだ。お袋が、「お父ちゃんが、ぶん殴ったんだよ」と笑いながら教えてくれた。「あっという間だったよ」と。

自分が小学生の頃、休みの日に現場を見に行くかと言われて、お袋と3人で父の運転する車で行ったことがあった。現場が近くなった時、小さな川のようなところに手すりも何もないコンクリートの板が渡してある所があって、幅は車幅ギリギリで、ここを父は少しずつゆっくりと進んで渡った。これは人が歩くために作ったので、車で通るために作ったのではないと思ったが、お袋も冷や冷やして、「こんな危ないところを、みんなも車で渡ってるの?」と父に聴いたら、「いや、俺だけだ。みんな怖がって渡らん」と言ったので、お袋が「そうでしょ!」とあきれていた。

父が車を運転している時は、いつも運転席の窓を開けてツバや痰をペッと外にひんぱんに吐き出していた。強い缶ピースの缶入りタバコをずっと吸っていたこともあって、口の中が荒れて気になっていたのかもしれない。これが当初は、特に運転席の後ろに座っている家族にとってはすごく嫌なもので、お袋がそれを見て「これがシンガポールだったら、お父ちゃんは犯罪者ですぐ捕まってるよ」とよく言っていた。

しかし、この癖は自分も大人になってから自然に身についてしまい、同じことをやるようになっていた。自分の場合は鼻が悪いので、ひんぱんに口の中に垂れてくる鼻汁を何度も吐き出すのだけど、これも家人に嫌がられていた。遺伝ってあるんだなあと思った。ただ、これも風向きや吐き出す勢いによって、車に戻ってきて何度も車が汚れたことがあったので、その内やめた。

自分が高校生の時は、2歳上の姉と旭川の高校に通っていて下宿していた。その時に父が旭川に用事があってやって来て、自分と姉と姉と同じ歳の従弟の3人を有名なラーメン屋に連れて行ってくれた。その時のことを、従弟は「俺はあの時、すごく恥かしくて恥かしくて仕方なくてなあ!」とずっと言っていた。店舗に入るなり、父が自分達に向かって店内に響き渡るような大声で「汚ねえ店だろ?だけど、こんな汚ねえ店ほど美味いんだぞ!」と言ったからだ。

確かに、当時は店の照明は裸電球で、床はコンクリートの打ちっぱなしで、テーブルも折りたたみ式で汚い店ではあったが、それを店の人にも聞こえるような大声で言う人は、まずいないだろう。すぐ近くに、店員らしいオジサンもいたのに。

自分も家の仕事を手伝うようになった時のことだが、土建屋ということもあって多くの出稼ぎの労務者を使っていて、その人達が泊まる宿舎があった。父と父の弟の叔父が、我が家で夜9時過ぎだと思うが囲碁をやっているときに、会社の総務課長から電話がかかって来て、「酔った労務者同士の喧嘩が宿舎であって、1人は刃物で刺されて、救急車が向かっている」ということだった。

父は「すぐ行ってみよう!」と立ち上がって、叔父と自分も付いて宿舎に向かった。現地で総務課長とも合流した。父は、刺した労務者が宿舎の個室で寝ていると聴いて、すぐそこに向かった。普段は大きなことを言っている叔父も、高校の時に柔道部で喧嘩ばかりしていたという猛者の総務課長もびびって父の後ろから離れて付いて来たが、自分は父に何かあったら大変だと思って、仕方なく父のすぐ後に付いて行った。

そして、その労務者の部屋の玄関に着いて、床に血の跡がポタポタと落ちていたのを見つけた時には、もうどうしようかと思って玄関にあった小さなホウキを手にしていた。父は、臆することなくどんどん部屋に進んで行き、「オヤジ、居るか?」と大声で言い、「部屋に入るぞ!」と部屋の戸を開けた。暗い部屋の布団の中で、静かに寝ている労務者がいた。

父が「オヤジ、起きてるか?」と言うと、布団の中でモソモソと小さな声で労務者がなにか話した。父はそのまま部屋に上がって、寝ている労務者の枕元にあぐらをかいて座った。「どうしたんだ?喧嘩したのか?」とやさしく聴くと、労務者はまたモソモソとなにか話した。父は「そうか、それで刺したのか。でも、刺したのはマズかったなあ。警察を呼ぶからな、いいだろ?」と静かに言うと、労務者は黙ってうなづいた。

父は最後まで毅然としていた。ずっと自分は父の横にいて、相手が父に少しでも向かって来たら、持っていた小さなホウキですぐさま抵抗するつもりだった。なにしろ、寝ている労務者の枕元には、使用後と思われる包丁が置いてあったのだから。ちなみに、刺された人は軽傷だったそうだ。

父はヤンチャでワガママで横暴なところも多々あり、周りに迷惑もたくさんかけていたと思うし、自分とも仕事のことで随分と喧嘩もした。一時、自分が父の仕事を離れた時に、お袋は「これで二人が、仕事のことで喧嘩するのを見ないで済むと思うとホッとした」と言っていたほど、父とは仕事のことでぶつかってばかりいた。父とのことでは悪い思い出が半分あるが、残り半分はいい思い出で、父への憧れもある。

そんな父でも、最後まで慕ってくれた人も何人かいた。ありがたいことだと思う。上記の労務者との一件は、父の仕事に対する覚悟が見ることができて、本当の勇気とか覚悟とはこういうことなのかと考えさせられた。父が亡くなって、16年経つ。