オジさん NOW

還暦過ぎたオジさんのあれこれ

「初めての旅行、海外旅行」

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《1980年 7月9日~8月28日 約50日間》

3年前までは、国内外の旅行に夫婦でよく行っていたが、もう最近は行くことが無くなった。歳も取って腰も悪くなって歩くのが大変になったし、お互いにパートで働きに出たこともある。それで、以前行ったことのある国内外の旅行を思い出して懐かしみ、まずは旅行としては一番最初の25歳の独身の時に行ったことから書いてみる。

大学を卒業して札幌の会社に2年間勤めた後、思い切って欧米旅行をしようと思ったが、それまではかなりの出不精の旅行嫌いで、1人ではバスや鉄道にも乗れないと思っていたのだから、自分としては清水の舞台から飛び降りるくらいの大決断だった。まあ、そこに至るまでの仕事上の悩みや色々な悩みがあったので、そこから何とか這い上がりたいという一心だった。

旅行に出た時の格好は、半袖のシャツに前の会社の作業ズボン、そしてショルダーバックを肩から下げていた。旅行の途中で知り合った日本の若者達は、自分のこの姿を見て「これしか荷物がないんですか?」と驚いていた。ショルダーバックの中は、マウンテンパーカーと長袖シャツとTシャツ、着替えの下着が2枚づつと洗面道具、それと小型カメラくらいで、それ以外持っていく物は考え付かなかったが、結局それだけで充分だった。

ただ、旅の中頃には荷物が20キロ以上になり、歩いている途中でショルダーバックの紐がブチっと切れた。途中で知り合った日本の学生はこのショルダーバックを持てなかったくらい、とにかく重たかった。仕方なく途中で大きなリュックサックを買って、中身を詰め替えた。

何故、荷物がそれほど増えて重たくなったのかというと、美術館や色々な観光施設を観にいく度に、これはいいと無料のパンフレットをたくさん持ってきたからだ。アメリカに渡ったときにはどうにもならなくなり、ダンボールに詰めて船便で実家に送ったが、結局そのパンフレットはほとんど捨てることになった。でも、そんな重い荷物を背負って歩いたおかげで、体重は短期間で激減した。

旅行の期間は、1980年の7月9日~8月28日までの50日間だった。7月9日の朝に札幌を出て、千歳空港 から羽田空港、そして成田空港と行き、当時は飛行機賃が一番安かった大韓航空で最初の目的地パリに向かった。パリでは、飛行機で一緒になった横浜国立大学でフランス文学を教えていた先生と、東京在住のフリーカメラマンの3人と同宿で1週間滞在した。

その後1人で鉄道で、オランダのアムステルダム、ドイツのケルン、船でライン川下りではなくライン川上り、再び鉄道でマインツ、フランクフルト、バスでロマンチック街道、鉄道でミュンヘン、オーストリアのリンツ、ウィーン、インスブルック、スイスのインターラーケン、ツェルマット、そしてまたパリに戻った。

パリには1週間ほど居てからロンドンに行き、1週間ほど居てから飛行機でアメリカのNEWWORK空港に着き、ニューヨークのバスディーポからバスで、シカゴ、デンバー、ラスベガス、グランドキャニオンを横断して、ロスアンジェルスとサンフランシスコに数日間滞在して、日本に帰って来た。結局、ヨーロッパに34日間、アメリカに16日間居たことになる。

旅行での行き先は事前にだいたい決めていたが、治安の良くないアムステルダムに1日泊まって方針を変え、あまり居たくないところはサッサと切り上げて次に向かうようにして、適当にその時の気分やその時に丁度来た列車に乗ったりした。かなりいい加減だったが、それでもヨーロッパをぐるっと廻って、イギリス、そして最終目的地のアメリカに行くことになったので、何とかなった。

アメリカに着いてから、実家にコレクトコールで初めて電話したらお袋が出て、「あんた!どこにいるの? 全然、電話も寄こさないし、予定通りじゃないんじゃないの!いったい、いつ帰って来るの?」と怒られた。1ヶ月と言っていた日程を2週間ほどオーバーしていたこともあり、お袋と親父が「あんな息子は、死んでいないものと考えよう」と話していたそうだ。実は、この旅行から帰ったら実家に戻って仕事を手伝うことになっていたのだが、いくら待っても帰って来ないので怒っていたようだ。

東京に着いた時は夜中で、お金が2千円ほどしか残っていなくて学生の頃に下宿していた飯田橋辺りにあった連れ込み旅館が立ち並んでいたところを探したが、一人では泊まれなく、それよりもお金が足りなかった。それでも何件も探してやっとボロボロの旅館を見つけて交渉したが500円ほど足りなくてダメだと言われ、諦めて帰ろうとしたらズボンのポケットでジャラジャラという音がしたので見てみたら500円くらい入ってた。それで何とか泊めてもらったが、とにかく狭くて天井が低くてやっと横になって寝られるくらいのひどい部屋だったが、それでも泊まれて良かったと喜んでいた。

翌日、当時の北海道拓殖銀行の東京支店がある駅までの電車賃を数百円残してあったので、それで切符を買って銀行の支店に行ってキャッシュカードでお金を下ろした。当時は、今のATMとは違って自分の預金している銀行でないとお金は下せなかったと思う。その日の内に飛行機で北海道に戻り、少しの間札幌にいてから実家に帰った。

この旅行では本当に色んな出来事があり、とても語り尽せない。怖いこともあったし、考えさせられることや楽しいことや素晴らしいこともたくさんあった。でも、この旅行がきっかけで、人生観が少し変わったと後になってから思うようになった。今は「あんなことがあったんだなあ」と思うだけだ。もう40年も前のことだ。画像はロンドンの「アビーロード」。ビートルズのジャケットの横断歩道だ。