《1980年 7月9日~8月28日 約50日間》
大学を卒業して札幌の会社に2年間勤めた後、思い切って欧米旅行をしようと思った。それまでは、かなりの出不精で、そして旅行嫌いで、1人ではバスや鉄道にも乗れないと思っていたのだから、自分としては清水の舞台から飛び降りるくらいの大決断だった。まあ、そこに至るまでの色々な悩みがあったので、このままで終わりたくないという一心だった。
旅行に出た時の格好は、半袖のシャツに前の会社の作業ズボン、そしてショルダーバックを肩から下げていた。旅行の途中で知り合った日本の人達は、自分のこの姿を見て「これしか荷物がないんですか!」と驚いていた。マウンテンパーカーと長袖シャツとTシャツ、着替えの下着が2枚づつと洗面道具、それと小型カメラくらいで、それ以外持っていく物は考え付かなかったが、結局それだけで充分だった。
ただ、旅の中頃には荷物が20キロ以上になり、歩いている途中でショルダーバックの紐が切れた。途中で知り合った日本の学生は、このショルダーバックが重くて持てなかった。仕方なく途中で大きなリュックサックを買った。何故、荷物がそれほど増えて重たくなったのかというと、美術館や色々な観光施設を観にいく度に、無料のパンフレットをたくさん持ってきたからだ。
アメリカに渡ったときにはどうにもならなくなり、ダンボールに詰めて船便で実家に送ったが、結局そのパンフレットはほとんど捨てることになった。でも、そんな重い荷物を背負って歩いたおかげで、体重はみるみるうちに短期間で激減した。腹が少し出ていたのが、完璧に引っ込んだ。
旅行の期間は、1980年の7月9日~8月28日までの50日間だった。7月9日の朝に札幌を出て、千歳空港 から羽田空港、そして成田空港と行き、当時は飛行機賃が一番安かった大韓航空で、最初の目的地パリに向かった。パリでは、飛行機で一緒になった横浜国立大学でフランス文学を教えていた先生と、東京在住のフリーカメラマンの3人と同宿で1週間滞在した。
その後1人で鉄道で、オランダのアムステルダム、ドイツのケルン、船でライン川下りではなくライン川上り、再び鉄道でマインツ、フランクフルト、バスでロマンチック街道、鉄道でミュンヘン、オーストリアのリンツ、ウィーン、インスブルック、スイスのインターラーケン、ツェルマット、そしてまたパリに戻った。
パリには1週間ほど居てからロンドンに行き、1週間ほど居てから飛行機でアメリカのNEWWORK空港に着き、ニューヨークのバス・ディーポからバスで、シカゴ、デンバー、ラスベガス、グランドキャニオンを横断し、ロスアンジェルスとサンフランシスコに数日間滞在して、日本に帰って来た。結局、ヨーロッパに34日間、アメリカに16日間居たことになる。
旅行の行き先は、事前にだいたい決めていた。治安の良くないアムステルダムに1泊したが、あまり居たくないところはサッサと切り上げて、次に向かうようにした、その時の気分や、その時に丁度来た列車に乗ったりした。かなりいい加減だったが、それでもヨーロッパをぐるっと廻って、イギリス、そして最終目的地のアメリカに行けたので、何とかなるもんだ。
アメリカに着いてから、実家にコレクトコールで初めて電話した。お袋が出て、いきなり怒られた。1ヶ月の日程を2週間ほどオーバーしていたこともあり、両親は「あんな息子は、死んでいないものと考えよう!」と話していたそうだ。旅行から帰ったら実家に戻り、仕事を手伝うことになっていたが、全然帰って来ないので、怒っていたようだ。
東京に着いた時は夜中で、金が2千円しかなく、学生の頃に下宿していた飯田橋の近くの神楽坂にあった連れ込み旅館を探した。しかし、1人では泊まれなくて、金も足りなかった。何件も断られて、最後にボロボロの旅館を見つけたが、500円ほど足りなくてダメだと言われ、帰ろうとしたらズボンのポケットで、ジャラジャラと音がした。500円くらい入ってた。それも足して、何とか泊めてもらった。
翌日、当時の北海道拓殖銀行の支店がある駅までの電車賃を数百円残しておいたので、支店に行ってキャッシュカードでお金を下ろした。当時は、今のATMとは違って自分の預金している銀行でないと、お金は下ろせなかったと思う。その日の内に飛行機で北海道に戻り、少しの間札幌にいてから実家に帰った。
この旅行では本当に色んなことがあり、とてもじゃないが語り尽せない。怖いこともあったし、考えさせられることや、楽しいことや、感動したり、素晴らしいこともたくさんあった。50日間の旅行だったが、この旅行がきっかけで、自分の人生観が少し変わったことに、3年ほど経ってから気づいた。
旅行に行く前の会社時代では、すべてに打ちのめされ、コンプレックスの塊で、自分は他の人よりも劣ると思っていた。それが、旅行から帰って来たら、不思議と前向きな考え方になっていた。その考えは、今でもずっと続いているような気がする。おそらく、あのとき思い切って行って、良かったのだろう。もう40年も経つんだな。
※画像はロンドンの「アビーロード」にて。ビートルズのジャケットの横断歩道だ。