オジサン NOW

還暦過ぎたオジサンのつぶやき

「実は、ビージーズが大好きだった」

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小学生の頃、東京に住んでいたお袋の両親や姉弟に、お袋と姉と3人で会いに行ったことがあった。そのときに、お袋の妹の婚約者のアパートに行ったことがあった。その婚約者が、ビージーズのシングルレコードを2枚くれた。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」と「ジョーク」だった。それがきっかけで、ビージーズが大好きになったような気がする。

中学生になると、たまに旭川市に家族で買い物に行くときに、レコード屋に寄って、ビージーズのLPレコードを1枚ずつ買うのが楽しみになった。そんなときに、ビートルズのレコードを我が家に持って来て、「一緒に聴こうよ」という友人O君がいた。

その内、O君はローリング・ストーンズ、クリーム、ジミヘン、ピンクフロイドなどのレコードも持って来たが、ビートルズ以外はどれも好きになれなかった。そんなO君に、ビージーズの話を一度だけしたことがあるが、フンと鼻で笑って何も言わなかった。それ以降、O君の前で、ビージーズの話は封印した。

ちなみに、その頃、O君と町の小さな映画館で、当時大人気だったザ・タイガースの映画を一緒に観に行ったことがあった。自分達以外は、地元の中学生の女子ばかりだった。その内、スクリーンの中のジュリーが観客席に向かって、「皆さんも一緒に歌いましょう!」と言った。その曲は、自分が大好きだった曲だった。

「落ち葉の物語」という曲で、今でもいい曲だと思う。誰か、リメイクして歌うとヒットするかもしれない。「長い坂道の~♪ 落ち葉の丘に~♫ やさしいあの人は住んでいるのです~♬」。youtubeで聴いてみたが、当時を思い出して胸がいっぱいになる。

映画館の周りの女の子達は、みんな歌い始めたが、O君はそれを見てクスクス笑って「よくやるよな!」という風に自分を見た。しかし、まさにそのとき、自分もその女の子達と一緒に歌おうとするところだった。でも、O君のために歌い損なった。俺にも歌わせろや~!こ、こいつさえ、いなければ!と後悔した。俺の青春を返せ―!

その頃だと思うが、「小さな恋のメロディ」という映画が大ヒットして、その中の挿入歌でCSN&Yの「ティーチ・ユア・チルドレン」が、日本でもヒットした。しかし、ビージーズの挿入歌「若葉の頃」は、まあまあだった。それで、2歳上の従兄妹が「全然、ビージーズは話題にならないな」と意地悪く言ったが、何も言い返せなかった。

そんな肩身の狭い思いをしていたが、学生の時に、何かの本でユーミンが「私は、ビージーズが好き」と言っていたのを読んで、なにかお墨付きをもらったような気がしてホッとした。そうなんだ、ビージーズにはいい曲がたくさんある。ただ、アレンジがちょっとポップスという感じで、ロックとは違う。

そしてビージーズは、ディスコ・ミュージックで大ブレイクした。それで、自分のビージーズも終わった。あの、バリーギブの裏声、何んとかならんのか。ただ、「愛はきらめきの中に」は名曲だ。実は、自分の結婚式のときに嫁が選んで、新郎新婦入場のときに流した曲だ。あのときは、幸せだったのに。(笑)

元々、兄のバリー・ギブの歌はうまかったけど、弟のロビン・ギブの方が好きだった。「ジョーク」、「傷心の日々」、「救いの鐘」とか、あの頼りない声が実にいい。あのビリー・ジョエルもロビン・ギブのファンだそうだ。そのロビンも、兄のモーリスも既に亡くなった。長男のバリーだけがまだ存命だ。

久しぶりに、ビージーズの昔の曲を聴いてみると、あの頃の記憶が甦り、泣きそうになる。そういえば、ビージーズはタイガースに「スマイル・フォー・ミー」という曲を当時、プレゼントしたという記憶がある。これも、いい曲だったなあ。

「あのとき、先生が帰郷しなければ」

今から13年前になるが、ギター製作教室に通っていて、一生の習い事になると思っていた。しかし、半年ほどで先生の父親の体調が悪いということで、名古屋の実家に帰ってしまった。当初から作りたかったアコースティック・ギターの製作が、これからだった。

色々なサイズのを作ってみたかったし、トップ、バック、サイドの材料も変えて作ってみたかった。マーチンとギブソンの比較でも分かるように、材質や作り方で音が大きく違ってくる。それを、一生の趣味として楽しめるという夢があった。

当時の製作している写真を見ると、初めてのことばかりで戸惑いながら、先生に何度も聴きながらやっているところだ。ただ、こんなことで本当にキチンとしたギターができるのだろうかと、ずっと疑問だった。

やっている内に、実に繊細で緻密な作業ばかりだと分かって来た。自分の性格や、つたない技量では、まだ数年は先生に教えてもらわないと、最初から全部1人でギターを製作することは無理だろうと思った。装飾品ではなく、いい音を出したいというのが目的だったから難しい。

当時の写真を見ると、まだまだ続けて覚えたかったなあと思う。段々とギターの形になって行くと、ワクワクした。 縁がなかったということだろう。

画像を見ると、まるで一流ルシアーのようだ。自分が帰った後に、先生が手直しをしているとは、誰も思うまい。

    

 

「美は、見るものの目に宿る」

今年の江別市は風がすごく強くて、連休の間中、ずっとそうみたいだと言っている人がいた。せっかくの晴れが続いているのに、風が冷たい。天気予報を見ると、5月4日くらいまで最高気温が13℃前後になっている。本州は、暖かいんだろうなあ。

最近、星野道夫氏の「旅をする木」をまた読んでいる。こんな文章を書いてみたいと、前から思っていたので、それもあって注意して読んでいる。そして、一番最初の章に、なんともいい言葉を見つけた。半年前に読んだときは、全然気づかなかった。

「人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう」と。確かに、その通りだと思う。

そして、ターシャ・テューダーの「もし、どんな状況でも、明るく輝かしい面を見ようとするなら、つまり、暮らしに喜びを見出そうとすれば、その結果として、きっと暮らしはより良いものになるはずです。こんな言葉があります。“美は見るものの目に宿る”」という言葉も、同時に思い浮かんだ。

ターシャ・テューダーの晩年の最後の言葉だけに、66歳の自分にも「遅すぎることはない。今からでも、まだ間に合う」と言っているようだ。退屈で平凡な日常を豊かに感じるのも、喜びを見出すのも、自分の考え方次第なのだろう。この連休中に、改めて自分を見つめ直してみたい。

今回は、途中に1日仕事を挟むが、11連休になる。この間に色々なことができると思うのだけれど、これが、あっという間に終わってしまう。毎度のことながら。

 

 

 

「女の孫とキーボード」

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我が家は代々が男系で、自分の2人の子供も年子で男だし、姉のところも一人息子だ。従って、男の孫2人の扱いはなんとなく分かるが、女の孫になると、どう接したらいいのだろうかと考える。男のように、すぐ「闘うべ!」というわけには行かないだろう。

先日、その孫を見に行って来た。我が家から、車で片道40分ほどのところに住んでいる。そのときに、自分が覚えようと思って買ったが、ほとんど使っていない電子キーボードを持って行った。長男坊の嫁さんに「要るかい?」とラインしたら、欲しいということだった。

自分はキーボードをどうしても覚えたかったのだが、近くにあったNHK文化センターの「おとなのキーボード」教室が、数年前に閉鎖になった。ずっと申し込みしようと思っていたが、いつもすぐ満席になってしまい、キャンセル待ちばかりで、とうとうダメだった。自分のように、歳を取っても弾いてみたい人が多くいるようだ。

札幌まで習いに行く気にはならなくて、独学しかないと思い、弾くところの鍵盤が光るキーボードを買った。しかし、独学ではやはり無理だと諦めて、ハードオフに売ろうかとずっと考えていた。売っても、二束三文だ。長男坊の嫁さんが、欲しいと言ったのでホッとした。

孫がいずれ、キーボードを弾くようになったりしたら、これはちょっとすごいことだ。爺ちゃんは、自分が弾きたかった曲を色々と孫に弾かせて、もしかしたら歌ったり、ギターを弾いてキーボードと合奏するかもしれない。

そして、そのときにまだボケてなくて、手が震えていないようなら、孫にキーボードを教えてもらいたい。爺ちゃんは、キーボードの弾き語りが夢だからなあ。最初は、山下達郎の「潮騒」なんていいな。以前、札幌でコンサートを観たら、達郎がフェンダー・ローズピアノを弾いて歌っていたので、同じような感じで。

死ぬときはキーボードで弾き語りしながら、そのまま静かにあの世に逝くという、素晴らしい最期を遂げたい。曲は「イマジン」で。ただ、本人は素晴らしい最期と思っていても、周りは「あーあ、爺ちゃん!こんなにヨダレ垂らして、キーボード汚しちゃって」とか言われて、迷惑がられるかもしれない。後始末、よろしく頼みます。<(_ _)>

「苫小牧市 ″マルトマ食堂”のホッキカレー」

U氏との食事会で、今回は苫小牧の「マルトマ食堂」に行くことになった。初めての遠出になる。朝9時半にいつもの集合場所に集まってから、スタートした。普通に国道を走って行くのかと思っていたら、高速道路に乗ったので驚いたが、その理由は後で分かった。

10時15分頃に、目の前がすぐ港で水産加工場と隣接している「マルトマ食堂」に到着した。すでに入口には行列が出来ていた。30人くらい並んでいただろうか。そして、広い駐車場が満杯だった。まだ昼には時間があり、しかも平日の木曜日なのにと驚いた。

この食堂は、朝5時半開店で、閉店が午後2時だが、開店前にも行列が出来ているそうだ。それで、U氏は少しでも早く到着しようということで、高速道路で急いで来たのだ。約1時間並んでやっと入店できたが、後ろを見ると、かなりの行列ができていた。

入店してみると、想像したよりも狭い店内で、全部で30人位の席数だったと思う。壁一面に、来店した有名人のサインが飾ってあり、ドアにも貼ってあったので、食事が終わって帰る時に、どこが出口か分からなかった。

そして、とうとう念願のホッキカレーを食べた。以前から、一度食べてみたいと思っていた。結構待たされてから、大きなステンレス製の皿に大盛りのカレーが来た。見ると、ホッキの断片がそこら中に見えて、これは期待できると思った。食べてみると、カレーのルーは自分の好みですごく美味かった。

ただ、ホッキの出汁が出ているわけでもなく、ホッキ自体も弾力はあるが、味はほとんどしなかった。もっと、ホッキの味とカレーの味がうまくミックスされたものを想像していたが、違った。元々、ホッキ自体は出汁が出るものではない。かえって帆立の方が、出汁が出てミックスされて、美味しいのではないだろうか。

いずれにしても、ずっと念願だったホッキカレーを食べることができたので、どんなものか分かって良かった。もう、あれだけ並んで食べに行くことはないと思うが、もしもまた行くことがあったら、今度は「マルトマ丼」という海鮮丼を食べてみたい。

苫小牧は主要道路が3車線で、道が広くて走りやすい。新しい建物も多くて、きれいな街になっていた。自分は20年くらい前に、ここに住んでいる友人に会いに来たことがあった。こうして、遠出してドライブも兼ねて食事に行くのもいいもんだなあと、改めて感じた。

25年前に江別市に来たときは、近郊の飲食店を女房と2人で、随分と食べ歩いた。2人の息子達は部活もあったし、親と一緒に行動するのを嫌がったからだ。今は、女房とほとんど別行動になり、お婆さんは山に登り、お爺さんは家に引きこもりという感じか。元々、1人で新たな飲食店に入るのは苦手だったが、段々とそれも慣れた。

今まではU氏に案内してもらう店ばかりだったが、たまには自分が案内する店に連れて行きたいと思っている。ただ、U氏はとにかく、どこの店にも行っていて、行ったことのない店を探すのが至難の業だ。U氏も、今回のような遠出もいいねと言うので、範囲を少し広くして探してみるつもりだ。

 

マルトマ食堂外観。港手前の水産会社建物の中にある。写真はHPから拝借。

ステンレス製の皿に、普通の1,5倍の量。価格は1200円。北寄貝がたっぷり。

 

「豚骨魚介つけ麺」

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セブンイレブンの「豚骨魚介つけ麺」は、今回で3回目となる。最初に食べたとき、写すのを忘れていた。ところが、これが思いのほか美味くて、また食べたいと思って買ってきた。しかし、電子レンジで温めるのはつけ汁の容器だけで、麺は温めないのだけど、うっかりしてそのまま全部温めてしまった。

それでも、まあ美味かったが、もちろん麺も温かくなり、さらにモチモチになった。やはり、麺は温めない方が美味いな。濃厚な魚介の出汁の味が強烈で、店で実際に食べるのと同じ味だ。それにしても、再現性というのか、よくここまで真似るものだと感心する。自分が以前、店で食べたのとほぼ同じ味だ。

麺が太麵でモチモチしているというのも、案外美味いもんだ。また買って来て食べようと思う。今度は注意して、麺を温めないで食べよう。このシリーズは、血糖値に良くないと思って休むつもりでいたが、店頭で実際に見てみると、透明な容器なので中身が見えて、実に美味そうなので、つい買ってしまう。

個人的感想だが、ローソンのよりもセブンイレブンの方が、しっかりと作っているような気がする。再現性が高いように思う。もちろん、ものにもよるけど、ほとんど当たり外れがない。いずれにしても、競ってまだまだ美味いものを作って欲しい。

 

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「ウィンター・ブルー、か?」

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『冬になると気持ちが落ち込んでやる気が起きない、という人はいませんか? これは「冬季うつ(ウインター・ブルー)」とも呼ばれています。 これは決して気のせいではなく、体内で起こっている、れっきとした“不具合”です』と、豊橋ハートセンターのHPに書いてある。https://www.heart-center.or.jp/rehabnow/4169/

更に『晩秋から冬にかけて悲しく憂鬱な気分になり、以前は楽しみだった活動に興味がわかず、疲労感が募り、無力感や罪悪感にかられる。冬季うつの特徴は、「過食」「過眠」そして「体重増加」で、食欲不振や不眠になることが多い、一般のうつとの大きな違いだ』と書いてある。

自分は、まさしくこれだ。特に北海道は、冬期間は寒さや雪で行動が制限されることもあり、なにもやる気がしなくて寝てばかりいる。寝ると、憂鬱な気分から一時だが離れられるので、精神的に楽になる。間食も冬期間の方が多くなり、体重も増える。

テレビも観るのが苦痛になり、大好きな音楽でさえも聴くのが苦痛になる。要はなにもやりたくない状態で、それでも「なにかやらなければ」という心の声で、パソコンの将棋や麻雀ゲームをダラダラとやる。しかし、次第に「こんなことばかりやっていてはダメだ」と思ってくる。

ただ、五木寛之氏によると、日本人は「なにかをしなければ病」だという。「定年後は、人生を優雅に楽しむことをしなければならない」とか、「自由に生きなければならない」とか言って、商売絡みのメディアが作ったスタイルを押し付けるので、その通りでなければ幸せでない、と思い込んでしまう人が多いという。

メディアがあおるような幸福のシナリオから、少しでも外れていると「俺は人生の落伍者か、敗北者か」と思ったりする。しかし、人それぞれに合った人生のシナリオや、ライフスタイルがあるはずで、人と同じことをやって安心するというのはバカげている。なんで、旅行に行かなくちゃならんのだ~!家にずっと居たら、あかんのか~!

なにもしないということも、大切なことだ。「ユダヤ人が優秀なのは、安息日があるからだ」と、なにかの本で読んだ。人というのは、絶対に何もしてはいけないと制約されると、逆になにかをやりたいという意欲が出てくるものだ。確か、精神病治療の森田療法も、患者に最初はずっと何もさせないと聞いたことがある。

座禅などは、なにもしないでただ座るだけだ。だから、最初の頃は「こんな時間の無駄をしていて、いいのか?」と不安になる。1時間以上も座っていると、時の流れに置いて行かれるような気がする。それが、段々と「もう、置いて行かれてもいいや」と思うようになる。そうなると、いい精神状態になる。

という、座禅の効能はよく分かっているのだけれど、今はなかなか続けることができない。座っても20分くらいがやっとだ。学生のときは、平気で1時間以上は座っていられたのに。歳を取ったことや、体力がなくなっていることもあって、気力が続かないのかもしれない。

また、今年も冬がやってくる。それまでに、なんとかこのウィンター・ブルー対策を考えたいものだ。そういえば、最近、力を抜く方法「バカ顔」の他に、気分がふさがってウツ状態のときにやる方法を考えた。「不機嫌顔」だ。

朝、職場に向かう片道17分の間、車を運転しながらこれをやっている。朝は特にウツ状態がひどく、「なんで、仕事に行かなきゃならんのだ」と気持ちがグッと落ち込んでいる。ただ目一杯、不機嫌な顔をするだけだが、これをやると不思議と気持ちが落ち着く。

この方法は、体調が悪いときに病院の先生に「あなたは、〇〇の病気です」と言われて、「あ、やっぱり、それが原因だったのか!」と、ホッとするときと似ている。「やっぱり、俺って不機嫌なんだ!」と思うことで楽になる。と、自分でも何を言っているのか、よく分からなくなってきたので、この辺で終わることにしよう。

「やっと、運転が楽になる」

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やっと長い冬が終わり、車の運転が楽になった。スタッドレスタイヤを、4月14日に夏タイヤに交換したので、ホッとした。冬道の車の運転は、雪のないときの数十倍の神経を使う。今年のように数十年ぶりの大雪だと、もう大変どころではなく、命に関わる。

街の中の主要な2車線道路が、大雪で除雪が間に合わず、1車線ギリギリになったり、凸凹で段差がひどくて、一度停まるとハマって動けなくなる。主要道路でハマって動けなくなると最悪だ。ほとんど、事故スレスレの状況だ。

郊外の道路になると、周りに建物がないので、吹雪くと一寸先も見えなくなる。以前、それで道路脇に落ちたことがあった。ホワイト・アウトというやつで、1m先も見えなくなるので、勘で走っていたら左側の側溝に、斜め前からズズズズと落ちていった。

JAFに電話したが、こういうときは、予定が立たないと言われる。参ったと思って、30分くらい車の中にいたら、今までの猛吹雪がサーッとおさまり、周りが見えるようになった。すると自分の車のすぐ先に、向かい合わせで同じように落ちている車があり、運転手の中高年の女性が驚いてこちらを見ていた。

冬道は、信号で止まるのも、カーブを曲がるのも、滑ることを予測して運転しないと大事故につながる。急ブレーキや急発進は、御法度だ。夏道と同じように運転すると、大変なことになる。今まで、何度も危ない目にあっている。だから、外出もしたくなくなる。

本州のように雪が降らないところや、少ししか雪が降らないところに、昔から憧れていた。冬道の心配もいらないので、車で色々と出かけることができて、年中活動できる。函館が雪がかなり少なく、観るところも多くあるので、移住するならこんなところがいいと思っていた。とにかく、これからやっと、ゆったりと運転できるので嬉しい。 

 

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こんにちわー! 正面衝突しなくて、良かったねー!。(錦鯉風に)

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大型車の交通が多い道路で、手際よく作業するJAF。さすが。

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JAFの手早い救出作業。前面ナンバープレート裏にウィンチあり。

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引き上げてもらった跡。こんなに深くハマったら、もう無理!

 

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「ずっと気になっている、ウクライナのこと」

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今、一番気になっているのが、ロシアが侵略しているウクライナのことだ。毎朝、一番にネットのニュースで、動きがないか見る。そして、昼と夜はテレビのニュースを観ている。今回の侵略は、自分にとっては決して他人ごとではなくて、ロシアの官僚が、最近「北海道は我々の領土だ」と言っているという記事も見たが、狂ってる。

もう、40年以上も前の話になるが、今東光という作家でお坊さんだった人が「ロシアは、一度取ったものを絶対に返すはずがない。返すことを恥だと思ってる。歴史を見たらそれが分かる。一度として返したことはないんだ。だから、北方領土なんか返すはずがない」と断言していた。いまだに、その通りのことになっている。

ベルリンの壁が壊れたときに、ソ連のゴルバチョフ書記長は西側にとっては、その最大の貢献者ということで、自分もずっとそう思っていた。英雄だと。しかし、今でも多くのロシア人は「何故、東ドイツを返したのか!」と屈辱を感じていて、ゴルバチョフ書記長のことを「裏切者」とさえ言っていることを知った。

自分はかつて、稚内に何度も出張に行ったが、あるときから数人のロシア人が街の中を歩いているのを、頻繁に見かけるようになった。ロシアの船が稚内港に入港できるようになり、中古車の取引が盛んだったようだ。その内、稚内の人に話を聴くと、自転車が盗まれてひどいと言っていた。

そのロシア人達は、「ロシアでは外に出ているものは、皆のものだ」と言っていたそうだが、この辺に国民性が表れている。何でも取った者勝ちで、一度取ったものは返さないし、取れるものはとにかく何でも取るというのが、ソ連の国民性なのだろう。今回、侵略した後のロシア兵達の遺体を見たら、大量の略奪した宝石やアクセサリーを持っていたそうだ。

ウクライナでのロシア兵の残虐性は、今に始まったわけではない。第2次世界大戦のときも、日露で不可侵条約を結んでいたにもかかわらず、日本が不利になるや否や、真っ先に攻め込んで逃げ惑う日本人を虐殺したり、過酷なシベリアに送り込んだりしている。

そのときも、ロシアは犯罪者の集団を前線に送り込んでいたという話があったが、今回も同じように残虐なことが起きている。子供をバラバラに切断したり、その遺体に爆弾を仕掛けるという、その残虐性は異常といえる。そんなロシアが、いつか北海道をウクライナと同じように侵略してきたら、どうなるのだろうかと思うとゾッとする。

実際は、今回のウクライナよりも軍事力がないと言われている日本は、ひとたまりもないだろう。それにこんなときでも、政治家の交通費の用途を明確にするかどうかを審議しているような政府だ。普段は自衛隊を非難している政党も、こういう非常時になると黙り込むし、平和ボケ日本はいつまで経っても変わらない。

首相の器としてはどうかと思うし、パフォーマンスも感じられるが、はっきりと自分の意見を言い切る高市早苗議員のようなのが、まだまだ多く出て来なければダメだと思う。「はあ、それは検討しまして…」しか言えないような首相や政治家では、どうにもならない。2世や3世や政治家一族のお坊ちゃんではなく、普通の国民から政治家が出て来ないと、なにも変わらない。

今回、プーチン政権が倒れることで、ロシアも少しは良くなるのではないかと期待するが、果たしてどうなるのだろうか。欧米の経済制裁で、当初はそれでロシア経済は壊滅すると騒いでいた。しかし、逆に天然ガスや木材や魚介類等で、今までロシアに大きく依存している欧米諸国や我が国にとって、リスクが大きいのはこちらの方だということが、段々と分かって来た。

だから、本当はまだまだロシアの抜け道はあるし、依存している国にとっても厳しい制裁は出来ないということらしい。経済制裁も、それほど当てにならないということか。希望的観測で、いい方向に向かうというような論評が多いが、それも実際にはどうなるのか分からない。

ロシアの背後には、同じような政策の中国や、ロシアから武器などの取引で繋がっているインドもいる。「敵の敵は、味方」だ。これらの国も秘かに、ロシアを支援しているようだ。これから、ウクライナはどうなるのだろうか?着地点はどこになるのだろうか? ウクライナは決して他人ごとではなく、明日は我が身だと思うと目が離せない。

「海外旅行は、もういいな」

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先の記事で、海外旅行はもういいということを書いた。確かに、金も体力もなくなったことが一番の要因だが、その他にも海外だと喉が乾いても自販機がないので、簡単に飲み物を買えないし、トイレに行きたくなってもなかなかなくて、たまにあっても有料トレイだったりして、何しろ言葉が通じないのだから、とにかく不便で仕方がない。そんなときに、日本のありがたさをすごく感じる。

海外旅行も、現地に着くまでの飛行機の搭乗時間がウンザリするほど長くて、いつもそれとの戦いだ。満席のときなどは、隣の人との間がギリギリで、自由に身動きが出来ないので体が痛くなるやらで、非常に辛い。トイレに行くのも大変だ。ゆっくり寝ることも出来ない。恰幅の良い人が隣に来ると、「ウワー!参ったなあ」と思う。

ところが、自分の女房はいつも平気で、グーグー寝てる。しかも、前が広くなっている席が空いていたり、隣り合わせの席が空いているところがあると、すぐCAにその席に移ってもいいか聴いて、足を伸ばしたり、横になったりして寝てる。自分にもそうしろと言うが、自分の性格上、我慢して言わないことが多い。

海外ツアーの内容が高齢者には大変だということで、観光する場所を少なくして、ゆっくりと無理のない高齢者向けのツアーも、最近は出て来ている。今までの海外ツアーは、とにかく短期間にたくさんの観光場所を詰め込み過ぎて、普通の人でさえクタクタになるようだ。

そんなことで、年齢的なこともあり、海外旅行は自分にとって、快適な旅ではなくなった。当り前のことだが、海外に比べて国内だと、どこに行っても言葉が通じるので、分からないことがあれば誰かに聴けばすぐ分かるので、気持ち的にすごく楽だ。旅行に行くとしたら、自分はもう国内しか考えられない。